ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

家族の縛り

2015年12月25日 | 通信-社会・生活

 私は子供には好かれる方である。年寄りにも好かれる方である。それはたぶん、私が彼らに対し優しさオーラを発しているからだと思われる。
 人の優しさを必要とする者を私は無意識に順位付けている。一に子供、二に年寄りとなっている。ということで、子供や年寄りには優しく接するが、オジサンオバサンにはあまり優しくない。オジサンオバサンは自分の責任で一人で食い物を得ることができ、他人の優しさは、あってもいいが、無くても一人で生きていける種類と思うからだ。
 オジサンオバサンでも男女に差はある。女は、特に美人だと優しくしたいと思う。男の場合は優しくしようなどとはちっとも思わない。同じ男、同じオジサン、何も言わずとも互いに適当な距離感を保って付き合えるであろうと思うからだ。
          

 さて、妙齢の美女にはあまり好かれないが、年寄りには概ね好かれる私、数年前のある日、宜野湾の畑で作業をしていると、散歩途中らしき婆様に声を掛けられ、以後、友人となった。彼女は近くに住むZ婆様、70代後半なので婆様と呼んでもいいのだが、本人は自分がそうであるとちっとも思っていない。「そうは全然見えないでしょう?」と言うけれど、私には十分そう見えている、口にはしないが。ただ、その元気さに関しては口ほどの若さはある。声は大きいし言葉もはっきりしている。そして、よく歩く。
 ほどなくして、彼女は私を家に招いてくれた。彼女は2DKの小さな一軒家の借家に住んでいた。彼女には同居人がいて、その時紹介された。同居人はH爺様。2人に婚姻関係は無い。詳しくは聞いていないが、婆様は元公務員であったH爺様の年金を頼って、爺様は婆様がやってくれる炊事洗濯といった家事を頼ってのことだと思われた。

 先日、夫婦別姓の最高裁判断がどうのこうのとラジオのニュースで聞いた。私は夫婦別姓に賛成である。別姓でも互いを思いやり、互いに優しさがあれば夫婦は夫婦だと思っている。ついでに言えば、家族制度が無くても、つまり、戸籍上の家族でなくても、互いを思いやり、互いに優しさがあれば家族は家族、夫婦は夫婦と思っている。
 家族制度というものはむしろ、庶民より官僚にとって都合の良い制度であろう。庶民を管理する上での都合だ。「この人と一緒にいたい」という心の問題は自由にして欲しいと思う。嫌になったらいつでも自由に別れることができた方が良いと思う。夫婦別姓だからといって婚姻関係という縛りが無くなるわけではないだろうが、1つの姓という縛りが無くなるだけでも少しは自由な気分になれる。夫婦別姓については、家族の絆が薄れるという意見もあるが、逆に家族の縛りが薄れると考えれば良い制度だと私は思う。

 3週間ほど前、H爺様から「引っ越した、彼女とは別れた」との電話があった。先週土曜日、引っ越し先を訪ね、H爺様から詳しい話を聞いた。一方の当事者だけからの話なので真実であると断定はできないが、別れた理由は、爺様の言葉だと少々きついので、解りやすく言うと「金遣いが荒いから」とのこと。金に対する価値観が違ったようだ。
 結果的に別れても、それはそれで私は良いと思う。Z婆様とH爺様の関係は自由なのである。嫌だと思ったら「もうこれ以上一緒には暮らしたくない」と言える。私もいつかはこういった「自由な関係で良し」とする女性に巡り合いたいと願う。
          

 記:2015.12.25 島乃ガジ丸


家族の証明

2015年12月25日 | ガジ丸のお話

 夏場は暑くて寝苦しくてぐっすり睡眠はできないが、今の時期(12月下旬)は布団1枚掛けてぐっすり寝て、深い眠り、浅い眠りを繰り返し、朝さっぱり目が覚める。
 浅い睡眠の時に夢を見ている。この頃見る夢は濃い。濃いので細かいところまで覚えている夢も多くある。夢の話は他人が聞いてもつまらないと思うが、今週のガジ丸通信『家族の縛り』のテーマ、夫婦別姓について考えている時に見た夢を1つだけ。

