旧:鳳凰堂のランダムウォーカー <伏見の光>

2019.4.22以降、新規の主要な記事は新サイト「fusiminohikaru.net」
で書いています。 

「新しい株式投資論―「合理的へそ曲がり」のすすめ」6

2008-02-02 17:57:13 | 株式投資・資産運用
 きりがないので、これで最終にしておきます。

 行動ファイナンスについては、私自身、非常に興味を持っている分野です。ここでは内容についての言及はしないでおきます。

 最終章が「ゲームとしての株式投資再論」です。

 ここではいくつか、感覚的に異なると思うところがあります。

 「金持ちが勝つゲームではない」ということについて。

 言われていることの内容はそのとおりではあろうと思いますが、「金持ち」というよりは資金的に余裕を持った投資をしていた方が勝ちやすいということは言えると思います。これは精神的な余裕といった意味でもですし、実際の売買においてもです。これはどういうことを「勝つ」とするのかの定義にもよりますが・・・。

 また、「努力しても上達しない」ということについて。

 これも著者独特の言い回しだと思いますが、努力、というか学習、することにより、合理的な発想を身につけ、そのことにより、最悪の事態を回避するような投資スタンスを身につける、自分のスタイルを確立していくことは可能でしょう。そういう意味では「努力すれば上達」すると思いますが・・・。

 個別銘柄の選択能力や売買タイミングについて上達するかといえば、これは実際のところ、100%無理とは言わないまでも「運」の要素も大きく相当に難しいと思います。が、資金管理、ポジジョン管理については、「上達」という言い方が適切かどうかはわかりませんが、よりよい形を作ることは可能なのではないかと思います。というか、私自身の現在の運用における課題の主眼はここにあります。

 最後に「不美人投票」としての株式投資について。

 よい例えだと思いました。既に「美人」との評価が高い銘柄については、それに則した株価がついているはずで、ここでさらに利益を得るためには、「美人」が「超美人」(?)として評価されるようにならないといけないわけですね。であるならば、「そこそこの美人」が「美人」になったり、あるいは「不美人」が「普通」になたりする可能性が高いものを探す方がいいわけでしょう。

 ただ「美人投票なんて意味ないからやめよう」と思う人が多くなる(株式市場から資金が離れる)ような状況では、これまで「美人」だともてはやされてきた銘柄も「普通」の銘柄になったりしますね。今が全体としてはそういう時期かと思います。

 それが、「あ、やっぱりこいつは美人だ」と見直されたりすることもあるわけで、まあ、このあたりをどう判断するかということも利益の源泉になったりするんだろうなと思います。

 はい、ざーっと書きましたが、全体としてなかなか面白かったです。一読をおすすめします。

 誤読などありましたらごめんなさいね。



 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新しい株式投資論―「合理的へそ曲がり」のすすめ」5

2008-02-02 17:39:08 | 株式投資・資産運用

目標株価の設定について。

 無条件でそのようなものを設定する意味はないと思うが、これはケース・バイ・ケースだろうと思います。売却することによって、個人の投資の目標を達成できるのであれば、それは売却すればいいわけで、基本的に投資などというのは個人の事情を最優先して対処すべきものと考えます。

2章のところでは
「せっかく株式に投資するならば、これをゲームとして楽しむ視点を持って、チャンスを探しポートフォリオを作るようにすると楽しいのではないか」と述べています。

 ここは共感度大ですね。実際、私自身、そのようにしているつもりです。業種や市場を分散し、細かく売買を重ねる自分のポートフォリオ全体のパフォーマンスは、ほぼ指数に連動したものとなっており、なおかつ、その保有コストは多分インデックスファンド並みになっているのではないかと思います。これは、持っているだけで現状であれば年0.3%の金利が入るマネックスの持ち株が増加しているということも影響しています。また、売買の多くはスタンスに沿ったもので、利益を確定するか、丁寧に買い下がる形のものが多いため、全体としてのパフォーマンスは値動きの傾向が指数よりもおとなしくなる(β値が低い)ものとなっています。

 ここにIPOの利益を乗せていくのが日本株運用の基本のスタイルで、投資期間は、とりあえずは無期限の長期です。

 まあ、うまくいくかどうかはおいておくとしても、日々、楽しんでいることは確かです。

 さて、3章は「ツールとしての投資理論の研究」という表題がついています。

 ここで面白かったのは、効率的市場仮説についての論考です。

 まあ、この考え方の親玉(でもないのかな、有名な人)が「ウォール街のランダムウォーカー」のマルキール先生で、ここのblogのタイトルも、ここからとっているわけですが、山崎氏の主張は簡単に言えば、「効率的なように見えるかもしれないけど、そうじゃない」というように読めます。

 これについては、私自身は短期的な株価の動きは、その時に買いたい人と売りたい人の需給によって決められ、それには様々な要因があり、当然のことながら、市場でついている株価が常に効率的であるわけがない。但し、かなり引いた目で市場全体を見れば、あるいは相当程度の流動性がある個別銘柄の値動きを見れば、それは相当程度に効率的なものとなっている、というような考えでいました。

