就職活動をする上で、
「夢を実現するんだ。」「自分探し」「理想の自分」などなど、オンリーワンであることを
勧める論調が多いように思います。
しかし、僕はそうした論調こそがニートやフリーター就職できない学生を増やしているように思います。
実際に理想的な仕事を見つけて、さらにそれを自分の仕事にできる人はそんなに多くありません。
たぶん全体の1割もいないでしょう。
にもかかわらず、みんながそうあるべきだと声高に叫んだら、多くの人は自らが凡人であるという現実の重さに絶えられないでしょうし、そんなの無理!!ってそうそうに退散してしまう人もいるでしょう。
学生の人にはふと社会をみて考えてほしい。
働いている人たちは夢や理想のために働いているのか?と。
たぶん、そんな人は少数ですよね。
自分の仕事にささやかな誇りを感じたり、日々の中に喜びや感動もあるかもしれない。
でも、それはやっぱり夢や理想ではなくて、ささやかな幸せと呼ばれるものです
職場の先輩が「世の中って技術的と政治的と、芸術的な三要素でできていて、自分たちの仕事は技術と政治的だけど、芸術的要素が少なくてこれでいいのかなぁ・・」って悩んでいました。
理想が高すぎるんですよね。
僕「ラオスに行きましょう。メコン眺めていれば解決しますよ」
先輩「そんなことはどうでも良くなるの?」
僕「いえ、人の人生はもっとシンプルでも十分に幸せで美しいということを思い出します。
僕たちの社会はあまりに複雑だけど、本来もっと単純な社会の中に人の幸福は満ちているんだってわかるから、そんな難しいこと考えなくてもよくなります。」
と話をしてました。
できる仕事を一生懸命する。それで儲かったら、「うれしい、今日は1ドルも儲かった」
っていうラオスには厳しさもたくさんありますが、やはり美しい世界だと思います。
(ラオスを旅した旅行者は、口をそろえてラオスは素晴らしいといいます。)
日本には「足るを知る」という美徳があります。
僕も
「人生って、旨い飯と酒、いい芸術とそれらを一緒に楽しむ仲間や家族がいれば十分に幸せだ」
って昔から思っています。
そういうささやかだけど、十分に幸せって人生には別に夢や理想はあってもなくてもいいものなんですよね。
なんでみんなそんなに人生を複雑にしたいんだろう?と思います。
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「夢を実現するんだ。」「自分探し」「理想の自分」などなど、オンリーワンであることを
勧める論調が多いように思います。
しかし、僕はそうした論調こそがニートやフリーター就職できない学生を増やしているように思います。
実際に理想的な仕事を見つけて、さらにそれを自分の仕事にできる人はそんなに多くありません。
たぶん全体の1割もいないでしょう。
にもかかわらず、みんながそうあるべきだと声高に叫んだら、多くの人は自らが凡人であるという現実の重さに絶えられないでしょうし、そんなの無理!!ってそうそうに退散してしまう人もいるでしょう。
学生の人にはふと社会をみて考えてほしい。
働いている人たちは夢や理想のために働いているのか?と。
たぶん、そんな人は少数ですよね。
自分の仕事にささやかな誇りを感じたり、日々の中に喜びや感動もあるかもしれない。
でも、それはやっぱり夢や理想ではなくて、ささやかな幸せと呼ばれるものです
職場の先輩が「世の中って技術的と政治的と、芸術的な三要素でできていて、自分たちの仕事は技術と政治的だけど、芸術的要素が少なくてこれでいいのかなぁ・・」って悩んでいました。
理想が高すぎるんですよね。
僕「ラオスに行きましょう。メコン眺めていれば解決しますよ」
先輩「そんなことはどうでも良くなるの?」
僕「いえ、人の人生はもっとシンプルでも十分に幸せで美しいということを思い出します。
僕たちの社会はあまりに複雑だけど、本来もっと単純な社会の中に人の幸福は満ちているんだってわかるから、そんな難しいこと考えなくてもよくなります。」
と話をしてました。
できる仕事を一生懸命する。それで儲かったら、「うれしい、今日は1ドルも儲かった」
っていうラオスには厳しさもたくさんありますが、やはり美しい世界だと思います。
(ラオスを旅した旅行者は、口をそろえてラオスは素晴らしいといいます。)
日本には「足るを知る」という美徳があります。
僕も
「人生って、旨い飯と酒、いい芸術とそれらを一緒に楽しむ仲間や家族がいれば十分に幸せだ」
って昔から思っています。
そういうささやかだけど、十分に幸せって人生には別に夢や理想はあってもなくてもいいものなんですよね。
なんでみんなそんなに人生を複雑にしたいんだろう?と思います。
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ですから、女性はつまらない仕事などで小銭を稼ぐべきではない、という価値観もまた、女性も働くべきだという価値観と同様に尊重されて良いものだと思います。
専業主婦の方はニートではないと思いますし、社会の中で「私はなになにです」と言うときに、主婦でも良いと思います。
無論、仕事での達成感といったようなものは、仕事をしないと見つからないこともありますが、今の生活が満たされているのであれば、無理に隣の芝の青さを考えなくても良いのではないかと思います。
したい仕事もなかったのであれば、なおさら現状でも良いのではないかと思います。
ただ、ネギトロさんのように、結婚なさる方ばかりではないので、そういう学生の人たちには
「したい仕事でなくてもいいし、かっこいい仕事でもなくてもいいから、とにかくできる仕事を一生懸命して社会に出たほうがいいよ」と思います。
「ほんとうにしたいことを仕事にしろ」という窮屈な世の中では、そういう暴論に人生を振り回されずに、幸せなご結婚をしていて、ねぎとろさんは幸せな方なのだと思います。
「本当にしたいことをしないと意味がない」といった論調がフリーターやニートを増やしているという主張に共感したニート主婦です。
私の場合は、「女性がお金のために働くのは見苦しい」というアナクロな価値観で育てられました。
既婚の女性が働く場合、知的専門職、教職など「聖性」が付与されているような仕事、あるいは芸術関係のみOKで、営業や販売の仕事などをしていると「お金ほしさに賎しい仕事をする浪費家」扱いするアナクロぶりでした。
こういう環境に反発しつつも、「女性がお金のために働くのはよろしくない」という価値観を内面化してしまった私は、大学卒業後、したい仕事もないし、公務員試験は面接で落ちたし、婚約者は「無理に働く必要はない」というしで、結局そのまま専業主婦になってしまいました。
今の生活に特に不満はありませんが、無理にでも働きに出ていれば、自分の仕事に「ささやかな誇り」を感じることもできたかもしれないのに。。。と寂しく思うこともあります。