blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

2004年3月 龍神伝心

2008-03-17 | 龍神伝心
2003年12月9日。
見沼田圃野沢担当主幹(当時)は、福祉農園の障害者用トイレの更新工事を突如中止しました。
そして、一方的に、我々との話し合いを拒絶した。
行政が制裁措置を行うためには、
当事者に説明責任と証拠を示す義務がありますが何の説明もありませんでした。
障害者用トイレの問題は福祉農園を利用する身体障害者にとっては深刻な問題です。
福祉農園として障害者の人権に関わる問題を放置することは出来ないので、
桶川の北村市議や白石県議の尽力で2004年1月23日の話し合いを行い、以下の三点を確認しました。

・障害者用トイレに関しては、無条件で即急に設置する。
・福祉農園の土地利用のあり方について、
 県と福祉農園関係者が現地で前向きな話し合いをする。
・総合政策部、農林部が協議し福祉農園の持続可能な方策を示す。

3月19日にトイレの更新工事が終わり、県が約束したことのうち一つが実現しました。
ここで問題になるのが、障害者用トイレの更新工事が中止になった理由が、さいたま市農政課が県に対して行った「福祉農園は違法」という指摘です。
この指摘に合せるように、2004年1月6日。県を訪れた見沼・風の学校のスタッフに見沼担当の野沢主幹が(当時)が、
「福祉農園をなくすというわけではないが、法律を犯してしまった場合には存続は難しい」と県の担当者は発言しています。
市農政課が「違法」と問題にしていた「強固な構造物」は、県知事が1999年3月都市計画法に基づいて
相川旧浦和市長に計画通知を行い設置したもので『違法』なものではありません。


福祉農園は農地法上問題があるとも言っています。
確かに農地法上、農家資格のないものが農地で耕作を持続的に行うことは問題になります。
これは福祉農園だけでなく、非農家の市民が継続して農芸活動することを前提にした公有地化事業も問題になります。
このことを以前、農水省の審議官に聞いたことがあります。
審議官は、新・農基法と農地法の整合性が諮られていないことによる矛盾があることを認めていました。
「農業に対する理解には、市民の農業への参加は欠かせない。福祉農園の実践は農業の多面的機能を示す試みとして注目している。
角を矯めて牛を殺すようになってはならないので、関係機関に弾力的に法を運用するように伝える」とのことでした。
福祉農園は畑作が中心ですから、一年中休みなく何らかの形で農業が行われています。
このため、農機具が常時、傍になければ農作業は出来ません。
現在、福祉農園には耕運機が5台、ハンマーナイフモアーや、動力付運搬車が1台、刈払い機が5台、鎌、鍬30、スコップ20、一輪車が8台、発電機、
風力発電機、寒冷紗が数百メートル、苦土石灰が二トン、堆肥が常時四トン、バケツ、チェンソー、サンダー、
電気ドリル等の農具のメンテナンス用工具類など多くの農具や工具があります。

開園当初、
これらの農具や工具を収める農具小屋が農園にはなく、このため県と協議しながら農具小屋や日陰小屋を作りました。
福祉農園は農業振興地区にありますから、農業に必要な施設の設置は奨励されている。
私たちは、県の農業振興地域整備基本計画と、見沼田圃公有地化事業の基本方針と整合するよう福祉農園作りをすすめてます。
さいたま市の農政担当は農業関連法や見沼田圃公有地化事業をあまり理解していないため、県の基本計画や方針と整合性が諮られていない。
この間の混乱は、この辺に問題があるように思います。

以下は土屋前知事の議会における発言です。
「私はこの首都近郊に残されました貴重な大規模の緑地空間を保全し、次の世代へ引き継いで参りますため見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針を定めて、
農地・公園・緑地等として活用を図るとともに、さいたま環境創造基金を活用した公有地化事業等の施策を推進して参りました。
見沼田圃の福祉農園も、この公有地化事業により借り受けました農地の活用方策の一つでございます。
これは障害者の方々に作物を育て収穫する喜びを味わっていただくとともに、
その交流の場となるよう開設したものでございまして、大きな成果をあげていると聞いております。
私も農園の行事におじゃまをいたしまして、農園での楽しかったお話や苦労話をお聞きしながら利用者の皆さん方の生き生きとした様子、
喜んで頂いておる様子に大変感動をいたした次第でございます。

福祉農園の支援に関するご要望につきましては、関係部局に対しまして農作業に対する技術的支援や、付帯施設の整備改善、
新たな農機具の貸与など、出来るところ取り組ませて頂きますとともに、係部が一体となって相談をお受けする場を設置させたいと思っています。
私は、これからも生き生きとした笑顔にあふれる福祉農園として利用していただけますよう、全力で支援して参りたいと考えております」。
議会における前県知事の発言が福祉農園の原点です。
一月初旬、さいたま市の農政担当から電話があり、福祉農園に関する県への指摘は「政治の問題」であると話していた。
政治の問題の中身については話してくれませんでしたが、福祉農園に関して「違法」と圧力をかける政治家がいるようです。

2003年12月 龍神伝心 風雲急

2008-03-17 | 龍神伝心
埼玉県の見沼担当から、
「さいたま市の農業委員会から、農園の農機具置き場に関してクレームが出て、
さいたま市の農政と板ばさみになり苦慮しているとの連絡があり、12月10日、さいたま市役所に行ってきました。
「福祉農園のことで農業委員会から県にクレームがきているとの話ですがどのようなことですか」と聞くと
「クレームは特に来ていません。初耳す。福祉農園の事業主体は県ですから県が直接対応するはずです」との答が返ってきた。

その後、市の農業政策課に回る。
農政担当高埜氏が対応したが、その内容が尋常ではない。
「県のからは『プレハブ等は農園の代表者が勝手に建てたもと聞いている。
農業的な土地利用をすべきところに、プレハブのような強固な建物があるのはまずい。
福祉農園の場所は、農振法に基づく農業振興地域なので建物は作れない。
県の方へ、ちゃんとした指導をするように強く申し入れた。
福祉農園の場所は、農振法に基づく農業振興地域なので建物は作れない。県は農振地区域を指導する権限がない。
一時転用は期限があるのでそれが理由にはならない。県は計画性が無く任を持って事業をしていない。
(旧)浦和市はこのことに目をつぶっていた。
もっと早く(旧)浦和市がこの問題を取り上げていればこのような事態にもならなかった。
芝生広場に関しても、芝の育成をしていると解釈せざるをえない。井戸、パーゴラ、物置も違法である。」

私が 「プレハブ小屋や物置、トイレ、井戸、パーゴラ、芝生広場、ベンチは県が設置したもの。
農業委員会は『クレームは特に来ていない。初耳だ。事業主体が県なので、県が直接対応するはずと言っているが』と問うと。

高埜主任はそれには答えず
「行政の継続性の問題もある。感情的になって県を責めれば、福祉農園の立場はより危うくなるだろう。
もし、県と市でこの問題を解決することになると、番被害を受けるのは福祉農園で一生懸命活動している人たちであろう。
農園で活動する人たちに考慮して、市としても県に意見書を出さない」と答えていた。

さいたま市農政課高埜主任の指摘には,根拠がない
芝生広場とプレハブ、物置、トイレ、パーゴラ、ベンチのある敷地に建物を建てるとき、
都市計画法上の計画通知(建築確認)をしているので許可を取る必要はない。
農地法に関しては、県が許可権者なので、県の事業については申請する必要がないという仕組みになっている。
農地の一時転用は、県の事業であれば市町村が手を出せない「許可不要案件」でもある。

開園の時、埼玉県は、芝生広場とプレハブ、物置、トイレ、パーゴラ、ベンチのある敷地に関して、
都計画法上の計画通知を旧浦和市に提出し、農地の一時転用の手続きをしている。
いずれにしろ、計画通知は出ているので、市に許可を取る必要はない。また農振法では、農業施設を建設することも可能である。

農地の「一時転用」とは何か?
農地を一時的に農業以外の目的にしようする手続き。転用の期間は3年で県が「一時転用」を更新する場合
一時転用の開始時点から三年が過ぎても、その事業が継続すれば自動的に更新されるそういう仕組みになっている。
それではなぜ地目変更(恒久的な転用)ではなく、一時転用だったのか?
公有地化事業は永久の事業ではなく、緊急避難的に農地を所有する事業。
現在実施している事業に関しても、状況の変化で変わっていく能性がある。
また農振農用地である以上、一部が地目変更されていると、区画が虫食い状になり不都合が生じる。
いずれにしろ、建設当時の建物に関しては文句を言われる筋合いはまったくなく、農業施設に関しても問題はない。

見沼は農振農用地(農振法)で守ってい
昭和48年に見沼田んぼ全域を農振農用地に指定している。
都市計画法が指定する「市街化調整区域」では、学校・公益法人等の開発が可能になる。
農地法で守れるのは、生産力の高い優良農地のみ開発の余地がある。このため農振法の網をかけた。
※農振法は、農業施設を建設することは可能でもある。

それでは今ある建物は違法なのか?
「はじめにつくったときから違法であった」とさいたまの農政課は言っているが、都市計画法34条4号該当適用除外である。
農地法においても県がつくった農業用施設であるため適用除外。
芝生広場とプレハブ、物置、トイレ、パーゴラ、ベンチのある敷地は農振法上の「一時転用」の手続きをキチンとしてある。
開園時、農園活動のための建物に関しては、違法なものは何もない。
また増築された建物に関しても、農業施設であれば問題はない。
これらの話は、福祉農園の管理運営を受託したとき県との確認事項だが、
後任の担当者にきちんと引継ぎが行われなかったようである。