 これについては、一見、データとしてはそのように(効率的なように)見えるからといって、効率的であると断定する、決めることはできないと読めます。確かに、市場に参加する投資家がそんなに合理的に行動する、売買するはずがないのです。個々の合理的でない投資家の行動によって形成される株価が一見、効率的に形成されているように見えるというのは面白いところですが、著者が「効率性」ではなく「公平性」だと指摘している点はなるほどと思わされました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロ相場師の思考術

2008-02-02 17:06:01 | 株式投資・資産運用
プロ相場師の思考術 (PHP新書 (476))
高田 智也
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る

2冊目も読み終えました。

これもなかなか面白かったです。

「相場師」としての考え方や感じ方について書かれた内容で、具体的なテクニックなどについて述べられた内容ではありません。
まあ、すべてに共感することはできない、というか、感覚的にわからないところも多いのですが、「そのとおり」と思うところもたくさんありました。

具体的な相場での損益について検証したような内容ではありませんし、著者はテクニカル分析を重視している立場です。

山崎元氏だったら「オカルト」の一言で終わりかもしれません・・・。

私は「これもあり」だと、著者の高田氏にとっては氏にとっての個人的真実を語った内容だと思います。

なお、高田氏の著作では「高田式日経225先物システムトレード連勝法」という本があり、既にこれは読んでいます。

この本で実感したのは、システムトレードはよく負けるということでした。これは個々の取引ではということです。逆にそれゆえ、この事例にはリアリティが感じられました。個々の取引でいくら負けようが、トータルできちんと勝てればそれでいいわです、トレーダーとしてはね。

また、この本の内容についてもふれられればと思います。

当面、山崎氏の続きを先にしますが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新しい株式投資論―「合理的へそ曲がり」のすすめ」4

2008-02-02 12:50:46 | 株式投資・資産運用
 「ドル・コスト平均法」について、本書では合理的でないと断じているが、その説明は見あたりません。著者の見解については既に本書以外のところで読んでいるため、私自身はその考え方について理解しているつもりではいますが、これは丁寧さに欠けると言わざるを得ないです。

 私自身は累積投資という方法で株式を買っています。

 まあ、この方法は、一定期間で同株数ずつを買う方法と比較すれば、同額で買う方法は安い時には多く、高い時には少なく買う方法であるため、相対的に多少はましという程度の認識しかありません。そもそも、同株数ずつ買うような投資方法が実際に行われるかというと、例えばこれはミニ投資で100株ずつ毎月買うなど、そういう場合はまれでしょうから、比較すること自体にあまり意味があるとも思われません。

 が、株式投資が著者の言うように「払い戻し率がプラスのギャンブル」であるとすれば(この見解については基本的には同意)、業種を分散して積み立て感覚で累積投資を続けていく方法は、この方法自体が根本的な誤りであるとは言えず、一つの方法として成立すると思われます。

 同時に日頃よく感じているのは、期間を一定にして同額ずつ買う方法よりも、株価の変化率に着目して、一定の値幅で売ったり買ったりする形を取る方が結果として効率がよくなる場合が多いということです。

 株価が一定の範囲で上げ下げを繰り返す場合は、その上げ下げに応じて売買をしていけば、その売買益の分だけ保有株の買いコストは下がることになります。無論、一方的に株価が下落していった場合は買い増しを行うごとに損失が拡大していくことになりますし、株価が上昇した場合は、売り切ってしまえばその後の利益は得られないことになりますので、つまりは「運」次第という要素は大きいです。

 が、最初のエントリーを、一般的な指標から考えて株価が割安であると考えられるところから行えば、この投資方法は大きな損失を被ることなく一定の利益が得られる可能性は一般論的には高いと考えられます。

 「長期」と「短期」の比較や依存症についての考察についての内容は納得できるものです。株式投資は依存症に陥りやすい性格をもっていると思いますが、自分で意識しておればそのようなことになりにくいと思います。そのためには、はまりすぎずに、常に客観的にさめた目で自分自身の状況をとらえておくことが大切だと感じます。また、そうなるためには、常に「余裕」のある状況で投資をすすめていく必要があると思います。

 そうでないと、楽しいはずの「ゲーム」で神経をすり減らし疲れてしまったり、実生活上で顕著な悪影響が出たりすることになりかねませんので。

 うーん、これを書いているとどんどん長くなってしまうぞ・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新しい株式投資論―「合理的へそ曲がり」のすすめ」3

2008-02-02 11:04:08 | 株式投資・資産運用
 さて、本書は第一章「ゲームとしての株式投資入門」のところで、以下のように述べています。

「投資する側から見て、株式投資の成果は、事前の予測したり、思い通りにコントロールしたりすることが難しい「運」と呼ぶしかない外的要因と、株式市場で自分がどう行動するかによって、他の市場参加者のあいだで、相対的に勝ったり・負けたりする「ゲームの勝ち負け」によるものとに、概念上分けて考えることができる。」

