寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

ふるさと納税について

2015年12月18日 21時21分55秒 | 日記・エッセイ・コラム

 この数年前からふるさと納税という言葉が報道でも見聞

きするようになってきましたね。東日本大震災のとき、被害

が甚大だった県に義援金と衣類を送ったことがあります。

そうしたら次年度の確定申告のときに義援金の額がふるさ

と納税をしたことになって当地の住民税が減額されていま

した。私はそんなつもりで義援金を差し上げたのではなか

ったのですが、制度上そのような取り扱いになるということ

でした。制度というのは面白いものだと思いました。

 しかし、今流行?しているふるさと納税というのは不思議

なものですね。納税先の自治体とは全く関係の無い人がそ

こで生産されている物産をほしいためにふるさと納税をする。

というのですからこれも面白いですね。正式には目的の自

治体に何かの縁があって寄付をする、寄付を受けた自治体

はその行為に対してお礼をすると考えるのがいいのでしょう

かねえ。ただし自治体では今ものをお礼に差し上げます等

と宣伝ではないと思いますが写真付きで紹介していますね、

これも少しおかしいのではないかと思います。近頃では各

自治体のお礼の物産を解説付きで紹介している冊子が出

てきました。さらに新聞などでも特集記事を組んでいます。

納税という国民の義務をどう考えているのでしょうか。

 

 

 

 

 


1Kg当たり1万円だったアンプ

2015年12月18日 12時22分38秒 | 寓居人の思い出話

 大学を卒業して仕事をするようになった頃(1966年)、FM

放送でクラシック音楽が放送されているのを知りました。後

輩にS君という人がいまして、この人にFM放送を聞きたい

がと相談しましたらいろいろ装置とその価格を教えてくれま

した。当時プリメインアンプは1Kg当たり1万円というように

質のよいものはかなり高価でした。私の給料は月額3万円

ほどだったと思いますが、手が出ないほどでした。しかしFM

ステレオ放送を聞きたいために貯金をはたいて贅沢をしまし

た。

プリメインアンプ(山水:11Kg)            12万円

受信機(ケンウッド)                    6万円

テープレコーダー(テアック)               6万円

ターンテーブル(山水:ターンテーブル1.5Kg:ダイアモンド針付)

                                8万円    

スピーカー は放送局仕様の16cm2個と高音用6cm1個

 をもらったスピーカーボックスにセットしたものを2個自作

したものを取り敢えず使いました。後に山水の32cmウー

ハーつきのセットを買いました(1本8万円ほどだったと思

います)。 

 これらのセットで聞くクラシック音楽はずいぶん心身をいや

してくれました。

 ここで思い出しましたが、茅ヶ崎の団地へ転居した頃に通

勤電車で知り合ったFM東海の依頼で毎日15分間番組を5

日間お話ししたことがあります。今でもその放送した内容を

録音したものが保存してあります。今では聞くに堪えないよ

うなものになってしまいましたが.....。            

 

 

 


今だから告白します (思い出話)

2015年12月18日 12時18分13秒 | 寓居人の思い出話

 1952年4月、私は晴れて県立高等学校へ入学出来ま

した。そして入学式当日校長先生の訓話?があり、教室

へ戻って担任の先生から繰り返しいかがわしいところや

未成年者が入ってはいけないところには近づかないよう

にと注意がありました。

 そしてその帰り、同じ村から通学するH君と2人でパチ

ンコ屋へ入ってパチンコを経験しました。昼間のことで店

内はほとんど客がいませんでした。たしか10円?分の

玉(10個?)でパチンコをやりました。瞬く間に玉がなく

なりそれでこんなつまらないものはもうとやらないとH君

と2人で話し合ったものです。他にお客がいたら高等学校

へ通報されて処分の対象になったかも知れません。

 私はその後記憶にあるだけで2回パチンコ屋へ入りまし

た。 さて、私は高等学校へ入ることができたのは一重に

一昨年故人となった姉のお陰と感謝の気持ちを忘れたこ

とはありません。どれくらいの給料をもらっていたのか分

かりませんが、毎月1500円も送金してくれたのです。高

等学校の授業料は月額550円、それにその他の費用を

加えると800円ほどを学校へ納めたと思います。居住地

から高等学校へは約18Kmあり、 通学には自転車を利

用しました。その自転車は村にたった1軒あった自転車屋

さんで捨てられた自転車の部品をいただいて組み合わせ

て自転車店の主人に教えてもらいながら自作したものを使

いました。そのために自転車のことについてはほとんど知

ることが出来ました。何しろ捨てた部品ですから、前輪のリ

ームにブレーキの穴が空いたり、ペダル軸や後部車輪軸の

ボールベアリングが割れて動かなくなったりした場合には自

転車屋さんにいって捨てた自転車の部品から調達して修理

したものです。

 それが大学に入って伊豆半島一周(4泊5日)の旅をしたと

き大変役立ちました。

 若いときの話とはいえ申し訳ありませんでした。