朝日新聞埼玉版2001年4月7日土曜日からの転載
知恵市民が耕し守る緑地
地べたに並べた木のいすに座り、話し合う。「利用するだけじゃなく土作りをやろう」「資金も人手も足りない」。
議論は続き、やがて日も暮れていく。見沼田んぼの福祉農園で月1回開かれる協議会の様子だ。
九八年度から始まった公有地化事業で、県が買い取ったり借り受けたりした農地は約一四ヘクタール。
市民が農園などとして利用し、農作物が青々と茂る。
公有地化事業は開発を規制しつつ住民参加による保全活用をめざす。全国でも珍しい知恵だ。
福祉農園はその1つとして99年春に開園した野菜を栽培している。
障害者と住民、福祉施設の職員らボランティアの交流が実し、今年2月の大阪府庁をはじめ自治体の視察も多い。
「有機野菜がほしい」と東京の有名レストランのシェフもやってくる。

この2年間は順調だったわけではない。昨夏は「たまに来るだけでは農園は維持できない」という実感が重くのしかかった。
面積が8000平方メートルに広がり、土作りが本格化した。
耕作放棄地が多く排水が悪い。雑草の根がはった。農薬によらず、人手頼りの草取りは大変な手間だった。
ボランティアが早朝立ち寄って畑へ。障害者ら利用者は約200人いるが、実際にはボランティアに負う部分が大きい。

自立模索する福祉農園
今年2月、福祉農園の猪瀬良一代表は土屋知事らに要望書を出した。
続いて3月6日、行政が福祉農園とどう連携するかという問題が県議会で取り上げられ、知事は支援を約束した。
直後に県は支援のための連絡会議を発足させた。

批判もある
見沼田圃(たんぼ)保全市民連絡会代表の村上明夫浦和市議は
「保全をめざす公有地化の金で授産施設ができた。福祉農園の目的は障害者の自立であって保全ではない」と手厳しい。
猪瀬代表は
「市民みんなの福祉をめざしている。福祉の予算でやれというのは縦割り的発想。農業をまっとうすることで見沼は守れる」
という立場だ。

2003年6月ダジャー・モンスーン・バンド=素敵なアジアの風のバンド

2008-03-17 | 龍神伝心
6月22日・夏至の日
農園では全国で繰り広げられた『百万人のキャンドルナイト2003』に連帯して、
見沼・風の学校が主催して『ダジャー・モンスーン・コンサート・2003』が開催された。
『電気を消して焚き火をしよう、その暖かい闇の中へ」
若者を中心に発電所の電気を使わず、焚き火を囲み、作り、食い、語り、考え、歌い、踊りました。
『ダジャー』とはタイの山岳民族が使うラフ語で『素敵な』と言う意味だそうで、
『ダジャー・モンスーン・コンサート』とは素敵な「アジアの風のコンサート」と言う意味になります。
ジャー・モンスーン・バンド=素敵なアジアの風のバンド
現地の人々や農業者大学校学生との交流の中で生まれたのが「ダジャー・モンスーン・バンド」です。

当日は農業者大学校から元気な農業後継者が参加してスタディーツアーさながらに盛り上がった集いになった。
ダジャー・モンスーン・バンドの演奏で開演し、はちみつくまさん総帥による居合道+反原発講話。
東京農業大学マンドリン部OBOG有志による演奏、独立行政法人農業者大学校有志による郷土自慢の一発芸。
辻浩司+仮屋崎(わらじの会)による「パホーマンス・魂の叫び」。
東京農業大学OB・OG有志+参加者一同による、
今では農園でお馴染みになった『大根踊り』など次々演じられました。
この春、見沼・風の学校の校長でもある小松光一が企画した北タイ・スタディツアー2003に農園から多くの若者が参加しました。
そのツアーには独立行政法人農業者大学校から若き農業後継者も参加していました。

003年4月 龍神伝心 福祉農園は今春5回目の春を迎えます

2008-03-17 | 龍神伝心

見沼田んぼに学生らが「風の学校」朝日新聞2003年1月25日朝刊より
子どもと探検や畑作り
『さいたま市と川口市に広がる見沼田んぼで、首都圏の学生が中心になって「見沼・風の学校」を作り、活動している。
見沼を丸ごと「学校」「創造空間」と位置づけ、子どもと共に農業や自然にふれようという試み。
畑作りや農業講習会、キャンプなどを通し、環境保護の心を育てる。
2年目を迎え、地元農家や子どもたちとの交流が広がっている。
風の学校は見沼田んぼ福祉農園(さいたま市南部領辻)を拠点に、昨年1月生まれた。事務局長の猪瀬浩平さん(24)は東大大学院2年。
スタッフ18人中13人が立教大、東京農大などの学生で、福祉施設の職員やフリーターもいる。
(注これは記者が取材に来たときの参加していたスタッフの数です。学生スタッフはもっと沢山います)。
大半が鍬(くわ)を握ったこともない素人の現代っ子だ。


首都圏の学生ら活動
学生らは一昨年夏ごろからボランティアとして農園に通っていた。「子どもを切り口に何かやろう」そんな声が出て、学校をつくった。
ふだんの畑作りに加えて月一回、見沼の探検や農園の野菜を使った料理づくりなどを子どもと体験する。
名付て「のうぎょう少年団」。使用するテキストは学生たちの手作りだ。夏にはサバイバルキャンプ、カヌーで見沼代用水の川下りなども行った。
地元や東京都内から5~12歳の子ども約20人が参加、なかには毎週末、通う子もいる。
市内の小学4年生、園田知弘君(10)は「空気がとてもいいし、ここで食べるおにぎりはおいしいよ」。
農作業するうち、学生たちは「自分で食べるものを作る」という手ごたえを感じた。
人間関係も広がった。猪瀬さんは手に取る本が変わった。「現代思想がつまらなくなって、現代農業の本を読むようになりました」と笑う。
最初はおしゃれな格好だった学生が、日焼けしてTシャツ姿で穴掘りをするようになった。
川下りの時は自分たちでトラスト用地の竹を切り、いかだ作りに挑戦した。
材料集めから時間をかけ、初めて見沼田んぼの存在を体感できるようになった。
一日限りのイベントより、週末の農園に常にだれか大人がいるようにしよう、と決めた。
最初は「お客さん」だった子どもたちが、今では「何か仕事ない?」「工具の使い方教えて」と学生に聞いてくる。
引っ込み思案の優等生が、のびのびと芝生に寝っ転がる。
猪瀬さんは「見沼を舞台に人が出会い、旅立って帰ってくる場所。そんな邑(むら)を作りたい」と話す。』
『見沼という名称はダサイ・地価が下がる』と言う認識を改めるのは、こうした活動の積み重ねしかないのだと思う。


農薬問題緊急集会・アイガモも牛乳も農薬か?
改正農薬取法集会アピールなるメールで送り届けられた。
農園の池や水辺に生息するトンボは虫を食べて生活しているから、池(=ビオトープ)やこれからは水辺も農薬と言うことになるのだろうか?
ヤギや羊、七面鳥、鶏も雑草を食べるから農薬になるのかなぁ?
福祉農園では、人が除草しているから人間も除草剤として「特定農薬」に指定されるのだろうか?
役人の考えることは理解しにくいことが多い。

農薬イコール悪とする考え方には疑問があります。」
日本は今、認証団体に高い金を払って認証したものしか有機農産物として認められないという変な制度になっています。
認証団体を儲けさせるだけなので福祉農園では「有機栽培」だとかの表示はしていません。
農薬問題緊急集会に参加している団体は有機農産物の「認証」を商売にしているところが多いので、
これは産業団体と監督官庁の争いなのではないでしょうか?
見沼田んぼ福祉農園でも今度「特定農薬」に指定される、木酢液や牛乳、
米ぬかは使っていますが、見沼田んぼ福祉農園ではそのほかの農薬は使っていません。
それは農薬を使う知識も技術もないからでもあります。
肥料分は堆肥が主ですから有機農法で栽培していると言って良いのですが、
農園のようすを人々に直接伝えて、農園の野菜を食べている人たちに「認証」してもらっています。
「口に入るものは、口から伝える」のが一番
「口に入るものは、口から伝える」のが一番分かりやすい。
それが信頼につながるのだと思います。
食の安全性と環境への配慮は生産者にとって生き残りをかけた課題になっています。
私の友人に生産農家が多く、彼等の取り組みを知っているので、農薬イコール悪とする考え方には疑問があります。
農薬や農業機械を使った農業を近代農業と言うのだと思います。産業としての農業にとってそれは必要なことです。
要はそれをどう使うかです。
福祉農園は人手と人の知恵を使った本来の在来農法に近い農業活動です。在来農法というのが本来の有機農業というものだと思います。
現在の産業は人に関わるコストがもっとも高い、福祉農園には人が集まる条件があるので、
人の手をかけることができる在来農法(=本当の意味の有機農法)で農業活動ができるのです。

2002年11月 加田屋川を清流に

2008-03-17 | 龍神伝心
収穫祭が終わると

収穫祭が終わると冬が訪れるのを実感します。
昨年は収穫祭の翌日に霜が降りました。今年は収穫祭より五日ほど早く霜が降りたようです。
霜が降りると来年の作付けにに向けた土づくりの準備が始まります。
堆肥を畑に運び、耕耘機で鋤き込みます。
小川の護岸作業や、池の整備、トラスト用地からの竹運びなどが冬の仕事です。
こうした作業をまに続けていると、
暑さの厳しい夏を乗り切る体力、気力が人にもまた農園の土にも自然についてきます。

