ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

過程という幸せ

2017年05月11日 | 通信-社会・生活

 現在の住まいは一軒家風で、平屋の建物を半分に分け、半分が大家、半分が店子(私)となっている。隣に住む大家Tさんは60代後半の女性で1人住まい。人の良さそうな笑顔を見せ、親切で、お菓子や飲み物、手料理などをしばしば私に恵んでくれる。
 Tさんはまた、植物が好きで、家の周りの土面にあれこれ植物を植えている。自分の部屋に面した庭や花壇にホームセンターから購入した草花を植えている。自分の部屋に面した庭や花壇だけでなく、私の部屋に面した庭や花壇にも草花を植える。庭の方は、私の都合(濡れ縁、目隠し簾設置など)により、庭の形を私好みにして以降は遠慮していただいているが、駐車場側の小さな花壇は今でもしばしば手を入れ、花を替えている。

 その花壇がある上部の窓が道路側に面し、通行する人から、あるいは向かいの家から部屋の中が丸見えとなるので、そこにグリーンカーテンを設ける計画を引っ越し当初から考えており、ハウス用パイプでアーチを設け、ネットを張り、そこにツル植物を這わすという計画であった。3月にはその設計図もでき、4月に入って、いよいよ着工した。
 大家さんは、深さ20センチほどしかないその花壇に草花の他、ハイビスカスやらキンカンやらツバキなどといった木本性の植物も植えていた。さらに、花壇の土を山盛りにして土が床下通気口を塞いでいた。通気口の前の土を除去し、その前にタイルを置いて通風を確保し、ハウスパイプの柱の基礎となるブロックが収まるよう花壇の大きさや形を少し変え、木本性の植物を鉢に移し、アーチを作り、アサガオの種を数個播いた。
 アサガオの種を播いたのは4月2日、「大家さん、グリーンカーテン用としてここにアサガオを播いたので、しばらく触らないでください」と伝える。であったが4月13日、夕方家に帰ると花壇には土が盛られ、新しい草花が植えられてあった。アサガオは芽が出ていたのか確認していなかったが、その時見たらアサガオの芽は1つもなかった。私は大いにガッカリ。4月15日、大家さんに声を掛けられ「あなたのアサガオ、雑草と思って抜いてしまったかもしれない、播き直してね」とアサガオの種を頂く。「やはり、そうであったか」と私は残念。でも、大家さんは好意でやっていること、文句は言えない。
     
     

 高さ15センチ(土は山盛りされ奥側の深さは20センチ程)、奥行き40センチ、長さ180センチ程の小さな花壇に、大家さんは異なる8種類の草花を植えてある。大家さんは種を播くなんてことをしない。既に花の咲いているポット入りの草花を植える。
 私もそういったポット入り草花を買うことがあるが、しかし、たいていは種を播く。種を播いたら芽が出るかどうかの楽しみがあり、芽が出たら成長するかどうかの楽しみがあり、成長したら花が咲くかどうかの楽しみがある。最初から花の咲いたものを植えるとそれらの楽しみが無い。どこかの誰かが咲かせた花を見るだけの楽しみしかない。
 介護施設のバイトをしている時、「Aが花壇に草花を植えるとしたら、種を播くか、既に咲いているポットのものを植えるか?」と可愛いA嬢に訊いた。彼女もまた、「苗を植える」と答えた。『察しない男、説明しない女』の中に「男は結果を、女は過程を重視する」というのがあったが、どうやら、花に関してはそうとも言えないようだ。
 種を播いて、育て、作物を得るという楽しみを出来そこない農夫の私は感じている。それはまた、生きていることそのものが楽しいということに繋がらないだろうか。
     

 記:2017.5.12 島乃ガジ丸