あおてんとは青空をバックにタンチョウが飛行している姿を撮影することを青天と言います、タンチョウカメラマンの仲間内の言葉です。
タンチョウを撮影を始めた頃は8mmムービーカメラニコンR10をメインに動画を撮影して写真はアサヒペンタックスSPFを使っていました、高い望遠レンズは買えないので新古品のようなヤシノン400mmf5.6を買いました(スクリューウマウント)、今はビックカメラに吸収されたカメラのサクラヤ新宿東口店、ヨドバシの隣で現在はビックカメラの店になっています。
あおてんとは青空をバックにタンチョウが飛行している姿を撮影することを青天と言います、タンチョウカメラマンの仲間内の言葉です。
タンチョウを撮影を始めた頃は8mmムービーカメラニコンR10をメインに動画を撮影して写真はアサヒペンタックスSPFを使っていました、高い望遠レンズは買えないので新古品のようなヤシノン400mmf5.6を買いました(スクリューウマウント)、今はビックカメラに吸収されたカメラのサクラヤ新宿東口店、ヨドバシの隣で現在はビックカメラの店になっています。
タンチョウの撮影を始めるきっかけは、冬の北海道各地の雪祭りや氷祭りを見にYHに泊りりながら旅行していたとき、釧路のYHで雨のため時間を持て余していたとき、鶴でも見に行けばと声をかけられ路線バスで1時間程の鶴居村鶴見台で鶴を見たのが始まりでした。
見学をしている我々の頭上を雨上がりの青空に白と黒のコントラスト鮮やかなタンチョウが飛ぶ姿にすっかり魅了されました。
写真は当時の物ではありませんが2001年撮影です。
晴海フェリーターミナルから釧路まで近海郵船がフェリーを運航していましたが、1999年11月末で終了しました。しかし苫小牧へは大洗と仙台からフェリーが運航されています、タンチョウ撮影で釧路に東京から直接上陸できなくなりました、苫小牧から1日かけ釧路に車で行く途中に天馬街道があります山間部を行くので雪が多くありホイールが写真のように。
昔の写真です。
1978年頃のタンチョウ撮影で目に付いた機材はニコンの望遠レンズにペンタックス67ボディーの組み合わせでした、当時のニコン望遠レンズは400mm600mm800mm1200mmの4本あり共通のフォーカシングユニットと組み合わせて使います。なぜペンタ67を使えたかは、ゼンザブロニカEC用にニコンが交換レンズを供給していて望遠レンズはそのままにフォーカシングユニットのマウウント部をEC用の仕様に替えていたのでイメージサークルは67も確保できマウント部を67用に改造いていました。