見沼田んぼ福祉農園は、
リサイクル(循環)、エコロジー、バリアフリー、オーガニック、いきものと共生する里づくりを試みる場
として農園作りを進めています。
こうしたエコロジカルな場の作り方を「エコロジカルデザイン」と呼んでいます。
エコロジカル・デザインとは
エコロジカル・デザインの提唱者で第一人者のシム・ヴァンダーリン氏は
自然の仕組みに沿ったデザインと位 置づけ、
その実践には
1、場所に深く適合したデザインであること。
2、エコ収支によるデザイン決定がなされること。
3、自然の仕組みに沿ったデザインであること。
4、誰もがデザイナーたりうること。
5、自然の仕組みをわかりやすく視覚化できること。

この5つの原則が欠かせないと言っています。
農園での実践を踏まえてエコロジカル・デザインを考えると、
エコロジカル・デザインの土台になるのが「土づくりは人づくり」の考え方です。

土づくりは人づくり」
農園の土台づくりは農園ボランティアの方々の多大な貢献によるものです。
農園ボランティアの方々や農園周辺の農家の、農園への支援や貢献の意味は、
農園の主人公が活躍する土台づくりをしてくれたことです。

一昨年の秋から農園ボランティアの新城さんや浜田さん、大井さんの手で
開墾が進められていた第二農園は、何とか彼らが畑として活用できるようになりまた。
昨年の夏から、大井さんや浜田さん、新城さんが試験栽培をしていた第三農園も、この秋、
デイケアわくわくの若者達によって堆肥が運び込まれ、畑として利用できるようになりました。
彼らが堆肥を運び込んだ第三農園では、ぺんぎん村の富沢さんと、
農園ボランティアの大井さんの手で玉ねぎの苗の植え付けが始まっています。
三年目の冬をむかえ、鍬や一輪車、耕耘機を使いこなす、
良太や直哉、晴彦、西村君達の動きに「土づくりは人づくり」の手応えを感じています。

加田屋川を清流に
農園作りで培ったエコロジカル・デザインの考えは農園に留まるものではありません。
農園周辺の環境の保全にも目を向ける段階をむかえています。
その最初の取り組が農園のわきを流れる加田屋川の浄化の問題です。
加田屋川の浄化や整備は、コンクリートの三面張りではなく、魚の棲家となるよう川岸を整備し、
岸辺には植生を回復させ、水中には水生生物の生育環境が提供されなければなりません。
治水面の安全性を確保しながら、生物の生息や生育環境を守り、「自然と調和した川づくり」が求められます。
また、瀬や淵など川独特の蛇行形状を保存し、多自然型川づくりを進め、
周辺住民の水辺を楽しむ空間として整備されなければなりません。
生活排水が流れ込み、産廃やゴミの不法投棄の絶えない加田屋川を清流にもどすことは、
見沼田んぼの恩恵を受ける人間の使命だと思います。

2004年4月 龍神伝心 独立行政法人農業者大学校来園

2008-03-17 | 龍神伝心
今年も独立行政法人農業者大学校の一年生総勢30人が、福祉農園と風の学校の見学にやってきました。

女性四人を含む、殆ど全てが農家の後継者です。

交流会では
「作物の種類が豊富だが、もっとこの土地にあったものに絞った方が良いのでは」といった、意見も出されました。
学生の一人が
全国の畑を見て回っているが、こんなに雑草の種類の多い畑は見たとがない」と感心していた。
我が農園は、命(種)の多様性が保たれた不思議畑と見えるのだそうです。

農業者大学校の一行に同行取材した、農村報知新聞社編集部槙野さんからのメールです。
昨日はありがとうございました。見沼への訪問は初めてだったのですが、
都心に近い場所にあれほどまでにゆったりとした自然が残されていることと、
風の学校で活躍されている猪瀬様を初めとした多くの人々の人間性に、
驚くと同時に、ホッと安らぐような気持ちになりました。
農者大の学生さん方も「こんな形の農業があるんだなぁ」「農業っていろんなことができるんだなぁ」と、
帰りのバスの中でも見沼・風の学校の話題で盛り上がりました。
私も含めて心動かされるところがあったのではないかと思います。

5月中旬、第三農園に鴨が巣を作り、卵を温め始めました。
これも「見沼の自然との共生」を追求してきた、福祉農園六年間の成果かもしれません。
もしかしたら親子鴨の行進を見られるかもしれないと楽しみにしていたのですが・・・・
20日前後で羽化するそうなのですが、心配なのは、カラスのことです、カラスは野鳥の卵や雛を獲ります。
カラスから鴨の卵や雛を守る必要があるので、親鴨にストレスを与えないように、支柱などを立てて対策したのです。
心配が的中して、カラスに卵を獲られてしまったようです。
本来なら子育てに忙しいはずの夫婦の鴨が、農園の池で所在無く泳いでいます。



写真は福祉農園の西側を流れる加田屋川の基点部の写真です。

見沼を流れる川の源が、新興住宅の下水のようなところとは考えさせられます。
見沼の環境保全の問題は都市問題なのだと言うことを改めて痛感させられます。
農園の活動の目的は、見沼田んぼの保全ですが、相変わらず福祉農園のことを障害者団体用の貸し農園と勘違いしている人がいて、
管理運営責任者である私の方に連絡や許可を得ることなく、
その種のイベントが行われることがあり苦慮しています。

そうした利用者に環境保全上の注意を作りました。
1、畑に入らない。
2、ゴミは持ち帰る。
3、農園の施設には入らない。
(プレハブ小屋、物置、農機具小屋、ハウスなど)
4、園内を見学する場合は、代表や農園スタッフに案内を求める。
5、井戸、焚き火の管理は、農園スタッフが行う。
6、食器などの洗浄の必要なものは持ち帰る。
7、参加者に代表もしくは農園スタッフから農園に関する説明の時間を設ける。等です。


情報 福祉農園の畑から古銭「文久永宝発見

農園の畑から古銭「文久永宝」が発見されました。1863年頃に鋳造ですから江戸末期のお金です。
この貨幣は、「四文」の価値があったそうですが、それがどのくらいの価値にあたるのでしょうか?
詳しい人、教えてください。
ちなみに、享保16年(1731年)、埼玉市北部、東大宮駅周辺から見沼代用水で、江戸までの運賃は75文だそうです。
昭和28年まで銀行で交換してもらえたので、江戸時代に落としたかどうか分かりませんが、140年前に落とした可能性も十分あります。
このお金から分かることは、
○ やはり昔から、見沼では、人が文化的な生活を送っていた。
○ 昔から、田んぼの中にモノを落とす「うっかモノ」が居た。
○ 近年では、文明も進み、自動車の鍵や、携帯も落とせる…。)
○ 10円玉を農園の畑に落としたら、100年以上は原型をとどめて残る。
故にゴミは、持ち帰りましょう。

【結論】色々なものが、記録として役に立ちます。意図しなかったものが、もたらす情報がいっぱいあります

2002年5月 龍神伝心 今年の春は何か変です

2008-03-17 | 龍神伝心
今年の春は何か変です
いつもの年なら、芝生が生えそろった頃芽を出す雑草が、芝が生えそろう前に芽を出し、花を咲かせ種を飛ばしています。
去年までは、
雑草が種を飛ばす前に芝刈り機をかけたので芝生広場の雑草退治はあまり苦労せずにすんだのですが、
今年は春の訪れが早過ぎたため自然のリズムが狂って、芝生広場の雑草退治には苦労しています。

5月12日は4回目の開園記念日
今年もあまり大げさな準備はせずに、
芝生広場で「朗読会」を開いたり、
地元南部領辻の「竜頭の舞い」の奉納の見学など、
それぞれに春の農園の一日を楽しみました。


予報が外れて、一向に雨は落ちてこない

5月18日の早朝は土砂降りの雨。天気予報も終日雨と予報していた。
この日は風の学校が開講のはずだったが、これでは無理だろうと午前7時に次週5月25日に延期が決まる。

中止の連絡を知らずに誰か来るとまずいと、見沼・風の学校の事務局長と車で午前8時半頃に農園に向う。
途中、東浦和駅で見沼・風の学校のスタッフ佐藤君と植松君をひろい農園に直行。
農園を見て回っていると農園スタッフのエナミさんがアウトア用の雨具で完全武装して農園に到着。
都内から中央線と武蔵野線を乗り継いで東浦和の駅からバスに乗り換えて宮本2丁目まで、バス停から歩いてきたとのこと。
施設連絡会のバザーで18日は農園に顔を出せないはずだったOさんも雨でバザーが中止になったとのことでひょっこりと顔を見せた。
畑を回りながら「今日何をしようか」などと話していると新座の小学六年生田口君が
これも雨用の完全武装で現れ「2月も雨の日にやったので今日もやると思った」と。それで新座からJRとバスを乗り継いで来たとのこと。

皆で枝豆の種植えなどをしていたらK君が飄然と現れた。
予報が外れて、一向に雨は落ちてこない。そろそろおなかが減ったので、火を焚いて昼の準備をする。今日も恒例のカレーライスだ。
昼食の準備が終わった頃、Iさんが登場。
横浜で泊り込みの介護の研修を朝までこなし、柏まで戻って着替えをしてから武蔵野線で東浦和まで周り、駅からバスに乗り換えて農園まできたのだそうです。
そして、風の学校の生徒親子も合流してにぎやかな昼食になった。

