独人戯言

日々の戯言をつらづらと

愛美会

2007-11-02 | あの頃
私が崇拝するフレーザー幼稚園に「愛美会」というのがあります
幼稚園生誕100周年のときにかかわらせていただいたご縁で 幼稚園で役員をさせていただいた卒園児の母の会です

 私は卒園後 すぐ引越しをしましたので何のお世話もしていなかったのですが
嬉しいことに 私宛に「愛美会」会員の皆様へ というお手紙が届きました
嬉しかったこと 嬉しかったこと 会員でいさせてくれてたんだ
 「愛美会」として今年も幼稚園のバザーに参加されるというので 久々の手芸を致しました 売れ残らなかったかなぁ



「朱に交われば赤くなる」という諺がありますが 幼稚園の先生の考えや思いが
そのまま子ども達や その母親へまで染渡り 私の心のふるさとになっています
頑張って「愛美会」を続けてくれている当時の友達に感謝です


鈍行列車の旅

2007-07-09 | あの頃
『芸備線』に続いて思い出したことが…



汽車好きでした。


そういえば…
鈍行列車で旅がしたいと…
親友三人で『鈍行列車の旅』なるものを実行しました。
目的地は萩…だったかな。
うろ覚えです。


目的地よりも、列車の中でうら若き乙女三人が(当時)
ビール三昧…
駅の停車時間にホームの売店にビールを買いに走り…
次の停車駅ではつまみを買いに走り…

そんなことだけ…
憶えています。



汽車好き…というより

???…

芸備線

2007-07-04 | あの頃
>広島県内を走るJR芸備線の急行「みよし号」が30日で廃止されることになり、記念のセレモニーが開かれた。 JR三次駅で開かれたセレモニーには、地元住民や鉄道ファン約300人が駆けつけた。みよし号は、JR広島駅と三次駅を結ぶディーゼル式の急行列車で、22年前に運行を開始した。全国的に急行列車が姿を消す中、長年、多くの市民に親しまれてきたが、車両の老朽化や利用者の減少などに伴い、30日の廃止が決まった。

全国全ての『急行列車』が姿を消すこととなりました。
芸備線の急行列車は、広島市内から帰省する私にとってはとてもお世話になった列車です。
鈍行(各駅停車)の列車を利用すると三時間半かかりました。
20年辺り前の話です。
急行を利用すると二時間で帰れました。
鈍行は急行待ちをするため必要以上に時間がかかります。

あの頃、この急行はいつも満員で、座席を確保するために一時間も前からホームに並んで順番待ちをしたものです。
今考えると、ちょっと笑える話ですが、一人でも前に並びたいと真剣に待っていました。

高速道路も開通していなかった頃、多分一番早い帰省のための『足』はこの急行列車だったのでしょう。
休みの前の便には、必ず故郷の知った顔さんが乗っていました。
頭の中に『ホームにて』が流れます。



今でこそ、帰省は全て車ですが、あの独特の振動とあの匂いが懐かしくなってきました。
鈍行しか走っていませんが、列車で帰省してみたくなりました。
列車のイメージは学生時代のイメージと重なります。
現在も殆どの利用者は学生なのでしょうね。


雪の降る日は汽車に乗るのが好きでした。
頭の中は『なごり雪』に変わりました。

待てど暮らせど来ぬ人を

2007-05-30 | あの頃
会社の隣のお宅の庭に『月見草』が咲いています。
と言っても夕暮れから開く花ですから
私が見るときの花びらは閉じて橙が強い色になっていますが。

『月見草』『宵待ち草』…オオマツヨイグサですね。
綺麗な名前だから好きです。


子供のころガクに包まれた蕾をそっと割って
出てきた淡いレモン色の、薄いパラフィン紙のような花びらが
宝物のように思えて、手のひらに握っていました。

月見草は初夏の夕暮れの田舎の川原に生えていました。
そのイメージは影絵のように父の思い出にリンクします。

10才のときに亡くなった父との思い出は数少ないものですが、
仕事から帰った夕暮れに、毎日私を肩車して田んぼへ水を見に行っていました。
川原を歩きながら童謡を唄ってくれました。
『一番星見つけた』『夕焼け小焼け』『七つの子』



童謡は私にとって切ない唄です。
父の肩車と一番星
月見草からしばし昔に浸ってしまいました。

かんじ君

2007-03-22 | あの頃
最近、周辺の日記でタイトルに名前をいれるのが流行って(?)
いるみたいですので… 私も

かんじ君

県教職員の移動が新聞に掲載されました。
そこで見つけた名前「かんじ君」
彼は私の実家の隣の親戚のこどもで、ひとつ年上です。
家庭の事情で、長期の休みには必ず隣に預けられていました。
ひとりっこの私は、物心ついた時から休みはかんじ君と遊んでいました。
たんぼで…川原で…山で…
いつしか年頃になり、なんとなくお互い意識し始め、
思春期頃から遊ばなくなりましたが
かんじ君は優しいお兄さんでした。
かんじ君は小学校の先生になりました。
ぴったり天職だと思いました。

