寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

トーフのドリアを作ってみました

2015年04月08日 21時59分44秒 | 男の手料理といえるかな?

 創作料理といえるような代物ではありませんが、新しいものを作る

というのは楽しいものですね。スーパーへ食品を買いに行ったら、

しばらく売り場の棚から姿を消していたレトルトのドリアを売っていた

のでさっそく買ってきました。

 今夜の夕食のおかずの材料がなかったのでドリアのルー?を使って

米飯のドリアを作りました(写真左)。

  

そレトもう一つ変わったものを作ろうと思って丁度木綿トーフがを買って

あったので、これでミラノ風ドリアを作ったらどうかと思い作ってみました。

 初めに短冊に切ったトーフをざるに乗せて余分な水分をとりました。

ドリアの皿の底と側面にバターを少し厚めに塗り、短冊に切ったトーフ

入れ、雑切りにしたモモハムを乗せます。その上にミラノ風ドリアのルー

を少し多めに掛け、チーズも少し多めにのせてオーブントースターに入れ

て12分間ほど焼き上げます。チーズに焦げ目が付いたら取り出します。

大きめの皿を受け皿にしてその上に乗せて軽く塩を振り出来上がりです

(写真右)。

 家族の食後の感想は結構いけるという評判でした。次には絹トーフを使

ってみようと思います。写真はスマホで写したので色がよく出ていません。


トラブルメーカーになりたくないけど

2015年04月07日 13時39分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、昨年妻を病気で亡くした60代後半の方の話を聞きました。
 彼は自分に素直になれないで困っているということのようでした。
  彼は病気の妻に対して定常だったときと同じようにいろいろなこと

で文句を言い時には手も上げたことがあったという。そのうち妻が生

死の境を彷徨うようになったときに彼はハッと気がついて大きな後

悔の念にとらわれたそうです。妻が元気なときに何故もっと優しくし

てあげなかったのだろうか、妻が好きなところへ旅をしたいと言った

とき何故そんなことはくだらないといってしまったのだろうか、何故

妻ともっと楽しい時を過ごさなかったのだろうか等々後悔の念は次

から次へと生まれたといいます。
 そうして妻が遠くへ行ってしまったとき、彼は酒に後悔の気持ちを

紛らわせたといいます。しばらくして彼は仕事をしていた頃の状態に

戻っていきました。職場は学校で子供たちは自分の言うことを全て

受け入れてくれました。そして年長の同僚の言動の一つ一つにいら

いらするようになっていきました。そのうち年配の同僚に対して強い

口調で文句を言うようになりましたが、年配の同僚は彼を相手にし

ませんでした。それで彼のいらいらがますます増長していきました。
 やがて彼も定年を迎えました。彼は体力もあり、生活状態が全く

変わってしまいましたが、彼の習性は変わることがありませんでし

た。そんな時期に妻が永久の国へ旅立ってしまいました。初めて

孤独の寂しさを経験した彼は何とか自分を取り戻そうとしましたが、

なかなか上手くいきませんでした。今までの世界とは全く別の世界

に入ったのです。つまり大人の世界に入ったのです。

 そうすると今まで全て自分の言うことを聞いてくれた世界とは全く違

ってしまったのです。しかし彼は自分の性格を変えることは出来ませ

ん。それで居住地の団体に入っても高齢者に対して高圧的な言動を

とるようになりました。 高齢者の中には同調するものがいて彼の行

動はエスカレートしていきました。

 その結果彼は横着者とかトラブルメーカーと言われるようになってし

まいました。妻との死別、世の中が自分の意のままにならないいらだ

ち、その他いろいろな原因が彼をトラブルメーカーにしてしまったのか

もしれませんね。

 他人を攻撃することで自分を隠さなければならない彼を哀れと思うこ

ともありますが、自分の行き方を自分で変えない限り彼はいらいらから

脱出することは出来ないでしょう。 

 困ったものです。


鳶が鷹を生むという話?