予報が外れて、一向に雨は落ちてこない。
小学生田口君の提案で昼食後、若者たちは三角ベースに打ち興じていた。農園の芝生広場でやる野球も捨てたものではない。

遠くを見ると南部領辻の自治会の人たちが「ボランティア水田」の準備のために田んぼで作業を始めたので、交代で全員が挨拶に伺った。
いつもお世話になっている厚沢さんから「6月2日に田植えがやるから、びにおいでと」お誘いを受けた。
皆さん、6月2日南部領辻の自治会が管理する田んぼの田植えに参加しませんか。結構楽しいですよ。
今回の風の学校は少人数でゆったりとした一日になった。これもまた一興である。
雨に洗われて空気が澄んだようで、夕日が一層きれいに見えて、それが印象に残る一日だった。
春というより、初夏を思わせる日々が続いて農園も活気づいてきている。活気付いているのは農園ばかりではない。

最近、農園のホームページへのアクセスも活発でカウンターが1日百近くになってきている。
そして、ホームページを見て農園ボランティアの志願するメールを送ってきてくれる若者がまた増えてきている。
「はじめまして。
私はさいたま市で会社員をしており、
現在、参加型開発や人材育成,組織強化などODAのソフト分野を主要活動分野としている開発コンサルタントの会社に努めていて、
もともと国際協力に興味をもっています。
しかし自分が特にこれといった専門をもつわけでもなく、また日本で、地域で目的をもった活動をしているわけでもなく、
このような状態なので国際協力はいつまでたっても自分にとって遠い存在のままになってしまいそうです。『まずは足元から』最近はそう思います。
そこから広げていくのが一番頑丈な方法だと思います。環境教育や作業療法士に興味があり、もちろん自然が大好きです。
今回見沼田んぼ福祉農園のサイトを偶然見つけたのも何かの縁なのかもしれないと勝手ながら感じました。
もし可能でしたら農園ボランティアに参加させていただけないかと思います。何ができるのかわかりませんが、なにか足元からの活動に係りたいです。
突然のお願いなのですが、ご連絡をいただけると幸いです。」

「見沼田んぼ福祉農園スタッフ様。
突然のメールで失礼致します。私は身分としては院生をしています。
自分の専攻や周囲の環境の影響から、以前から福祉農園的な活動に興味を持ち、また、私個人としても土に触れ合う機会を持ちたいと思っていたことから、
そのような団体はないかと探していて貴ホームページを拝見し、農園ボランティア、見沼・風の学校のボランティア募集があることを知りました。
HPからの情報で、農園としてどのような活動をされているのか、大まか知ることができました。
しかし、参加を考える際には無責任や中途半端になることは避けたいですので、これからボランティアとして参加するのは可能なのか、
ボランティアとしてはどのような活動を、どのような頻度で行うのか等、具体的なことを教えていただきたいと思っています。」

ホームページを昨年の12月アップしてから、カウンターが8000を越えた。
ホームページに対する反響は、積極的な内容が多い。実際に農園を訪れてくれた人たちは、農園ボランティアとして活躍してくれている。
これも農園のメンバーや農園ボランティアの方々の日ごろの努力が本物であったことを裏付けているのだと思う。

2002年4月  捨てればゴミ、活かせば宝

2008-03-17 | 龍神伝心
捨てればゴミ、活かせば宝(=資源)
(財)県・緑のトラスト協会が管理する、
見沼田んぼのトラスト1号地の整備作業を三年前から協力しています。
福祉農園がかかわる以前はトラスト1号地で間伐した孟宗竹やその粗だは、
大崎のごみ処理場に運ばれてゴミとして焼かれていたそうです。
福祉農園が関わるようになって、竹の葉は堆肥に、枝は燃して草木灰にして肥料に、
幹は竹にしたり、小川や池の護岸に使ったり、夏の日陰小屋の資材にと様々に活用するようになりました。
今年からは畑の排水改善のための暗渠排水の資材としても活用します。
先人が自然を活かしながら里を守ったように、「大地からいただいた物は、大地に帰す」ことを基本に、
福祉農園の見沼田んぼ保全活動は行われています。

今年の第1回目のトラスト1号地の整備作業が4月6日に行われ農園からは、
見沼・風の学校のスタッフ中心に約10名が参加しました。
午前9時半に農園に集合。
午前10時からトラスト1号地の竹の租だを福祉農園の第3農園に搬出する作業をおこないました。
昨年まで租だの搬出は、福祉農園の会員が一輪車やそれぞれの団体の車を使って搬出していましたが、
今年はトラックをトラスト協会事務局が準備してくれたので助かりました。
租だを搬出した後は、竹の間伐をかねた筍狩りを楽しみました。
昼食は薪でご飯を炊いて恒例になった300百円カレーを楽しみました。
昼食の後は、農園ボランティアの大井さんに指導していただいて、

第2農園ハウス裏の竹小屋(種芋倉庫)の床の土盛と、第2農園から第3農園へ土管の移動等を行う班と、
第1農園芝生広場の日よけ棚の移動と、生広場の雑草摘みと堆肥の張り込みを行う班に分かれて作業を行いました。
全ての作業が終わったら、いつものように焚き火でバーベキューを楽しみました。
3年前、初めてトラスト1号地から竹を運び出すときは、園ボランティアの浜田さんが会社のトラックを用意してくれて、
私と浜田さん2人でトラックに竹を積み込んで、農園とトラスト一号地の間を何度も往復して竹を運んだのでした。
途中、竹が荷崩れ起こして道に竹が散乱することもありました。
継続は力と言いますが、あの時、浜田さんがトラックと労力を提供してくれなければ今はないと思うのです。

ひとの生き様こそが地域づくりの原点です。」
「人はいくところ迄いかないと駄目だ、治らないものだ」とはよくいわれます。
しかし、結果として其の先にあるものはというと破滅の道だそうです。
だからこそ破滅の前に、気づいた時に気づいた人が行動を起こす。
其の積み重ねでしか社会は変わらない、
すべては一人一人の生き方に対する理念と行動力が大切なのだと思います。
現代社会は、情報が満ち溢れ一見誰もが主人公になれそうですが、
単に評論家にすぎないのではと言たくなる人が益々多くなったように思えてなりません。
全ては、自分にとってどうなのか、どのように関りを持ち行動するのか。
常に、自分自身に問いかけて欲しいものです。
私は、地域づくりをすすめる上で最も大切な事は
そこに住んでいる人の生き様そのものに目を向けることだと思っています。
地域づくりを語るとき地域の歴史や文化を検証する事は大切な事だとよく耳にします。
しかしながら、
それぞれの地域にしがみつき逃げ出さず懸命に生きている其の生き様こそが尊いものだと思います。
生き抜くための人間の知恵として、
また生き様の表現として文化と呼ばれるものが生まれるものだと思えてなりません。
だからこそ気候風土の違いにより多様な生き様が生まれ、
その数だけ多様な文化と呼ばれるものが存在するものと考えます。
地域にしがみつき生き続けるための知恵をいかにして手にいれるか。
グローバル時代といわれる今。地域社会をより活性化するにはクローズするのではなく、
異質なものを受け入れる為にどれだけオープンな社会にできるか。
いま、其の力量が試されているのだと思います。
この文は、
私の友人で宮城県角田市の稲作専業農家面川義明君が「宮城地域作り実践塾」の卒塾生に贈った言葉です。
それぞれの地域にしがみつ逃げ出さず懸命に生きている其の生き様こそが尊いもの
と言う認識は見沼にも言えることだと思えてなりません。
今は「トラスト一号地」と呼び習わされている里山も「地域にしがみつき逃げ出さず懸命に生きた」証であり、
そのことが生み出した景観でもあるからです。

「共生の時代」といわれている21世紀へ向け「未来は日常生活の延長線上に、
日常的な活動の延長線上に見えてくるものの中にありますを実践している福祉農園の取り組みに共感しました。
自然が「非日常」でなくなる日がきて欲しいと願っています。
・広大な地域の農地が頭の中に広がってきます。公園や遊園地より現実と仲間がそこにある。
都心にほんと近いですから、今後と参加・賛同者が増えるのではないでしょうか。
農業の研修(当然実地も)、関係団体との連絡、講習会、挙句の果てには子供達を中心にサバイバルキャンプまで開こうとしている。
活動的でなごやかな仲間の活動が目に浮かびます。

・福祉農園の生立ちの歴史は大変ためになります。経済福祉、環境福祉の概念を始めて知りました。
農業と人間との関わりや土のやさしさは皆に生きている喜びと力を伝える様子が素晴らしい。

・先日、ちょうどこの敷地周辺を車で走っていました。東京から車で一時間走っただけで、こんな風景に出会えるとは驚きでした。
しかし僕の目にはそう見えても、このHPにあるように開発による汚染は進んでいたようで、
こ農園開設までの戦いは読み応えのあるものでした。
活動も頻繁に行われている様で、学生のボランティア参加や企業のバックアップなどの様は本源潮流を感じさせてくれました。

これらは見沼田んぼ福祉農園のホームページに寄せられたものです。こうした便りは、やっている自分たちには気づかない点が見えてきます。

2002年3月 龍神伝心 百本の桜の木

2008-03-17 | 龍神伝心
開園した年に農園の南隣の畑で苗木の栽培をする今泉さんから百本の桜の苗木をいただいた。
その苗木が今年は芽吹いて花を付け始めています。「石の上にも三年」と言いますがうれしい限りです。

