風通庵-直言

ヨモヤマ話

「情に棹させば」が、そういう意味とは知らなんだ

2007-09-09 10:21:48 | Weblog
 夏目漱石の「草枕」の文で『情に棹させば流される』の意味を、産経新聞の<産経抄>(9、9、)は、例を挙げて「情」と言う川に舟をうかべ、棹をさすようなことをすれば、一気に「情」に流され自分を見失ってしまう。「棹をさす」とは川底を棹で突いて、舟にスピ―ドをつけること、と解説している。

 成程それはそれで良く分かりました。実は、慣用句の使い方につて、文化庁国語世論調査の結果、誤用が多いことがわかり、その誤用の中の一つに「掉さす」があった。

  流れにさおさす  正―傾向に乗って勢いを増す行為   18%
             誤―傾向に逆らい勢いを失わせる行為 62%

 と、正解率が18%であったようだ。ところで、かく言うブロガ―は、確か高校二年であったと思うが、国語で習って以後この文章は部分的にも記憶しているが、情に掉させば、即ち人情に逆らうと逃げださなければならなくなるとの意味に解釈していた。後に、やすいところに引きこしたくなるの文があるからだが。「掉さす」は「逆らう」の意味と解していた。その証拠に、一作々日のこのブログ、「自分の年金にどれだけ関心をもっていたか」の文中に、<こんなことを言うと世上に棹差すようだが>は、要するに、世論が年金問題で非難するが、その非難に逆らっての意味で書き入れた。真意はそうであったが、掉さすの意味がそうであるなら、世間の年金問題の非難を背景にわれも非難に一役買うとでも云うような意味になっていまったようだ。まあしかし、それがそうなら、それはどちらでもよい。


 わが愛読の産経新聞の<産経抄>は、川に舟を浮かべて----とは、なかなか粋な解説をしてくれた。掉さすとは、川底を棹で突いて、舟にスピ―ドをつけることである、と。なるほど、京都嵐山の観光<川くだり>で、船頭が棹で川底をついて船を動かしていたのをテレビで見た。いまはジ―ゼルかなんかの動力であるが。
 船頭さんの漕ぐ渡し舟で通学したわが中学時代の思い出―。
 四国の片田舎で生まれたこのブロガ―、四国三郎の異名のある吉野川の川向の学校への通学は、当時は渡し舟を利用していた。元々は橋が架かっていたのだが台風で増水の都度流されて、戦中戦後の長期間渡し舟であった。----舟は艪任せ、艪は歌任せ----と、端ヤンと白鳥みづえの歌「親子舟歌」同様に,波に揺られて、ギッチラコ、ギッチラコと、舟は艪で漕いでいたが、川岸に着くと船頭さんが、客の下船や乗船に便利なように「棹」で川底を突いて舟の向きを変えて舳先を岸につけていた。そのような棹の利用の仕方からすると、接岸用具か補助具であったのか、イヤハヤ言葉のル―ツは難しい。

3 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-02-24 15:12:19
わたしも反対に考えていました。
参考になりましたが、
誤解している方が多い状況では
このことばは、「正しく」使っても
おおかたには、通じないということですね。
塾長のブログ (Unknown)
2011-02-24 15:26:10
わたしも反対に考えていました。
参考になりましたが、
誤解している方が多い状況では
このことばは、「正しく」使っても
おおかたには、通じないということですね。
Unknown (Unknown)
2020-05-02 00:38:14
自分で流されるようなことをしておきながら、だからその方向へ流される、のでは気持ち悪い表現にしか聞こえませんが。
ここは別の捉え方で、流すを反対に受け流す、ダメになるの意としてみてはどうでしょう?スピードを付けようとしても受け流される。
一気に情に流されるのではなく、自らの情の通りには行かないと表現してあるとも考えられます。
この流れの所は舟にかけてあるのじゃなくて単にシャレで、ミスリードで、意味そのものは無関係なのでは?

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