2015年04月06日 02時12分44秒 | 日記・エッセイ・コラム

 鳶が鷹を生むという言葉があるのをある出来事を機会に思い出しました。初めに断っておきますが、鳶と鷹のどちらが偉いとか身分の上下とか価値が高いとか言うことでは無いのです。
 しかし辞書の表現では鳶は卑しい生き物とされているようです。その理由は鳶の食餌によるのかもしれませんね。鳶は他のものをかすめ取っていくとか死魚を食するということによるらしいのです。
 他方、鷹は”鷹は死すとも穂を摘ます”というように高潔の象徴にたとえられています。また”鳶が鷹を生む”というように鷹の方が格上とみられていたようですね。この意味はいろいろ解釈があろうと思いますが、一般的にはありふれた夫婦から傑出した人物が生まれると言うことを表現しているということです。
 子供へ伝えられる性格とか才能というものは両親の遺伝子によって決まるとよく言われますがが、突然変異のごとく全く違った子供が生まれることもあるでしょう。といって親が子供に現れたような遺伝子をその親から受け継いでいないのかというとそうとは限らないと思います。性格や才能は生活環境によって出現することもあるといわれているからです。
  私の元同僚に高慢で自信過剰の男I氏がいました。I氏は実験服の白衣のボタンをかけずに白衣の裾をひらひらさせてローカを歩くのが得意でした。周囲の同僚達から鼻持ちならないやつだと言われていましたが、一つだけ良い性格を持っていました。それは人の悪口を滅多に言わないことでした。そのためにI氏は不思議に同僚達から信頼されていました。
 しかし、I氏には特定の同僚M氏に対してはある種の敵愾心を燃やしていました。例えばこんなことがあったという話です。M氏がある日、ニコンFIIIという高級カメラを使い始めました。すると数ヶ月してI氏は新製品の同社製のFIVというカメラを買って見せに来たということです。M氏曰く(いわく)I氏が自分の方がよいカメラを持っていると言いにきたようだと笑っていました。
 そういえば私にもK大学出身のK氏という知人がいたことを思いだしました。K氏は仕事仲間から膨大な試料を集めて分析しデータを所有していました。そのデータをどういう課題を付けて発表するか決めかねているといっていました。

 研究というのは目標を定めてはじめるのが通常ですが、研究を進めている内に脇道に更に興味を引くテーマにであうことがあります。それを研究していく内にすばらしい結果を得ることはしばしばあります。
 K氏を初め研究者の間ではテーマを探すのが大変だと言われていました。どういうことかといいますと、データは測定器の発達によっていくらでも出せるようになりました。それこそ専門の研究者でなくともルーチンに測定器を扱えればデータを出せるようになったからです。しかしそのデータをどう解釈してどうまとめればよいかと言うことになると、そこには才能が必要になります。つまり研究者にとって最も必要なものはいいアイデアを出せるかどうかと言うことが重要な問題になると言うことですね。
 私は好奇心とアイデアを考え出すこととは一体のものであると考えています。したがって他人の真似をすることに好奇心がいってしまうとアイデアは出てこなくなってしまいます。また、意見の交換ということも重要な要素になることが多いでしょう。議論のないところには、進歩が無いともいわれるほどです。

 余談になりますが落語に「火炎太鼓」という演題があります。この話は古今亭志ん生師が得意とする演目ですが、話の内容をかいつまんで書きましょう。

 ある古道具屋がいました。彼はお上さんに”あんたはアンニャモンニャだ”といわれるようなぽーっとしている亭主です。その亭主が古道具市で誰も見向きもしない小汚い太鼓を買わされて帰ってきました。お上さんにはひどいことを言われましたが、使用人に太鼓に付いているホコリをハタキで払わせました。すると大きな音がしました。丁度そこを通りかかったさる大名の殿様がその音を聞きつけてその太鼓を屋敷へ見せに来るようにということになりました。お上さんにさんざん酷いことを言われて尻込みをしましたが、勇気を出して持っていきましたところ、その太鼓は国宝級の『火焔太鼓』と判明しました。殿様はその太鼓を300両で買い上げてくれました。一分(イチブ:4分で1両)で買ったものが300両になったのですから大もうけをしたことになります。家へ帰ってお上さんに報告すると、お上さんは彼をすばらしい商才の持ち主のように褒めるという話です。私はこの話が好きで繰り返し何回も聞き入ることがあります。