百本の桜の木
、全てが咲き誇り、春を告げるようになるにはまだ何年かかかりそうですが、
さぞかし壮観な眺めになるのではと思うと、ますます先が楽しみになります。

家電リサイクル法が施行されて以降
6割の自治体で廃棄された家電の不法投棄が増加しているという皮肉な現象が起きているそうです。
このことは、見沼も例外ではありません。
見沼を流れる加田屋川は相変わらず下水道同然ですし、家電などの廃棄物の不法投棄も後を絶たちません。
昨秋から、
さいたま市では見沼田んぼの今後のあり方を検討する見沼グリーンプロジェクト研究会が開かれています。
研究会に出された資料を読むと「福祉農園は見沼に有ってはならない」という考え方の人が委員にいることを配慮してか、
当然のことながら福祉農園のことは検討の対象に入っていません。
そして加田屋川や芝川の浄化の問題や、放置されたままの廃棄物のの問題などは検討の対称にもなっていないのです。
環境保全の問題を置き去りにして、臭いものにふたをしたまま研究会が進められているのだとしたら問題です。
研究会の資料「農業生産としての場の確保」の項に荒地化の進行について触れています。
「平成9年度から13年度にかけて75?から105?と約30?の荒地が増加している。
エリア別では、新都心東地区、トラスト保全一号地周辺地区において顕著に見られる。
これは主として畑の荒地化であり、公有地化推進事業や農地の管理、
荒地の自然緑地化として復元なども含めて対策を講じる必要がある」。
福祉農園は「トラスト保全一号地周辺地区」にあるが、農園周辺の農地が荒地化しているとは思えないのだ。
トラスト保全一号の向い、代用水の見沼田んぼ側の、
昔「荒地」だったところは、今は地主さんが排水を良くするために溝を掘り、畑としてきれいに整備して使っています。
さいたま市の言う「荒地化」とは、耕作放棄地を畑として整備することを言うのだろうか。

ビオトープさえあれば…
「円滑な都市交通のため、見沼田圃に高速東西連絡道路、及び4本の都市計画道路の計画がある。
また、高速埼玉東西連絡道路では、自然環境に配慮したビオトープの整備が予定されている。
(略)見沼田圃区間において、自然環境保全上の対策として、
高架下及び両側の環境設備帯によりビオトープの整備を行う。」そうです。
開発行為に対する免罪符のように、この報告書には「ビオトープ」と言う言葉が出てきます。
最近、ビオトープ管理士なる資格制度ができたことを知って、
メールで「ビオトープ管理士てどんな勉強をするとなれるのでしょうか。
無資格者のビオトープ作りは違法とか、ビオトープとは呼ばせないなどと追求される日が来るのだろうか。
『福祉農園のビオトープは違法だ、直ちに撤去せよなどと言われるのかなー。』
水辺と里山を守る活動にまで資格制度が必要なのだろうか、
世の中やはり変だよ。」と呼びかけてところレッズ優勝春日部委員会のOさんからは、
「ビオトープ管理士?ですか。昨年、酒類管理士という人たちの団体である酒類管理士協会が
小売店には必ず自分たちの認めた管理士を常駐させなければならないという
酒類管理法の制を自民党に働きかけたそうですが小売業者の反対に合い廃案になったそうです。
気をつけましょう○○士、などという資格には・・・」
見沼保全運動の先輩からは
「○○士などの資格を売る商売は胡散臭いものが多いようですが、『ビオトープ管理士』の社会的必要性があるのでしょうか。
自然公園の管理を委託する自治体に、
受託先にビオトープ管理士がいないなどとイチヤモンをつけるための布石だとすれば困ったものですね。
それはともかく、既設のビオトープと称するものについての評価も必要だとおもいます。」との返信がありました。

まずは加田屋川の浄化対策を
「1993年の調査により見沼田圃で確認されている貴重種として、
ヨシ原等の自然草地を好むンドカヤネズミ、樹林地や草地・湿地を好むホンドタヌキの二種が加田屋地区、
トラスト保全一号地、第一調節池周辺地区で確認されている。
また、これらの地区は爬虫類、両生類、昆虫類とも確認種が多く、
多様な野生生物の生息空間となっていることから、現状の自然環境を保全し、
今後も野生生物の生息・育成空間として確保する必要がある。
(略)水田の畑地化など、見沼田圃全域で乾燥化が進んでおり、
見沼代用水の活用等による湿性環境の復元を進める必要がある」

見沼の乾燥化が進んだのは確かだ。

3月21日に行われた見沼・風の学校の公開講座は、春の嵐に見舞われ、砂塵が見沼を覆っていた。
見沼田んぼの昔を知る人には想像できない事態だった。
れもの減反政策、水田を畑に転換する政策が取られたからだ。
しかし、国に減反政策を緩める気配はない。
タヌキや野鼠の生息地を分断したのは、やはり市道三室野田線の建設が原因ではないのだろうか。
夜も車が絶えないし、街灯も明るいし。
ヨシキリやカヤネズミの生息条件である茅場は、茅葺屋根の減少により、
見沼田んぼ福祉農園のある南部領辻辺りでは皆無に近い状態になっています。
茅場が無くなれば茅場を求めてカヤネズミたちは移動する。
これも生態系ではないのだろうか。
農園には、雉や野鼠、イタチなどが顔をだす。
農園の水辺には灰色ゲンゴロウも生きている。
汚れてはいるが加田屋川にはカワセミが飛び交う。
水辺や里山を大切にする気持ち持って見沼に接していれば、
自然はゆっくりではあるが確実に戻ってくることを私たちは体験しています。
そして、加田屋川の浄化対策が行われれば飛躍的に自然は回復するのだと言うことを強く感じています。


2002年2月 龍神伝心 加田屋川の浄化対策を

2008-03-17 | 龍神伝心
この所、大宮に行くことが多くありその帰り、
三市合併記念事業「見沼セントラル・パーク構想」予定地界隈を通って農園に向うことが多い。

見沼セントラル・パーク構想」は
「首都圏に残る最後のオアシスである見沼を、
広大な公苑緑地として次の世代のためにも残しておきたと思う」という
相川市長の見沼への思い入れ(=公約)に基づいて企画されえたようです。
「見沼セントラル・パーク構想」の予定地は、
廃棄物の投棄などに対する規制がそれほど厳しくなかった時代の名残というか、
30年以上放置されたままの廃棄物の山が点在するところで、
福祉農園のある南部領辻辺りからすると、ここが同じ見沼かと思われる場所で、
予定地周辺を通るたびに何やら寒々しい思いがします。
見沼田んぼとの日常的なかかわる中で残念に思うことは、周辺住民や心ない企業によるゴミの不法投棄や
生活廃水の垂れ流しなどにより見沼田んぼに荒廃が見られることです。
寒々しい思いする所は見沼セントラル・パーク予定地だけではありません。

「首都圏に残る最後のオアシスである見沼を、広大な公苑緑地として次の世代のためにも残しておきたと思う。」という
相川市長の思いを実現するためには解決をしなければならない課題がほかにもあります。
福祉農園に隣接する芝川の支流・加田屋川は、旧大宮市と旧浦和市の市境を流れていたため、
合併以前は「行政の狭間」におかれていたため治水や浄化対策が遅れ、
建築廃材や家庭ゴミの不法投棄が見られ荒廃が進んでいます。
また、上流の市街地の生活排水が流れ込み、水は汚れ悪臭が漂い、川や地下水、川底や周辺土壌の汚染が懸念されます。
また台風などによる降雨により氾濫することもあります。
セントラルパーク予定地の廃棄物の山を豊かな緑の空間に再生させることと、
加田屋川の治水対策と浄化対策は合併したさいたま市の急務だと考えます。

加田屋川の浄化対策を
昨年四月より地方分権一括法の制定され、地方自治体の権限が強化されました。
行政が市民と手を携え創造的で独自な施策を推進することが法的にも可能になりました。
セントラルパーク予定地の廃棄物の山を豊かな緑の空間に再生させる力は、
残念ながら私たち見沼田んぼ福祉農園にはありませんが、
さいたま市民として見沼田んぼの環境保全のために、私たちが今できることがあります。
それは加田屋川の浄化のための働きかけをしていくことです。
そのために、さいたま市に対して、近隣の地域の方々と共に要請行動を行ないたいと考えています。
要請の内容は
・加田屋川の水質調および土壌の分析と調査分析データーの公開。
・加田屋を、子どもたちが安心して水に親しむことのできる「ふるさとの川・水と緑の環境空間」として、
また、様々な生物が生息できる自然の豊かな川として復元です。国土交通省は今、地域と連携した川づくりを進めています。
今後、指定を受けた河川では市町村、河川管理者が二年程度で計画を策定し、重点的な事業が進められます。
地域と連携した川づくり事業の更なる進展が期待されます。
見沼を流れる川の改修と浄化に関しても「地域と連携した川づくり」の考えに基づいて進めてもらいたいものです。

