寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

世の中の規則というものは

2011年11月21日 13時02分37秒 | 日記・エッセイ・コラム

 もう大分前の話になるが、ある研究所で五十年代の方(Aさん)が新しい研究をすると言うことで、かなりの金額の予算請求をした。なかなか予算が付かないので数年にわたって請求を続けた。初めに調査費という名目で予算が付くことになった。その数年後に、本予算がついたが時代が移り、購入金額が増加してしまった。それは性能が良くなったことなどが原因であった。その問題は予算の決定時に調整できたと言うことで目出度しめでたしになった。

 しかし、結果としては喜べない状態であることが明確になった。というのは、Aさんはその設備の建設が始まったときには、あと1年で定年になることであった。その設備を積極的に使用する研究者は、他にいないことが明らかになった。それは時代が移れば研究テーマも変わることはよくあることである。といって設備を建設することは予算を付けてしまうと、世の中が代わったと言ってただちに修正・削除することは出来ないシステムになっているからである。

 結果として、Aさんはその設備を1回も使用せずに定年を迎えてしまった。その設備を使ってどんな研究をしたかったのかについては、もう明らかではない。きっとすばらしい成果を上げたことだろうと思う。残念なことである。

 このような話は日常生活のかでは、よくあることのようである。

 話は少し変わるが、台風15号被害について前に書いた。そのときの消防署員の方々の対応の早さには大変感謝している。そのとき私は、屋根が飛んで他の人や物品に被害が及ばないように直ぐにも対応してほしいと思っていたので、道路に出て通行人や車が来たら注意しようと外で待っていた。だから対応が早くて助かった。

 その修理がようやく終了した。その際の保険会社の対応は、非常に早かったのでおおいに助かった。修理の際に施工者はきちっと工事をやってくれた。そのついでに、台所、洗面、風呂釜等の水回りも改修した。施工者は時間に追われると知ってか知らずか手抜きをすることを見てしまった。その手直しをするために再び時間をかける仕儀になる。一日目の仕事を見ていて手抜きをすることがわかったので、二日目には監督者に丁寧な仕事をするように頼んでいたのに、同じ人が来て手抜きをした。施工者としては恥ずかしいことだと思うのだが。最終的には、別の施工者が来て手直しをすることになった。初めからきちっとした仕事をすれば、時間と信用を失うことがないのに残念である。

 私の父親は、仕事に関しては非常に厳格で手抜きなど絶対にしなかった。そのために体調を崩して仕事が出来なくなるまで注文が絶えなかった。職人の信用は作品を見て判断するものであることを父親から無言の内に教えられた。それがどのくらい世の中で役に立ったことか。父親に感謝している。