ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

罵り合い程度は

2018年09月28日 | 通信-政治・経済

 台風24号が急に向きを変え沖縄島へ向かい、沖縄島は明日から暴風とのこと。明後日は沖縄県知事選、及び宜野湾市長選の投票日、で、今日これから期日前投票に行く予定。去った9月9日は宜野湾市議員選挙の投票日であった。なわけで、9月の初めから選挙宣伝カーが家の周りを回っていて、今日も回っている。9月は選挙の月となっている。
 若い頃、選挙宣伝カーは煩いと思っていた私だが、齢取って寛容の心も供えるようになって、その煩さも少しは許せるようになったのだが、それでも「少しは」だ。選挙宣伝カーが煩いことに変わりは無い。セミの声は煩いと思わなくなったんだけど・・・。
 選挙カーが煩いのは何故か?・・・セミの声は音でしかないが、拡声器から出て来るウグイス嬢の声は言葉だからだ。セミの声は耳に入ってくるだけなので特に何か考えるということは無いのだが、言葉は「何言っているんだろう」と脳が動いてしまう。脳が動いてしばし聴いてしまう。聴いて、概ねはガッカリして「煩せーよ」と思う。
     

 選挙宣伝カーのウグイス嬢によるアナウンスが、それは必要だろうと言う人も多いかもしれないが私は無くて良いと思う。特に、名前ばかりを連呼するアナウンスは煩い。「私の名前は○○です」だけでは、「お前の名前が○○だからって、それが何だというんだ」と私は思ってしまう。いや、もちろん名前を言うのは大事なこと、主語がなければ誰が何をどう考えているかということの、最も大事な箇所である「誰が」が抜けてしまう。
 ただ、私としては、「私の名前は○○です」の後に「私は○○問題についてこう思います」といったことを、あれこれの問題について語ってくれれば「ほう、この人はこういう考え方の人だな」と思考ができ、アナウンスを聞いている時間も無駄にならない。
 選挙宣伝カーの中には、ちゃんと所属政党名を言い、「私は○○問題についてこう思います」と言って自身の立場を明確にしているものもあるが、多くは、ほとんど候補者の名前ばかりを連呼し、その合間に「一所懸命がんばります」やら「誠意を持って市民のために尽くします」やらの抽象的なことを言うだけ。選挙カーのアナウンスには全政党共通のマニュアルでもあるのか、と思うくらい似たようなセリフ回しとなっている。
 名前の連呼が有権者の投票行動にどんな影響を与えるのだろうか?投票所へ行って投票用紙を貰って、鉛筆を手にし候補者の名前を記入する時、最も多く耳にした名前が浮かんでくるとでもいうのだろうか?サブリミナル効果ということか?

 相手候補を誹謗中傷した怪文書のようなビラが郵便受けに入っている。陰口みたいなもので気持ち悪い。「堂々とせんかっ!」と思う。例えば、選挙宣伝カー同士が近くで顔を合わせる。その時、お互いにエールを送って静かにその場を去るのが一般的なのか知らないが、その時その場で討論しても良いじゃないかと私は思う。お互いの意見を闘わせる、それが政治の本筋だと思う。聴衆がそれを聴いてどちらが良いか判断できる。
 バッタリ出くわして討論になり、その時、互いに罵り合う程度は構わないと思う。その程度は選挙という闘いの場で許される範囲内だと思う。陰でコソコソ怪文書を配っているよりはずっと増し。根拠のないデマを振れ回ることを武器としているのなら、陰口を叩くことが闘いなんて思っているようなら、沖縄の政治家は下品で無能であると言っているようなもの。政治家が凛とした姿勢でいれば、政治は信頼され市民もついていくはず。
     

 記:2018.9.28 島乃ガジ丸