豊かな自然の中で、共に汗をかく。環境福祉をまざして

「HONDAが出会った、それぞれの夢」というコーナーで、
「極北の地を、犬ぞり隊とともに」
「アマゾンの熱帯雨林に、夢を育む」、衛星をサポートに、ヒマラヤの高峰に挑む」
「高度5千メートルの神秘の湖で、地球の過去を探る」といった
ハイレベルな環境保全活動に活躍するプロジェクトと共に、
「豊かな自然の中で、共に汗をかく。環境福祉をまざして」という大きな見出しで
見沼田んぼ福祉農園のことがHONDAの汎用事業部のカタログで紹介されました。
全国のそして世界のHONDAショップに置かれるそうです。
HONDAショップにお出かけの折に見てみてください。
(下の写真はカタログに掲載された農園の活動の様子を写したフルカラーの写真です。)

旬をつくる菜園雑誌「季刊やさい畑」の創刊号にも農園のことが掲載されました
こちらもカー見開く2ページという大きな扱いです。「福祉農園」って、あまり聞いたことないですね。
ボランティアががんばっている農園です。近くにこんな農園があったら参加してみませんか。
すぐ仲間になって野菜作りができます。そんな福祉農園を訪ねてみました。

記事の見出しには
ボランティア参加できる福祉農園みんなで作っても楽しいおいしい
という大きな見出しが躍っています。
豊かな自然の中で野菜作り
「みんなが気持ちいい」「いろんな人と出会える場」などの小見出しも踊っています。
写真には、収穫祭の様子や「虹の会」のメンバーや、
「デイケアわくわく」のスタッフが颯爽と耕耘機を使っている姿などが映っています。


2002年1月 龍神伝心 農園作り、四年目の春

2008-03-17 | 龍神伝心
農園作り、四年目の春。
農園の活動も三年が過ぎて、今年は4回目の春を迎えます。
農園の土台づくりは農園ボランティアの方々や農園周辺の農家の協力や後押しのおかげもあり、
ほぼ目途が立ったように思います。
農園の土台も整い、良太や直哉君、晴彦君、西村君、あっこちゃん、峰岸君。角ちゃん、井上君、平井君、
陽子さん達が農作業を覚え、農園の主人公達が主役をじ始めています。

農園作りが始まった頃。
1998年12月17日
埼玉県土地政策課の呼びかけで「見沼福祉農園の設置に伴う打ち合わせ会」が県自治会館で開かれ、
私も含め浦和市内の障害者福祉にかかわる人たち9名参加した。
県は土地政策課の2名。浦和市政策企画課から一名が参加していた。

打ち合わせ会」で
見沼田んぼに福祉農園を来年度には実現しようと県や市の障害者福祉の担当者に働きかけを行ったが、
対応は極めて消極的で、来年度の実現が厳しい状況に有る。
地元の福祉農園推進への要望がたかまれば、福祉農園の実現は可能なので、
協議会をつくって要望を県に上げて欲しいとの話が県の担当からあった。
見沼の農園づくりは長年の夢の事だった。
県もやっと動きだしたので、機をはずすといつ実現するか分からなくなる。
早速、会合に集まった人たちなどに連絡を取り、福祉農園推進協議会づくりと、
農園実現のための要望行動を行うと打診をしたら概ね賛成との答えが返ってきた。
こうして農園作りのための作業が始まったのだった。

要望行動の成果が上がって、1999年の春に福祉農園は開園する。
以下は開園準備の頃、書き残したメモの一部です。
「運営議会が車いす用トイレのことに時間を割かれ、農園の維持管理の問題に入れないでいる間に、
圃場には雑草が生い茂り始め、芝生広場はモグラが縦横に行き来した跡。イタチも見かける。
農園の土は長年放置されていたため酸性土壌化しやせてるので、
石灰は通常の三倍以上、堆肥なども大量に入れる必要がある。
圃場は手をあげた順に区画を割り当てる。余った区画は事務局がボランティアを募って管理していく。
早く作業を始めないと草むらになってしまう。雑草は待ってはくれない。

1999年4月7日。
ぺんぎん村とデイケアわくわくが初めての草取り作業。

草取り作業の後、隼人瓜や里芋を植えていた。
4月9日午前11時頃より
土壌改良のため石灰を400キロ以上圃場に入れその後耕耘機をかける。
風が強いため午後3時頃作業を中止して帰宅。
一輪車を購入したので作業が大分はかどる。
4月10日。午後より500キロ以上石灰を入れ、その後、耕耘作業。耕耘機の操作にだいぶ慣れてきた。
この日も良太が石灰運びなどを手伝ってくれた。」
開園の頃、2日で1トン近い石灰を畑に鋤き込んでいたのだ。

耕耘機の使い方も知らなかった。
使用説明書を読みながら使い方を体で覚えた。こんな日々が3年続いたのだった。
昨年の晩秋の頃から疲れがたまり、また親指と人差し指の付け根に痛みが走って、
農園での作業が難しい状態が続いていた。
パソコンの打ち込みもままならないような状態になったので医者に見せると「腱鞘炎」との診断だった。
対症療法として、痛み止めを飲んだり、湿布するなどの手当はあるが、
要は手を余り使わず休ませるしか治療の方法はないという分かりやすい処方をいただいて
年末から年始にかけて、農園での力仕事は遠慮している。
「仕事は嫌々やるから続くけれど、道楽は夢中になるから命取りになる。気を付けるように」と
知人からアドバイスされていた。どうもこの3年間、農園作りに夢中になりすぎていたようです。

環境教育関係のメールマガジンに、エコ・フォビア=エコロジー嫌悪症候群。
子供たちに暗い未来を押し付けても何もならない。と言う、興味深いレポートが載っていたので紹介します。
.子どもの環境学習で感じること 平山明彦
知るより感じる:自然大好き・不思議大好きの精神を育む
「動物について、あるいは生態系について、こわい話を聞かされ続けた子供はそのことをそしゃくできず、
逆に目を背けてしまったり、無力感に苛まれたり、過剰にこわがってまったりすることがある。
特に熱帯林の破壊みたいに子供たちにはどうしようもないことを教えられるとその傾向が強くなる。
環境の問題は
子供たちに希望を与えるような取組とセットにして提示しないと
『エコ・フォビア』を生み出す危険が常にあるのではないかと感じている。
エコ・フォビアになってしまうのを避けるために「まだ小さな子どもに必要なのは環境破壊についての知識ではなく、
自分たちがその中に入って遊べる自然環境を身近なものとし、情動的な部分で自然と結びつくこと」が大切である。
これにはエコパーク、ビオトープ等が重要な役割を果たす。
環境問題は調べれば調べるはど未来が暗くなることが多いが
子ども達が未来に希望を持てるような学習とすることが重要である。
知るより感じる:自然大好き・不思議大好きの精神を育む環境学習において
“知る”より“感じる”ことが重要であるといわれてる。
レイチェル・カールソンはその著書で
『知ることは感じることの半分も重要でないと固く信じています。
子供たちが出会う事実の一つ一つがやがて、知識や知恵を生み出す種子だとしたら、
さまざまな情緒や豊かな感性は、この種子を育む肥沃な土壌です。
幼い子どもの時代は、この土壌を耕すときです』と述べている。
環境学習は芸術教育と似たような側面があり、
教師の評価にあわない子供にとっては、絵を描くことを嫌いにさせてしまっている。
子供には自然を愛するようになる『原体験や原風景』が必要です。
野原で遊ぶ。昆虫を捕まえる。花を育てるなど等。
環境学習は自然と向き合い自然を感じることから始まります。

最終的に環境問題は
人間以外の生き物と人間という生き物の共存が大切なテーマです。」
農園に日参していると平山さんの言う「子供たちに暗い未来を押し付けても何もならない。
知るより感じる:自然大好き・不思議大好きの精神を育む」ことの大切さを強く感じます。
そして「自然大好き・不思議大好きの精神を育む場」として、見沼田んぼと見沼田んぼ福祉農園の重要さを感じています。

事業提案:見沼田んぼ福祉農園・風の学校とは

現在、福祉農園の運営は少数のボランティアの双肩に過剰にかかっており、去年も何人もの方が体調をこわしている。
推進協議会代表はほぼ専従として関わっているが、生活面の保障はされておらず、持ち出しをしている状況である。
福祉農園を末永く運営していくためには、専従スタッフと事務所の確保という視点はどうしても必要になります。
今まで福祉農園の収益をあげるためになされた提案は、農作物の生産・加工・販売についてのものが主だった。
ここで発想を変え、自然学校的な事業(見沼田んぼ福祉農園・風の学校)を立ち上げることで、
農園活動に付加価値を与えることが可能になるのではないでしょうか。

見沼田んぼ福祉農園・風の学校は何をするのか
見沼田んぼは、大きなスケールで農と自然にふれ合うころのできる貴重な空間です。
この見沼んぼの特徴を活かし、見沼田んぼ福祉農園を拠点に、子どもや大人、障害のある人やない人が、
世代や立場を越え学び交流する活動を行い、見沼田んぼの新たな価値を創造します。
以上の文は、農園ボランティアの若手メンバー達から、
今後の福祉農園のあり方として出された事業提案の最初の部分です。
自然学校的な事業=見沼田んぼ福祉農園・風の学校の提案が、提案だけに終わらず、本格的に動きだすと良いのですが…。

年末、農園ボランティアの辻君から山谷の労働者が越冬するため、農園の野菜を提供して欲しいとの話があり、
農園ボランティアの方々が育ててくれた野菜を差し上げたところ、そのお礼状が届きました。
御礼 見沼田んぼ福祉農園推進協議会様
野菜、確かに受け取りました。
山谷をはじめ全都の野宿一日雇労働者が活用できるように大切に使わせていただきます。
ありがとうございました。
野宿者の越冬闘争はまだまだ続きます。一切の排除を許さず、共に生き抜いていく闘いをますます強めていきます。
今後もご支援のほど、よろしくお願いいたします。
山谷労働者福祉会館活動委員会。

