ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

動かさない筋肉は衰える

2006年08月04日 | 通信-社会・生活

 人類の宇宙への挑戦が始まってしばらくの間は、宇宙船は小さかった。人一人がやっと乗れるくらいの宇宙船で無重力の中を数日間過ごした宇宙飛行士は、地球へ帰ってくると立つことができないくらいに筋肉が衰えた。自力で船外へ出ることができないので、迎えに来た人に引きずり出された。まるで事故車両から救い出される怪我人みたいなのであった。そんな光景をテレビのニュースで私は何度か見ている。無重力状態では筋肉はほとんど使われないらしい。動かさない筋肉は衰えるということなのであった。
 現在は宇宙船も大きくなっており、その中で宇宙飛行士たちは体を動かすことができるようである。事故車両から救い出される怪我人みたいにならないよう、宇宙飛行士たちは宇宙船の中で筋力トレーニングをしているらしい。

 「動かさない筋肉は衰える」というのは、日常の生活にもあてはまる。中年になってからの私は、少なくとも1日20キロメートル歩いてもへばらない程度の脚力、若い女性をお姫様抱っこできるくらいの腕力、若くない女性が倒れていたら、それをオンブできるくらいの腰やお腹の筋力は鍛えておこうと思い、そうしている。

 私が体を鍛えるのは、それが私の幸せだと思っているからで、幸せの感性は人それぞれ異なる。『体に甘く内臓に厳しい人』ということで、三週前にM、ニ週前にE子の話をしたが、余分なカロリーを摂取することが幸せだと思う人は、そうしていいのだと思う。太っていることはけして不幸な事では無い。太っていることを不幸だと思うことが不幸なのだと思う。じっさいに、MもE子もいつも朗らかで、幸せそうなのである。
 彼らはきっと死ぬまで、食い物のある所へ歩けるほどの脚力、食い物を口まで運ぶ程度の腕力は持ち続けるに違いない。鍛えられた彼らの内臓は、好きなものをずっと食い続ける力を持っているに違いない。彼らは彼らが幸せに生きるための筋肉は鍛えている。
 そんな未来のある日、焼肉パーティーに出かけた私は、久々に肉をたくさん食べて、それをうまく消化できずに、それが原因となってあっけなく死んでしまう。爺さんになってもまだ体を鍛え続けている私であったが、内臓はあまり鍛えてなかったのである。
 「日頃節制して、体も鍛えていたのに、あっけないねぇ。」などとMやE子が私の葬式で、葬式料理を口に頬張りながら、大きなお腹を揺らしながら語り合うかも・・・。

 「動かさない筋肉は衰える」のだが、また、「働かない脳味噌も衰える」。
 先々週から2週間かけて、1冊の難しい本に挑戦した。けして、分厚い本では無いが、2週間かかった。2週間かけても全部は読めなかった。少なくともここ10年の間、きっちり(理解しようとして)本を読むことが私は無かったものだから、読み進むに連れて脳味噌が疲れ、ヘトヘトになり、後半部分はもう、ただ目で字を追うだけの状態となった。「怠けていたんだ、俺の脳味噌は」と、つくづく思い知らされたのであった。
 難しい本が理解できなくても、それによって、私が不幸になるということは無い。ではあるが、やはり脳味噌も少しは鍛えなくちゃ、と今日、数学の問題を一つやった。公務員試験の問題、その一つに2時間かけたが、解けなかった。うー、衰えてるなあー。

 記:2006.8.4 ガジ丸