 場所は映画館から始まる。寝そべって観ることのできる広い映画館。上映している映画は邦画の刑事もの。私が知っている有名俳優が何人も出演しているが、岸部一徳を除いては名前が思い出せない。岸部一徳は主人公ではなく警部。主人公は追われる方の犯人、演じているのは、刑事ドラマで活躍していた人、何とかトオル、姓は思い出せない。
 映画の場面、旅館の一室で30歳くらいの女が首をくくる練習をしている。女の後ろには布団が敷いてあり、そこには2歳くらいの女児が眠っている。場面は部屋の出入口の障子戸に移り、そこには障子の破れを補修している仲居さんがいる。この仲居さんは有名な女優。30歳くらいの人、私好みの美人だが名前は思い出せない。彼女は、映画の中では主人公の恋人になるヒロイン、主人公もその旅館にいて、出会い、恋に落ちる。
 夢の中の映画の話も進むが、夢の中の私も動いている。寝そべって映画を観ている私の傍には女の子、14、5歳くらいが私に寄り添って、私に抱き着いている。
 映画は数年の時が流れ、主人公はアメリカに逃亡したが、当地の警察に捕まって取り調べ室にいる。そこに日本から来た警部、岸部一徳がいる。室内には日本人の刑事がもう1人と弁護士が2人いて、そして、主人公にしがみついている5、6歳の女の子がいる。
 「戸籍がそれほど大事ですか?この子は私を父と思い、頼りにしている。私はこの子を愛し、大切にしている。それだけで十分じゃないですか、親子じゃないですか。」と主人公が言い、心優しい警部は困った顔をし・・・、ここで映画の場面は終わり。
     
 映画は終わりだが夢は続いている。映画を観ながら、私と私に抱き着いている女子は囁き声でいろいろと話を交わしている。女子は親がおらず、身寄りもなくて養護施設で生活している中学3年生。何で知らないオッサンに抱き着いているのかというのが、この夢の核心。「私、亜沙子(仮名)の生まれ変わりなんです。あなたに会うために生まれ変わったんです。もう私を放さないでください。」と少女は言うのである。

 夢の中の私はいつものことだが、とてもモテる。モテるだけでなく世間からも一目置かれ尊敬される人間である。現実の私とは大きくかけ離れているので、私は、夢の中の私を現実の私とは違う別人格の者と捉え、彼に真迦哉(まかや)と名付けている。しかし、今回女子中学生に「もう私を放さないで」と言われているのは真迦哉では無く私。
 亜沙子とは、私が若い頃好きだった人。何度かデートはしているが、深い関係にはならないまま、いつのまにか連絡を取り合うこともなくなった人。彼女であれば、相手が真迦哉では無く私であっても、ちっとも不思議ではない。・・・夢は続く。

 「亜沙子の生まれ変わりって、亜沙子は死んだの?」
 「15年前に病気で・・・そして、すぐに生まれ変わって今、裕美って名前です。」
 それは全く信じられな話とは、私は思わなかった。何故なら、彼女の言葉使いが、14歳の少女のそれでは無く大人のそれであったから、さらに言えば、最後に会ったある夏の日の、当時27歳の亜沙子の口調にそっくりだったから。

 夢はそこから養護施設へ場面が変わり、施設の担当者との話し合いとなる。
 「裕美は私を頼ってくれています。私は裕美を養女にしたいと思っています」と私が言うと、正面の担当者では無く、隣に座っている裕美が声をあげた。
 「養女はダメです。私はあなたの妻になりたいんです。」と言う。彼女が亜沙子の生まれ変わりだと信じかけている私は「さもありなん」と思ったが、担当者は驚いて、
 「まだ中学生じゃないか、結婚なんて。」と呆れた顔をする。
 「あと1年とちょっとで私は16歳になります。それなら良いでしょう?」
 「良くないよ、君の人生はこれからだ、私の人生はたぶん、その四分の一もない。私が君にしてあげられることは、君に良い相手が見つかるまで見守るだけなんだ。」と、真面目な(たぶん、自他共にそう認めている)私は、いかにも真面目なことを言う。
 「養女でなくてもいいんです。結婚しなくてもいいんです。私はただ、あなたの傍にいたいだけなんです。」と、夢は裕美のセリフで終わった。あー、何と羨ましい夢の中の私であることよ。人にこれだけ愛されるなんて、まるで夢・・・夢なんだよ、やはり。
     
 今週のガジ丸通信『家族の縛り』を書き始めた日に見た夢、夫婦は婚姻届けが証明するものでは無い、互いに愛情を持っていることが証明となる。ついでに言えば、家族は血の繋がりが証明するものでは無い、互いに優しさを与えられるかどうかが証明となる。と、私の頭は考えていたに違いない。良い夢だった。続きが見たいものだ。

 記:2015.12.22 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次