2001年11月 龍神伝心 今年も晴天

2008-03-17 | 龍神伝心
今年も晴天
11月23日の見沼田んぼ福祉農園の収穫祭「見沼の新米を食べる会」は今年で16回目をむかえました。
「新米を食べる会の日は雨に降られたことがない」という伝説が今年も生きていたようで、朝から雲一つない晴天だった…。
朝九時にスタッフが農園に集合。
飯炊きはアンクル富沢。わかば塾の藤本さん。
お米は見沼加田屋新田の田んぼで育った朝の光」とコシヒカリ。
コシヒカリはファーム二一が体験水田で育てたものを提供してくれた。
「朝の光」は上野田の森田さんが育ってくれたもの、森田さんのお米を食べるのは16年間続いている。
農園の里芋やネギをたっぷり使った豚汁作りは、ぺんぎん村とわらじの会の手作り班。
狭山のぺんぎん村の門坂さん、藤本婦人が中心。
設営は農園ボランティアのK君。浩平君。どくだみ荘のA君。いちご会のK君。虹の会のY君。
そして新座から前日泊まり込んだ高橋兄弟等。受付は農園ボランティアのOさん。
司会進行はどくだみ荘のK君などが活躍してくれた。

午前10時に東浦和駅から見沼のあちこちハイキングをしがら農園に到着した部隊の到着を待って、
いつもながらに炊きたてのご飯と豚汁を賞味する「収穫祭・新米を食べる会」は始まった。
東浦和駅から歩いた人が55人もいた。

皆お腹が落ちついた頃、農園を代表して私が参加者に挨拶を行い、
続いて、見沼田んぼの「保全・活用・創造」を担当する県総合政策部土地政策課の加藤課長から、
恒例になった気合いの入ったスピーチがあり、
また、この間何かと応援してくれているHONDA汎用事業部から応援のメッセージがあった。

写真(上)は、ヤングナッツの演奏風景

その後は「ヤングナッツ」のコンサートが元気に始まり、これでやっとお祭りらしい雰囲気になった。
参加者名簿に名前を残した人が180人を越え盛況の内に収穫祭は終わった。
多分、実際は200人らいの人が集まったのではないでしょうか。
11月3日に見沼大原の障害者交流センターで行われた
埼玉連絡会やネットワークの「学校教育法改定に関する勉強会」の参加者が100人以上。
11月14日の県民の日に行われた
「学校教育法改定に異議あり。僕たち違法人・永田町・霞ヶ関行動」が200人と、
いろいろ動きが大きくなってきているように感じます。来年は飛躍のとしになるのでは、農園も…

写真は、わらじの会と虹の会、いちご会の混成による収穫祭を祝う「ザ・バンド?」

2001年10月 龍神伝心 ぬかるみと格闘

2008-03-17 | 龍神伝心
11月23日金曜日(勤労感謝の日)は恒例見沼の新米を食べる会
見沼田んぼ福祉農園の『収穫祭』です


見沼田んぼを愛する会と見沼農の会が始めた『見沼の新米を食べる会』は、
見沼田んぼ福祉農園に引き継がれて、早いもので今年で十六回目を迎えます。
今年も見沼田圃南部領辻の見沼田んぼ福祉農園芝生広場でいつものように、
午前11時半頃より開催いたします。
見沼田んぼの新米のご飯と、福祉農園で育った野菜で汁をつくってお待ちしています。

火曜日に農園におじゃまさせて頂いき、
ひさびさに農に触れることができ、とても楽しかったです。
ありがとうございました。


やっぱり自分にはこういう事が向いているのでしょうかねー。
今後もちょくちょく伺いたいと思いますのでよろしくお願いします!
早速ですが、来週またお邪魔したいのですがよろしいでしょうか?
はやく福祉農園のことを覚え、作業をしたいと張り切っています!
お借りした本も読み始めました。いつ読み終わるかはわかりませんが、
絶対今後の為にも読みきるぞ!、と張り切っています。
あの農園が地域の人たちの拠点になって人々の交流が生まれ、
子供も大人もお年よりもハンディのある方も集まる、
笑顔がいっぱい見られる場所になるといいですねー。
このメールを送って下さったのは、
この春、農大を卒業したばかりの川口生まれ川口育ちの女性です。
農大在学中は農業土木を専攻していたそうですが、
農業への思いが捨てがたいためか、本来ならば農水省か自治体の農林部の技術職をめざすところを、
農大卒業後は農業現場を知るため長野の農業法人で農業研修を受けていたそうです。

将来は、子どもたちを対象にした「自然学校」のような活動を織り込んだ交流型農園の指導員を夢見ているようでした。
彼女と話していて、「福祉農園が、夢を持った若者達の拠点として職場として成立されなければ何の意味もない」
という思いを改めて強くしました。

福祉農園の日々
9月28日金曜日

次男と共に農園に向かう。途中「吉野屋」に寄り「牛丼弁当」などを買い農園へ。
第3農園でハンマーナイフモアや刈り払い機を使って除草した後、
手鎌で機械の届かないところを除草する作業を行っていた。
次男の高校時代の友人、K君が午後から合流。
除草の終わった第三農園に耕耘機をかけようと言うことで、
第二農園のハウスに置いてあった耕耘機を梶間君が移動することになった。
移動の途中、第3農園と第2農園をつなぐあぜ道から小川に耕耘機が落ちる事故が起きた。
男三人が押せども引けども耕耘機が動かず、動かせば動かすほどぬかるみにはまっていく。
途方にれている処に第1農園北隣の清美園の清水日出男さんが見かねて助けに来てくれた。
清水さんは道具が足りないと自宅に戻り、
三本の心張り棒とチェーンブロックを持って我々の前にあらわれたかと思うと、瞬く間に耕耘機を小川から引き上げてくれた。
人間、持つべきものは技術を持った良き隣人である。

農園のお月見の夜

今年も恒例のお月見を9月29九日に開催。
新座から車椅子の少年と彼の仲間、
そして立教の学生さんが東浦和駅から次男の浩平に先導されてハイキングしながら農園に参集。
DoCoopの会員家族も参加して、お月見の準備をしながら、遊びながら農園活動を楽しんでいた。
夕刻には造形大の画学生5人(全員女性)も参加、今年はにぎやかなお月見にった。

9月30土曜日朝。
農園に行くとK君が黙々と耕耘機が落ちたとき崩れた小川の護岸工事をしていた。

10月2日 「またもぬかるみとの闘い」
福祉農園の地下水位は代用水に近いほど高く、加田屋川に近いほど低い。
雨が降ると代用水側の畑は何時までもぬかるみのままということになり、
3~4日は耕耘機をかけるのは難しくなる。
前日は雨が降り続いたので護岸工事でもしようかと昼前に次男と農園に行くと、
先に着いていた梶間君が困ったような表情あらわれたので話を聞くと、
今度は第3農園の市道側の畑に耕耘機がはまってしまったとのことで、早速第3農園に向かう。
第3農園に行くと、
雨の降った翌日の無理な耕耘の典型のような状態で耕耘機が水浸しの畑の中ではまっていた。
ぬかるみと格闘すること2時間余り、
何とか耕耘機を泥濘から脱出させることができた。
耕耘機が足場板を渡って泥濘から脱出したとき、
若い二人ははガッツポーズをして喜んでいたが、
私はぬかるみの中で疲れ果てていた。
「群馬県工業試験場と申します。
私どもでは福祉機器や福祉用具の調査研究を行っております。


今年は、車椅子利用者が農・園芸作業に親しむ中で、
車椅子の走行環境や車椅子に乗って作業するための周辺機器の動向などについて調査研究をスタートしました。
ご多忙のところ申し訳ありませんが、見学させていただければ幸いです。」

こんなメールが群馬県から届きまし。
10月12日(金)群馬県の工業試験場と農業試験場から、
それぞれ課長以下三名、計六名が朝から農園を訪問、調査研究に励んだ。
埼玉県やさいたま市にも
福祉機器や福祉用具の調査研究をする機関はあると思うのですが、どこにあるのかも分かりません。
それにしても、わざわざ群馬から見沼田んぼまで見学に来るとは見上げたものです。
11月下旬にも静岡県の視察の要請が入っている。農園は様々な人々が訪れてくれるようになった。

2001年9月 龍神伝心 加田屋川の浄化対策を

2008-03-17 | 龍神伝心
第2農園の池の周りと、第3農園全体の夏草の勢いがすごく、農園ボランティアの方々、
そして僕自身疲れがたまって無理ができない状態になっていたので、この夏の除草をあきらめかけていた。
そんな折りに、どくだみ荘が福祉農園の改善ために申請した補助金が下り、農園にハンマーナイフモア(除草機)と
ディーゼルエンジンの歩行型耕耘機が導入され、これで夏草退治のどがたっ。