 考えようによっては何事でも日々努力をしていればチャンスが到来することがあるものですね。

 鳶と鷹は同類・同族であるが自ら求めて餌(アイデア?)を得る方法を考えるか、落ちているものを拾って済ませるかということが鳶と鷹の決定的な違いなのかと思うのですが。どうでしょうか。


近頃天気予想がよく当たるようになりましたね

2015年04月06日 02時05分23秒 | 日記・エッセイ・コラム

 自分のことで恐縮ですが、私はかって20編ほど自然現象や

科学的な事実を子供向けの童話として易しく書き、ある出版社

が出している小冊子に2年間以上掲載されたことがあります。

 よく考えると自然現象や科学的事実というのは既に日常的に

体験したり利用されたりしていますが、その基本的(理論的)な

問題は解明されていないことが多くあるようです。
 例えばお正月に遊ぶタコは何故空高く昇るのだろうか。飛行

機は何故空を飛ぶことが出来るのだろうか。ヨットは何故風上に

向かって進むことが出来るのだろうか。霧吹きは何故水を吸い

上げて吹き出すときに霧になるのだろうか。高速で走る乗り物は

何故流線型にしてあるのだろうか。など難しい問題が含まれてい

ます。
 理論的に解明されなくとも経験的に利用可能である場合には利

用することによって大きな利益が生ずればよいと考えることも出来

ます。しかし経験則に頼る場合には必ず不測の事態が発生する

可能性があることも経験則の内として覚えておかなければならない

と思うのです。
 話は飛びますが、金沢へ行くのに新しく出来た新幹線を利用すると

、もしかしたら飛行機を利用するより早く行けるようになったと考える

人も多くいるでしょう。金沢も日帰りの距離になったということですね。

また金沢へ新幹線に乗って行ってみたいと思うようになりました。


再びパリで

2015年04月02日 10時27分55秒 | 旅行記

     

 この旅もいよいよ終わりに近づきました。再びパリについて

どうしても行きたかったところは、パスツール研究所です。

パスツールは私の生き方を決定づけた偉人の1人です。

そのことは『その日から ...』にも書きました。偉人の伝記が

こんなに人の生き方に影響することがあるんですね。

 3枚目の写真は有名な話を語り継いでいます。簡単に書きますと、

狂犬に咬まれた子供を鍛冶屋に連れて行き,焼き火箸を傷口に

突っ込んで”焼毒”して子供を救ったという話です。

 研究所の中に博物館がありいろいろな展示品がありました。医科学

に興味のある方は是非お薦めしたいスポットの一つです。

      

 午後はノートルダム寺院へ行きました。柵のない危なっかしい上下混合の

階段を上り屋上に着くとパリの町並みが遠くまで見えました。古い建物

なので、彫像が風化して丸くなっていました。パリも昔は酸性雨が降った

ようでその影響かもしれませんね。そういえばオペラ座の地下で長ーい

炭酸塩のストロー(鍾乳石の一種)を見たのを思い出しました。

その後で、セーヌ川の遊覧船に乗って水面から町並みを見て回りました。

 地上で見るのとはまた違った風景を見ることが出来ました。

 さて最後の日,16時頃の便に乗るために早めにド・ゴール空港へ行きました。

免税店を見て回っている内にいつの間にか時が過ぎ、出発のアナウンスを

聞き逃してしまいました。最後のアナウンスを聞いて慌てて搭乗口に行き

最後の乗客として登乗することが出来、すんでの所で間に合いました。

 途中、韓国の空港でトランジットしたあと深夜成田空港に着きました。

最終列車に乗ってようやく自宅に着きました。

 この旅はマラガで開かれた国際航空宇宙学会に参加発表することだったの

ですが、旅の話が中心になりました。

 次回は未定ですが、いつかストックホルムでの学会に行った際の旅に

ついて書く予定です。