ココロに目を向けてあげて

10年以上かけて辿り着いた「感情のチェック」の完成によって、「心の安定」を得てもらうためのブログです。

「心と自我」を理解するために最も必要なこと

2017-05-18 18:21:48 | 日記
お久し振りです。


今回は「心と自我」について、
というより、
それを知るためにとても大切なことを述べますね。






それは、

『この(目に見えない世界を含めた)世界を創造した【全知全能の神】の存在を私は信じている』

ということです。



これは、信じない人からすれば、この時点で読む気を失くすんでしょうけど、ちよっと待って頂きたい。




まずここで述べる神の定義は、人智を超えた存在であるということです。


旧約聖書なんかに登場する【妬みの神】のように人間的な存在を言っているのではありません。


私が言っているのは、文字通り【全知全能】なんだから遥かに人間を超えた存在と考えるべきです。




しかし、世の中には、
「神なんていない」
「神は人間が作ったものだ」
という人もいます。


その中には、
神がいるなら何故“不幸な出来事”が起きるのか。


何故戦争など起こるのか、起こったとしても終わらせないのか。
といった疑問を投げかける人がいますが、
そもそもそんな風に考える時点で、人間の勝手な言い分だなぁと感じます。


戦争などを起こしているのは人間なんですから。

人間の方で改めるべきではないでしょうか。

しかし、と食い下がる人は多いでしょう。

『それはそうだけど、人が死んでいくのは救うべきではないか』
『しかも、戦争を起こそうとした人じゃない人まで巻き添いを食っているのだ』

という言い分は耳にタコができるほど聞きました。





そこで、大切なのが


【世界の真実】です。


世界は、いや宇宙は、と言っていいと思いますが、

多次元であって、私たちが生きている物質界である【3次元】だけではないんです。




つまり、
私たち人間に限らず、
霊的な存在としてのエネルギーが、私たちの「本来の姿」なんです。


それを「魂」と呼んだりもしています。

そして、その中心にあるのが、「心」なんです。



人はいつかこの世を去ります。

その時に、当然肉体は死にますが、
それはこの世で生きる上で必要な乗り物から降りるということなんです。


もちろん、だからと言って肉体を粗末にしていいという話ではありません。


私が言っているのは、
【霊的な存在としての自分】
或いは【魂としての自分】を大切にしなければならないということです。

ただ、
この【霊的】或いは【魂】ということが分からない人が多いでしょうから、
一般的な言葉で通じるように【心】或いは【感情】の段階の話をしているんですね。


魂や霊的な自分というのが分からないなら、
取り敢えず感情的にならない努力をして、
心の平静を目指して欲しいんです。


だからこそ、
まずは感情のチェックなんですが、
最終的に神を信じられないならば、
結局は自分のことを含め、真実の世界のことは全く理解できなかったということでしょうね。

残念ながら。


そして、いつまでも【肉体としての命】のことばかりを言い続けるのです。

「神がいるなら何故(肉体としての命を)救ってあげないんだ」とね。




ところで、
心の話をするために
何故、神の話が出てくるのかと思いますよね。




何度も言ってきましたが、心は目に見えません。

しかし、“ある”というのが前提です。

ならば、
何故あるんでしょう、ということになります。



人間が創造できるはずはないけど、
だからと言って“偶然”なんてバカげた考えなども論外です。

まさに思考停止状態です。




人智を超えた存在にしか「心」は創造はできません。

そして、この考えこそが、

人間を【傲慢】から救うのです。




自我の苦しみから解放するためなんです。






まずは感情のチェックです。

そして、
もし感情のチェックが進み、
感情の源である自我を見つけられたなら、

次に、
【心】に踏み込んでみて下さい。


そしてその時に大切なのが、
「自我」を捨てるということです。


実はここで、
心というものをどのように捉えているかが問題になってきます。


以前に述べたように自我は本来のあなたではない。

個性と思っているかも知れないが、
それを個性だと思うなら、
感情のチェックの末に発見するであろう自我と対面した時のショックは並ではありません。


それを覚悟して下さい。


だからこそ、
素直な心を掴むためにも、
自我を個性などと考えずに捨て去る勇気を持って欲しいんです。




では、どうやって捨てるか。




神に委ねて下さい。


神に受けとめてもらうんです。


自我を。





ま、結局こういうことなんですね。



信仰心のない人が、
全ての感情の源である【自我からくる欲求】を発見することは可能だと思います。

しかし、
ここまで冷静にチェックを続けていた人ならば、
おそらくは最後に発見した【自我】と、
それが抱えている【欲求】と向き合い続けることは、
苦しみ以外のなにものでもないでしょう。



しかし、
【世界を創造した存在】を受け入れたならば、
自分を取り巻く世界が広がることを実感できるはずです。




真に信仰心のある人なら、
自我を捨てることは簡単です。


そして、
ここで初めて【素直で真ん丸い心】を自覚することになるでしょう。


そして、決して個性を失ったなどとは思わないだけでなく、
寧ろ、なんとも形容し難い程の充実感を心の内に感じることができるはずです。



心の豊かなることを実感できるでしょうね。




【心】の自由を勝ち取るためには【自我】を捨てることが大切なんです。



それ故の、感情のチェックという訳です。