石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

137文京区の石碑ー16-句碑2基(東京大学構内)

2019-04-14 07:59:48 | 石碑

東大構内の石碑として、句碑が2基リストアップされているのは、意外だった。

学問の世界での功労者の顕彰碑があるだろうと思ってはいたが、まさか句碑だとは。

句碑の俳人は、山口青邨と水田秋桜子。

俳句は門外漢だが、名前くらいは知っている。

◇山口青邨句碑

山口青邨の句碑は、山上会館裏手にあると資料にはある。

山上会館の受付で所在地を訊く。

応対してくれた60代半ばの男性職員は、「そんな句碑は見たことがない」とそっけない。

仕方ないから、会館をぐるっと一回りしようと、三四郎池方向の階段を下りたら、目の前に石碑が2基立っている。

なんとそれが目的の句碑だった。

何十年も山上会館に勤務していて、こんなすぐ近くにある句碑を知らないというのは、どうしたことか。

とても信じられない。

「銀杏散る まっただ中に 法科あり」

山口青邨は、この句を

「法科はもちろん建物であるが、伝統ある法科を象徴させている。『まっただ中に』によって、さかんな落ち葉のさまもわかるだろうと思う」と自ら解説している。

この「伝統ある法科」に歯向かったのが、山本健吉氏。

「東大法科の『光栄ある伝統』など私は思ってもみないことだ。軍閥とともに日本を破滅に追い込んだ官僚の大量養成所として、国民にはいい記憶ばかりでもないのである。」(山本健吉『底本現代俳句』P232)

そして、山本氏の句評は、「さて、銀杏は東大の名物である。『まっただ中に』とずばりと直線的に言い切ったことは、法科という近代建築物の印象によく映発し合っている。単純で印象明快である」。

山口青邨の句碑と並んで、一回り小ぶりな句碑が立っている。

平成9年(1997)刊行の持参資料には掲載されてないから、それ以降建立されたものだろう。

「銀杏散る 万巻の書の 頁より 有馬朗人」

有馬朗人は、山口門下で、東大総長、文部大臣を務めた原子核物理学者。

俳句結社『天為』を主催している。

山口青邨は、東大工学部の教授だった。

俳句なんだから文学部関係者が多いのかと、私などは単純に思ってしまうのだが、東大俳句会出身で、私などが知っている俳人は、理系、中でも医学部関係者が多いようだ。

その中の一人水原秋桜子の句碑が、医学部図書館のそばにある。

◇水原秋櫻子句碑

御殿山グランドと医学部図書館の間の崖地の下の一画に数基の石碑が間隔をおいて並んでいる。

そのうちの1基が水原秋櫻子の句碑。

大きな自然石の上部を円形に滑らかにして、そこに

「胸像を ぬらす日本の 花の雨」

と彫ってある。

「胸像って、誰の?」と問う人は、ここではいないだろう。

句碑の右手に、二人の西洋人の胸像が並び、左がベルツ、右にスクリーバと名前が記されている。

二人とも、明治の初め、お雇い外国人として来日し、日本の近代医学の基礎を築き、その発展に寄与したドイツ人医師。

東大医学部卒業の水原秋櫻子は、二人の恩恵を身近に感じたようで、何句かの句作がある。

君によりて日本医学の花ひらく

胸像はとわに日本の秋日和

秋空にかがやく歴史六百年

菊匂う国に大医の名をとどむ

生誕の夜の寒星を仰ぐべし

百年前君が仰ぎし夏の富士

 

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