上の写真は、除草機や刈り払い機で刈り取られた雑草が耕耘機によって鋤き込まれた第三農園。

ハンマーナイフモア

ハンマーナイフモアは、土を掘り起こさずに地上部だけをたたいて粉砕する機械で、
粉砕した雑草などはそのまま乾燥させてから畑に鋤き込む。
生の茎葉をそのまま鋤き込むと畑に腐敗菌が繁殖する原因になる。
一度腐敗に傾くと、畑は悪玉菌に占領されるようになり病気も多くって、全くやっかいな状態になる。
ハンマーナイフモアはロータリーで鋤き込むよりはるかに高い粉砕効率があり、
背丈ほど伸びた雑草でもきれいに砕く。
粉砕した雑草などはそのまま畑に放っておけば、2~3日でからからに乾燥する。
乾いた雑草などには発酵菌繁殖しやすい。乾燥後に天候をみて鋤き込めば腐敗菌は繁殖しない。
有機物を直接、畑にもどすのにはハンマーナイフモアは欠かせない農具だ。
農園福祉農園には、HONDA製の耕耘機が三台ある。
三台ともよく働いてくれるが、馬力が足らないため、
夏草を刈り取った後耕耘すると、雑草が絡まり耕耘が難しくなる。

この夏、ディーゼルエンジンで動く歩行型耕耘機のが加わった価値は大きい。
ハンマーナイフモアで粉々に切り刻まれた雑草を根っこごと鋤き込んでくれる。
「ディーゼルエンジンは、やはり粘りと馬力が違う」これが使ってみての感想だ。
「道具一人工」と言うが、
ハンマーナイフモア(除草機)と高馬力のディーゼル耕耘機の導入は、
「一人工どころ二人工、三人工以上の価値がある」と思える夏だった。

加田屋川の浄化対策を

「福祉農園に隣接する加田屋川は、
旧大宮市と旧浦和市の市境を流れていたため、合併以前は「行政の狭間」におかれていたため、
治水や浄化対策が遅れ、建築廃材や家庭ゴミの不法投棄が見られ荒廃が進んでいます。
また、上流の市街地の生活排水が流れ込れ込み、水は汚れ悪臭が漂っています。
地下水への汚染の影響か、
福祉農園に設置されている井戸は、人が飲むことは許可されていません。
台風などによる降雨により氾濫することもあり、
加田屋川の治水対策と浄化対策は合併したさいたま市の急務と考えます。
今年四月より地方分権一括法の制定により、地方自治体の権限が強化れたと聞いています。

さいたま市が市民と手を携え創造的で独自な施策を推進することが法的にも可能になったと理解しております。
見沼田圃公有地化事業の実践を踏まえ、さいたま市の中央に位置する、
見沼田んぼの環境保全のために以下の要望いたします。
・加田屋川の水質の浄化対策を強く要望いたします。
・加田屋川を、子どもたちが安心して水に親しむことのできる
「ふるさとの川・水と緑の環境空間」として整備を早急に進めてください。
・加田屋川を、様々な生物が生息できる自然の豊かな川として整備してください。」
こんな要望書案を持ってさいたま市に行ったら、
後日、こんなメールがさいたま市の見沼担当から帰ってきた。
「先日来庁された際に伺っ件及び見沼田圃の水辺と水質保全に関する要望(案)
につきましては、既に関係各課と事前相談を行い、担当課において
今後の対応及び対策について検討するよう調整を図りました。
つきましては、正式な要望について、市広報広聴課所管の
『わたしの提案』にて、ご提出いただきたいと存じますので、よろしくお願いいたします。」

急がれる加田屋川の浄化対策

9月24日の夕刻。私たちが作業を終わって帰宅した後、福祉農園の西側、
加田屋川の河岸に大量のゴミが不法投棄された。
翌25日の午後には加田屋川の管理者であるさいたま市に早速、対応と対策を求める要請をしてきました。
見沼田んぼを流れる芝川の支流加田屋川の水質悪化は深刻です。
「汚すとされる。きれいに保てば、一層きれいに守られる」と言うのは本当で、汚れが目立つ加田屋川は、
川の汚れに誘われてゴミの不法投棄が後を絶たちません。
加田屋川の抜本的な浄化対策と環境空間としての施策がなされなければ、
ゴミの不法投棄などの事態は常に起きる可能性がありま。
福祉農園は今後、
地元自治会や見沼田んぼや鴻沼用水の保全運動に取り組むグループに声をかけて、
さいたま市に加田屋川の水質浄化に早急に着手するよう働きかけを行っていきます。
「合併記念公園見沼セントラルパーク構想」など大型公共事業の導入に
「保全運動」までが追従する動きを見せる中、
人・緑・水辺・農・食の問題に真剣に取り組む人々のつながりがますます大切になってきてます。

2001年8月 龍神伝心 

2008-03-17 | 龍神伝心
若者が集い始めた福祉農園
「人は自然とふれあうことで癒しを受け、何らかの変化があるものだと認識しております。
人と緑の関わり方について調査をしておりまして
『緑が人に与える癒しの効果』を研究しています」
こんな書き出しで始まるメールが公立大学の
環境科学部 環境計画学科 環境・建築デザインコースの学生さんから送られてきた、卒論のためのアンケートだ。

農園はこの所、こんな大学生の問い合わせや訪問が多い。
農園を訪れてくれた学生さんの農園への感想も様々だ。
農学部4年の学生さんからは「他の有機農家も何件か見てきましたが、
あれだけの大きな農園が、都会のそばにあったということに驚きました。
また、恥ずかしい事に、農学の大学に通いながらも土いじりの経験が乏しく、
昨日の農地造り大変勉強になりました。
今度は、同年代ぐらいの福祉関係の方とお話がしたいと思っています」。
この学生さん農業とは縁のない育ちだそうですが、
少年の頃から農業や自然に興味を持つようになって、
その気持ちがこうじて農学部を選考したのだそうです。
ただ今の大学は、バイオの研究が主流で、営農に結びつく授業が少ないことを嘆いていました。
ガールフレンドが福祉を専攻しているので将来二人でやれる
農業の形を模索するために福祉農園を訪れてくれたのです。
卒業後は海外青年協力隊としてフィリッピンに三年間赴くことが決まっているそうです。
一緒に農園を訪れてくれた学生さん。
先ずは農業法人に就職して力を蓄え、
将来は有機農業を実践する農業経営者になることが望みだとのことでした。

造園学を専攻している学生さんからは「ホームページで見沼田んぼのことを見させて頂いて、
いきなり訪問させてもらうことになったのに、とても親切にして頂いて本当に感謝しています。
田んぼを見させてもらってまず広さに驚きました。
見たことがない世界の広がりに感動しました。
私は生まれが神戸で、現在も大阪に住んでいると言うことで、あまり畑などの中に足をむみ入れることがないので、
見沼田んぼでの土と草の感触が新鮮で、またむにゅっと埋まる感覚が気持ち良く感じました。
銀杏の殻を敷いていたところもすばらしいアイディアだと思いました。
足での感覚と耳での感覚を楽しむことが出来るというところにすばらしさを感じました。
あとトマトを食べさせて頂いたのですがいつも食べているトマトよりもずっと美味しく思いました。
ごうやも今晩にでも食べさせてもらいますね。」
この学生さんは、
卒業制作に「農園のある老人ホーム」の設計を考えているとのことで、その取材として農園を訪れてくれました。
お洒落で多感感じのお嬢さん。農園を案内していて楽しい気分を味わうことができました。
これは農園代表の役得のようです。
この春、大坂の大学を卒業して東京の大学の大学院に通い始めた次男の浩平も、
農園をフィールドに活動を始めるそうで、高校時代の友人に声をかけ始めています。

今年も懲りずに「夏の終わりの一方的反省会」開催される。

福祉農園の持っている自由さを、
改めて感じさせてくれたのが今年も若者達によって開催された「夏の終わりの一方的反省会」だった。
「暑かった日々のしんどい作業に疲れた体を、農園でいっぱいのビールと特製のもつ煮込みでねぎらい、
涼しい風に吹かれて、過ぎた季節に思いを馳せてみませんか。」
こんな呼びかけに70人以上の人々8月29日の夕刻から深夜近くまで農園に集った。

生ビールのサーバーが農園に持ち込まれ、
わくわくのスタッフのアンクル富沢さんがつくってくれた煮込みと焼きそばが好評だった。
風にはためく映画会、腕相撲大会、たき火を囲んでのホークダンスとイベントも盛りだくさんだった。

公園は人々の生活の必要から生まれたものではない
それどころか公園は公園制度が導入される以前に住民が娯楽や休養のために集まっていた場所、
つまり寺社境内や辻や花の名所といった場所にごく普通に見られた、飲食や露店、見せ物などの盛り場の要素、
人々が集まる場所としてのオープンスペースを成り立たせるのに不可欠だった要素を払拭することで。
現在のかたちを作り上げてきた。
それまでの利用の仕方が考慮されなかったばかりではない。
その後の公園行政も、利用の仕方より施設整備に目がむきがちであった。
公園行政に利用の側面が抜け落ちていることは、公園に運営計画が存在しないことにもあらわれている。
それは、オープンスペースを住民みずから意識的につくり出す伝統に欠けることも指摘されよう」
小野佐和子著「こんな公園が欲しい・住民がつくる公共空間」より

見沼田んぼ福祉農園には広い芝生広場がある。
門も囲いもない文字通りオープンスペースだ。この広場で、毎年多くのイベントが開催されている。
イベントを積み重ねるごとに「人々が集まる場所としてのオープンスペースを成り立たせるのに不可欠だった要素」
が一つ一つ増えて来ているように思う。
そうした知恵の積み重ねが可能になったのも福祉農園が「公園」ではなく「農園」であったことが大きい。
農園は、娯楽や休養のために集まっていた場所あり、自由に火を使い飲食を楽しむ自由がある。
農園は今「オープンスペースを住民みずから意識的につくり出す伝統」を創り出す力を確実に蓄積しつつある。