ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

気まぐれる美女

2010年04月02日 | 通信-社会・生活

 アパートの隣室には若い女性が住んでいる。越してきて三年余になるが、生活の時間割が違うみたいで、これまで顔を合わせたのは二度しか無い。二度しか見ていないが、今時の可愛い娘であることは認識できている。「可愛い」は印象が強いのだ。
 先週月曜日の午後、アパートの駐車場で車の掃除をしていると、近くに車が停まって、二人の若い女性が降りてきて、私の傍を通りながら「こんにちは」と挨拶して、階段を上っていった。一人は隣室の可愛い娘(名はTS)だ、三度目の遭遇。
 二人は部屋から荷物を持って下りてきて、荷物を車に乗せるという作業を繰り返す。何度目かのその作業の途中、TSさんに声をかけた。
 「引っ越すの?帰るの?」、「帰ります。」、「田舎はどこ?」、「静岡です。」などと会話する。三年余隣人同士で、会話するのはこれが初めて。
 荷物運びが終わって、二人は去ったのだが、去ってから、私は訊きたいことがあったのを思い出した。「猫はどうするの?」だ。

 TSさんは野良猫を半飼いしている。半飼いとは、部屋に住みついてもいいが、いつ出て行ってもいいという飼い方、猫は自由であり、部屋にいれば餌を貰えるという至れり尽くせり状態。世の多くの夫が希望するであろう幸せ状態。
  その日のちょっと前から、アパートの周りで子猫の鳴き声が聞こえていた。アパートのどこかで子猫が生まれたようだ。数日後、TSさんが半飼いしている猫の行動を見て、その猫が母親であり、子猫は屋根の上にいるらしいことを知る。屋根の上の水タンクの陰辺りに潜んでいるのだろうと想像する。その子猫と母猫をTSさんはどうするのか、餌を貰えなくなった母猫は乳が出なくなる、乳が出ないと子猫も死ぬはず。
 案の定、それから数日後には子猫の声が聞こえなくなった。屋根の上で雨に打たれ、寒さに震え、乳もろくに与えられず、短い命を終えたのだろう。
 「ペットを飼うのなら最後まで面倒を見ろよ。」と思うが、しかし、TSさんにしてみれば、「家にやってきたから餌をあげただけ、飼っているわけでは無い。」ということかもしれない。ただ、猫にしてみれば、「私はこの人に飼われている。これで私の人生、ならぬ猫生も安泰だ、子供を作ろう。」となったのかもしれない。
 気まぐれの情を美女に掛けられて右往左往する男はあまたいる。もしも、気まぐれの情をTSさんに掛けられたら、私も右往左往したに違いない。顔を合わせる機会がほとんど無かったことは、私にとってラッキーだったのかもしれない。
          

  気まぐれ美女がもう一人いる。最近よく会っている才色兼備の若妻だ。
 過日、彼女にDVDのコピーを頼まれた。映像データを外付けハードディスクにコピーして、「ハードディスクを貸すから、DVDに焼くのは自分で。」ということにした。
 先日、彼女を訪ねると、「DVDに焼くことができない。」と言うので、「そうか、なら、私がやろう。」と言うと、「親切なんですねぇ。」ときた。「?!」となる。
 「元々DVDコピーを頼んだのはオメェだぞ、俺はそれをやろうとしているだけだぞ、それを親切なんですねぇと言われたら、美女にデレデレして、頼まれてもいないことをお節介している助平オジサンみたいじゃないか!」と私は思ったのである。
          

 記:2010.3.31 島乃ガジ丸