何時だったか、たまたま帰省していたとき、かんじ君が教え子をつれて
田舎に来ているのをみました。教え子に川原や、田んぼを案内して歩いていました。

かんじ君、もうないんだよ。
現在は田舎でも自然のままが残されていないんだよ。
小川の砂地のしじみも、堰をはねる魚も、川ニナも…
川原のいちごも、れんげ田も…
怖かった丸太の一本橋も、危ないあぜ道も…
二人で遊んでた自然は全て区画整理されてないんだよ…
かんじ君はがっかりしたかなぁ。
ちょっと寂しくなりました。


あの頃から殆ど話しをしたことはありませんが
かんじ君はきっと良い先生になっている。
こどもと一緒に遊べる良い先生になっている。
私は確信しています。

水溜りの氷

2007-02-14 | あの頃


訪問先の日記を読ませていただいておりましたら
水溜りの薄氷のことが書いてあり、体中に昔が沸いてきました。

学校に通う道が舗装されていなかったのは確か小学校の低学年の頃まで
水溜りだらけ・石ころだらけの道は格好の私達の遊び道具でした。
遊び方は無数…雨なら雨なりの 雪なら雪なりの

氷が張ると先頭を走ります。
一番に氷を割るために…
氷が張ってその内側に水がなくなった白い氷
これが一番の特上氷 「パッリン」とガラスのごとく割れます。
氷の模様も輪紋が綺麗なのです。
霜柱もあちこちに出来ていました。

現在は実家でもこんな道はないでしょうね。
水溜りの氷が割りたい。
バケツではなく、水溜りの氷を長靴で割りたい。
水溜りから水溜りまで飛び跳ねて歩きたい。

昔はあたりまえの光景が、今では思い出の光景になってしまっているのです。

タイムスリップ

2006-11-03 | あの頃
懐かしさと元気をいただいてきた。
息子達が通った幼稚園のバザーに行ってきた。

何も変わっていない。
園庭も教室も制服もバザーの雰囲気も



エーキに幼稚園のバザーに行くって言ったら
「あっ、あの、先生達の作る飴買ってきてね。」
とすかさず言われた。

12年前だぞ。まだ先生達は飴作っているのかぁ。
と思って行ったら普通にあって嬉しかった。
昔と全く同じでセロファンに包んでレイにして
昔と同じように絵本袋かけにかけて売っていた。
昔と全く同じに隣で魚釣りゲームしていた。
エッくん達は元気ですかと声かけて下さった。

殆ど逢わないのに暖かく迎えてくれる友達も
12年前、ここの園庭で夕方になるまで
子育てについて語り合っていた仲間も
それぞれ違った人生を過ごしているけれど
みんな一応に優しくて明るくてあの頃と全然かわっていない。



園内に入った瞬間から
まるで12年前にタイムスリップして
この飴をつつんでいる黄色いセロファンを通して
景色を見ているような不思議な気分になった。




※よろしかったらこの幼稚園について書いた前の日記
この日から8日続けて書いています。

アンパンマンマーチ

2006-08-29 | あの頃






かかりつけの眼科は子供用にアンパンマンのビデオを流している。
年子の泣き虫の幼児達の母だった頃
どれだれ助けられたか。母にも勇気をわけていただいたことか。




  なんのために 生まれて
  なにをして 生きるのか
  こたえられないなんて
  そんなのは いやだ!!


  なにが君の しあわせ
  なにをして よろこぶ
  わからないまま おわる
  そんなのは いやだ!!


友達のダンナ様が
この歌は『倫理社会』だ
と言っていたというのを思い出した。

恒例の集まり

2006-08-28 | あの頃







恒例中の恒例の…そろそろ高齢の
夏の集まり
(って…グダグダ飲むだけだけど)

やはり一番都合のつきにくい私に無理やり合わせていただいた。

年に2度の集まりと、年賀状のみなのに
久しぶりって気がしないのは何故だろう。

近況報告しあうだけで安心する。
(うわっ 高齢だけに安否確認になってる)

いまやそれぞれの子供でさえ、高校生を卒業しつつあるというのに
自分達の高校時代の話で盛り上がること。
薄くなりつつある記憶をたどりよせ
(うわっ 脳のトレーニング)


しかし…性格もタイプも全くばらばらのこのメンバーが
どうして仲良くなったのか毎回不思議だったのだけど
学生時代の事を思い出すことでなんとなく見えてきた。

我等、実にクラスから浮いていた者の集まりだわ


今後とも高齢のイヤ恒例の集まりよろしく。



海の日の戯言

2006-07-19 | あの頃




古き良き時代になるのだろうか。

小学校にプールが出来たのは
確か高学年になった頃だった。
それまでは夏休みは『川』で泳いでいた。


川原に掘建小屋が作ってありそこに大人がひとり監視してくれる。
川で溺れる水の事故が起こっているが、それはそこの川を知らないからだ。
毎日泳いでいた私達はそこの川をよく知っていた。
ここからは深い。飛び込める。
ここの石はすべる。気をつけなければ。
ここの流れは速い。絶好の浮き輪で流されるポイント
魚の居る岩の間。文字のかける石が転がっている場所。
休憩にぴったりの大きな石…
水泳というよりサバイバルキャンパーだった。

プールに変わって泳ぎは上手くなったけれども
遊びの幅は確実に減った。創造性も生まれない。


しかし、現在は洪水防止のため、川も造成工事がなされていて、
川ですら自然ではなくなっている。
良いことだろうが何かが忘れられている事も事実だ。