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特別支援教育 34 なんでかなぁ? 自閉症の子どもたちとの関わり

2013-03-28 07:06:24 | 特別支援教育
希望でみちびく科学
クリエーター情報なし
クリエイツかもがわ


 また三木先生のお話を聞かせていただく機会がありました。

 たまたまですけど、4月から仕事をする予定の社会福祉法人で、職員対象の研修として話をされるということだったので、聞きに行かせていただきました。

 場所が社会福祉法人で、対象がそこの職員ですから、学校の授業云々ではなくて、自閉症の人たちの特徴とそのとらえ方を具体的にわかりやすく解説されていました。

 私自身は、実は自閉症の子どもたちとの関わりの機会というのはそんなに多くないので、「なるほどー」と思って聞かせてもらうことが多かったです。

 本の内容とも重なる話がいろいろありました。



 で、それで思い出したこと。


 自閉症の特徴は顕著なのだけれど、言葉での指示はよくわかり、それに従って行動することができる子どもさん。

 例えば「教室に行きます」「トイレに行きます」「CDはさわりません。」「ブランコはもうおしまい。」等々、指示したら、あまり表情を変えたりすることなくそれに従える。
 で、いつも大人の様子というのをとても気にしている。

 ここだけ見ると、表面的にはそんなに問題はないわけです。指示はよく入るわけですし、すぐ行動に移って、座り込んで動かないなんていうこともないわけですし。

 で、そうこうして過ごしている中でですが、一見、まったく唐突に、その子から顔面へのパンチがとんでくることがありました。

 別にそんなに表情がイライラしているとか、怒ってバタバタしているとか、そういうことではない時にです。


 で、これはなんだろうなと?。意味がわからんぞと。

 ただ、そのパンチとか蹴りとかいうのは、彼の感情や要求の表現なんだろうなとは思ったわけですね。

 で、思いついたのが、「ああ、これは彼はイライラがたまってたのではないか。」ということ。



 どういうことかというと、彼は1日の日課の中では「これをしなさい」「これはダメ」といった指示とか禁止をされることがどうしても多くなるのです。

 自分が他のこと、例えばもうちょっとカタログを見ていたいなぁと思っても「教室へ行きます。」。まだブランコがしたいなぁと思っていても、「もうおしまい」。

 そういう指示、禁止、指示、禁止、指示、禁止を繰り返される。

 言葉として頭の中で整理されていなくても、普通に考えてこれはイライラがつのってもしかたがないなと。


 その場その場でうまく気持ちを表現できずに、イライラがだんだん重なってくる。それが彼の中で臨界に達した時に
 いわば「うっとおしいんじゃーい!」的な表現としてパンチが出る。


 でも、その時の表情は「普通」で、一発パンチが出たら、あとはまた「普通」に戻る。

 それは自分自身の感覚からすれば、ちょっと不思議な行動ではあります。


 で、一々ノートにつけたりはしていないけど、自分が彼に対して発する言葉なり、様々なコミュニケーションがどういう内容なのかというのをちょっと意識して考えたことがあるのだけれど、やはり「指示」「禁止」が非常に多い。

 反面「称賛」とか「是認」とか「評価」とか、そういう言葉、コミュニケーションは少ない。これらの意識してそれらの言葉、コミュニケーションを使おうとしないと、あまり出てこないのです。

 なので、それからは、私の場合は頭の上で両手で大きく○をつくったり、拍手をしたりする、そういう「称賛」「是認」「ポジティブな評価」、そういうものをなるべく多くするようにしました。


 それですぐにそうした「問題行動」が変わるかというと、そんなことはない。

 日々の調子によって、すごく荒れているなと感じる日があったり、逆にスッキリしているなと思う日があったり、色々です。


 が、別に自閉症の子に限らないけど、コミュニケーションの時には「称賛」とか「是認」とか「評価」とかを大事にするのをこちらがわの基本的なスタンスにする必要はあると思ったわけですね。


 自閉症に対する様々な研究とか指導方法は近年、ずいぶんと進んできて、蓄積も生まれてきている。
 だから、試行錯誤的な指導方法をとるのではなく、今日的な知見も活用した指導、支援をすすめていくのは必要なことでもあり、それが有効で意味もあることにつながることは当然あります。

 が、「自閉症だからこうしなければいけない」「自閉症だからこうしてはいけな」というような、決め付けがあると「それはどうかな」ということになってしまう場合がある。


 大事なことは、それがその子にとってどれだけ意味のある大事なことなのかを考えるということ。

 また、わからないことがあったら「なんで?」「なんで?」と考えてみること。「なんで?」を2~3回繰り返すと、だいたい問題の本質に行き着くのではないかと思います。



 この「パンチ!」の彼ですが、時々、そんなに強くではなくて、軽~くパンチを出すことがある。それは言ってみたら「なんでやねーん!」的なツッコミとか「ちょっと面白くないんだけどなぁ」みたいな気持ちの表現のように感じることがありました。

 パンチはよくないよ。人も傷めるし、自分も傷めてしまうことがあるしね。

 だけど、その気持ちはいいわけだ。としたら、その感情なり要求を他の形でうまく伝えられるようになってくれたら、社会的にも是認され、わかりやすいような形で、それも周囲を気にしながらビクビクしているのではなくて、自分から伝えられるようになってほしい。

 じゃあ、どうしたらいいか?。その具体的な提案が自分からできないのがもどかしい感じがしました・・・。

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