ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

幸せの灯

2014年10月10日 | 通信-社会・生活

 祖父母が生きている頃、つまりは私が子供の頃、私の家は円満家族だったと思う。父は真面目な勤め人で、31歳の若さでマイホームを建て、親2人、子3人の家族を養い続けた。母は働きながら家事をこなし、子を躾ける良妻賢母であった・・・と思う。
 祖父は父に対し厳しい人だったらしいが、その頃はもう隠居していて寡黙であった。祖父と父が喧嘩したり、怒鳴り合ったり、悪態ついているところを見たことがない。祖母は大人しい人で、祖母と母との間に嫁姑の諍いは無かったと記憶している。
 しかし、父と母はよく怒っていた、怒鳴っていた。それは子供達に対してである。躾なんだと思われる。私は大人しい子供で、悪ふざけをしたりすることはあまりなかったが、父母から「勉強しろ!」と怒鳴られた。私は大人しいけど、勉強嫌いであった。
 父母が「この子は勉強を嫌っているので、手に職を付けさせる方向に進ませた方がいいな」と観念して、「勉強しなさい!」と怒鳴ることをしていなければ、私は家庭が好きになったに違いない。家に帰りたくなかったので外で遅くまで遊んでいた。

 「不肖の息子は家屋敷を失いましたお詫び行脚の旅」から帰った日、先週のコラムで書いた「大失態」のお陰で家に着いたのは夜9時半過ぎ、旅の荷物を片付け、シャワーを浴びて、いつもなら夢を見始めている10時頃から晩酌。少しだけのつもりだったが、旅の楽しかったことを思い出し幸せ気分になって、寝たのは午前0時を過ぎていた。
  翌日はいつもの時間、7時頃から晩酌を始める。この日もまた、旅の楽しかったことを思い出したのだが、しかし、幸せ気分にはなれなかった。寂しくなった。
 煩がり屋の私なので、寂しいという気分は滅多に経験しない。女に振られた後の気分も寂しいというのならそれはもうたくさん、累計1500日位ある。が、一人ぼっちだからという理由で寂しさを感じたことは、少なくとも大人になってからはたぶん無い。
 それが、その日は寂しさを強く感じた。これが祭りの後の寂しさというものなのか、あるいは、旅の先々で優しくされ幸せだったのに、それが今はワンルームの、安アパートの1人の部屋で、独りで酒を飲んでいる。そんな孤独感だったかもしれない。

 会社でストレスを感じながら厳しい仕事をし、毎度ながらの残業で帰りが遅くなり、空に星がちらつく頃に疲れた体と心をぶらさげて家路を辿る。やがて、我が家の灯が見えてくる。温和な両親、優しい妻、可愛い子供達が待っている家、彼にとって家の灯は幸せの灯に違いない。心癒される灯だ、「早く家に帰りたい」と毎日、彼は思うはず。
  旅の初日の夜は、従兄Hと愉快な時間を過ごせた。翌朝の従妹Nの夫Aとの1時間も楽しい時間だった。その日の午後の叔父T家族にも歓待され楽しく過ごし、その夜の友人Iの結婚披露パーティーでは初めましての人々と歓談でき、二次会まで楽しく過ごせた。
 旅の三日目の夜は静岡県磐田、友人の才媛Kさんが美味い料理屋へ案内してくれ、彼女と楽しい時間を過ごせた、翌日は岐阜の伯母と従姉に歓待され、昼食を御馳走になり、料理上手な従姉が弁当まで作ってくれた。5泊6日、私はとても幸せだった。
 その幸福感がもう味わえない。例えば、上述の会社員がその幸せの灯を失った時のような喪失感と似たような感覚を私は感じたのかもしれない。しかしどっこい、その寂しさは長続きしなかった。自分用に買った岐阜土産の漬物が旨くて、すぐに幸せになった。
          
          

 記:2014.10.10 島乃ガジ丸