ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

コクサイドオリ

2011年01月03日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 高校生の頃、「遊びに行こう」、「本屋に行こう」、「レコード屋に行こう」、「飲みに行こう」というとたいてい国際通り(那覇のメインストリート)へ向かった。
 首里からバスに乗って那覇へ下りていく。首里も那覇の一部ではあるが、首里高校生たちは国際通り近辺へ行くことを「那覇へ行く」、「那覇へ下りる」などと言った。
 現在の那覇市は、琉球王朝時代には首里、泊、那覇、真和志、小禄の5つの村(間切と云う)に分かれていて、王府のあった首里は当然その中でも一等格上、と思っている首里の人は多かっただろう。首里高校生たちはそこまで思ってはいないが、少なくとも首里と那覇は別物という感覚はあったのである。

  当時(70年代)の国際通りは、ウチナーンチュの遊び場所であり、買い物する場所であった。観光客相手の店も多かったが、今ほどでは無い。現在では沖映通りに2軒残っている程度のパチンコ屋、マシン屋(スロットマシン)が当時は15軒ほどあり、スマートボール屋、アレンジボール屋なんてのもあった。射的もあり、卓球場もあり、ビリヤード場も数軒あった。本屋、めがね屋、レコード屋にデパートが3軒あった。国際通りは、ウチナーンチュの買い物場所であり、アミューズメント通りだったのだ。

 沖縄を訪れる人は年々増えている。年間入域者数は、1980年代で200万弱、1990年代で300万ほどとのこと。数年前からの沖縄ブームもあって、確か一昨年からは500万人を超えている。私が高校生だった当時は100万に満たなかった。国際通りを歩くのはウチナーンチュがほとんどで、倭国からの観光客はちらほらであった。
 ウチナーンチュの買い物、及び遊び場所は今、分散している。現在、最も多くのウチナーンチュが集まる場所は、国際通りからほど近い那覇新都心となっている。大型スーパーがいくつもあり、シネコンがあり、飲み屋も数多くある。他に、若者たちは車で3、40分ほどの北谷ハンビータウンへ行ったりする。

  那覇新都心に多くの客を奪われてはいるが、国際通りも廃れたわけでは無い。いや、まだまだ賑やかなのである。こんな賑やかな地方都市の商店街が他にあろうか、と思うほどなのである。先週土曜日、模合(モアイ、言い訳の効く飲み会)があった。飲み会の場所は、国際通りから横道を入ったところにある。せっかく国際通りに行くのだからと、私は大好きな桜坂劇場へ寄る。映画『ダーウィンの悪夢』を観る。桜坂劇場から飲み会場所までは徒歩で6、7分の距離。映画の後、国際通りをブラブラと歩く。
 新しいホテルができていた。建築中の場所もいくつかあった。国際通りにはたくさんの人がいた。ウチナーンチュの買い物場所であり、アミューズメント通りだった昔とちっとも変わらないくらいの人通りである。ただし、その構成は違っている。昔は歩いている多くがウチナーンチュだったのに、今は多くが観光客となっている。
     
     

 記:ガジ丸 2007.3.11 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行