 さらには
「自分が結果に影響を与えることができるのは「ゲーム」の部分だけだ。」
と述べています。

 さて、またここのところで疑問が生じます。著者はこの「運」と「ゲームの勝ち負け」について「両者を厳密に分けて計測することは難しいが。」とも述べていますが、この「運」とは何なのかについての言及が少なく、言葉の定義もありません。

 自分自身の経験からの感覚で言うならば「運」そのものはコントロールできないが、「運」を得るための前提条件は自分である程度コントロールすることができる部分があると思います。

 顕著な例がIPO投資についてです。

 私自身の株式の運用成績がインデックスを上回っているのは、端的に言ってIPO投資による利益によるものです。特殊な状況下でのIPO投資は、著者が言うところの株式投資の範疇に入っていないのかもしれません。
 が、事前に有望視されるIPOのブックビルディングに参加し、公募株が取得できたら市場で早めの売却するという「戦略」は、全体として見れば極めて有効に機能しています。

 この場合、実際に初値がどうなるかということは「運」の要素が非常に大きいです。ブックビルディング→公募株取得→公開という期間の中で市場でどんな変化があるかを事前に相当の確度を持って予測することは困難です。また、公募株が取得できるかどうかも、支店の口座では裁量配分の余地があるため、必ずしも「運」だけではないところがありますが、ネット証券などは単純に抽選しているところも多く、これは「運」の要素が大きいです。

 が、前評判の高いIPO銘柄を事前に察知することは相当程度可能であり、なんでも参加ではなく選別してブックビルディングに参加することも可能です。

 ということは、有望なIPO銘柄のブックビルディングに参加するという単純な事を繰り返すことによって、「運」に恵まれる機会が得られる可能性は高まるということになります。

 つまり、「運」を得るための前提条件は、自分自身である程度コントロールができる部分があるということになります。

 自分自身の場合では、この効果は非常に大きく、現在の日本株投資の時価評価額以上の利益をIPO投資で得ており、これにより、気持ち的にはとても楽に株式投資を続けることができているというわけです。

 この「運」の前提条件については、IPO投資以外の部分でもあてはまることがあるのではないかと思います。

 また、「ゲームの勝ち負け」についてですが、個人投資家の場合、別に他の市場参加者との相対比較で勝とうが負けようが、実はどうでもいいというところも大きいわけです。実際、メールマガジンで他のネットのお仲間と運用競争をしているわけですが、別に他の人に「勝とう」などど思って自分の投資判断を決定するようなことはありません。トップになれば「おっと、トップか」、最下位になれば「あらら・・」と思いますし、なぜそうなったのか考えることは有益だと思っていますが、相対的に勝つか負けるかはどうでもいいわけですね。

 他の人、機関に勝つために投資をしているのではなく、全体として、他の運用方法より有利な形で投資が行えればそれでいいと考えている人がほとんどでしょう。無論、他の市場参加者に勝てれば、それはそれでいいわけですけど、その事自体が目標となるわけではありません。

 つまり、著者が言う「ゲームとしての株式投資」の意味については、記述が不十分であったり、明確でなかったりする部分があるため、全体として疑義があるということです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新しい株式投資論―「合理的へそ曲がり」のすすめ」2

2008-02-02 10:07:36 | 株式投資・資産運用
前回記した通り、本書はこれまでの山崎氏の著作、あるいはblogの記載内容などに沿った、興味深い内容となっています。

 まあ、身も蓋もない「直言」的な内容がかなり多く、他には似たような書籍というのはありあまりないのではないかと思います。

 また、全体として個別の具体事例などの紹介はなく、一般論的な記述となっています。

 投資関連の書籍には、個別の具体事例を示し(「○億儲けた」云々)それを一般化しようとするようなものが多くあります。また、テクニカル分析などの場合は都合のいい事例のみを持ち出して説明されているものが非常に多いように感じられます。

 こうした書籍は、ほとんど意味がないか、あるいは有害であると感じられるものが非常に多いです。無論、ひどい内容の書籍ばかりではありませんが、都合のよい事例を集めてきてそれを一般化するようなものは、まともな論証に耐えうるようなものではない場合が多いと思われます。

 そうした意味では、本書の記述の仕方は、ある意味、「良心的」ではあります。

 が、ここで留意しなければならないのは、私自身にとって重要なのは、この「一般論」ではなく、個別特殊な私自身の個別のケースであり、「一般論」ではないわけです。

 個人投資家は、個々のその立場は大きく異なります。投資資金の額、その資金の性格、投資の目標、年齢や収入、性格等、いわばすべてが異なる個々の「私」の事例があり、それに適した方法論は結局のところは自分自身でより適切な形を構築していくしかないわけです。

 それ(自分自身の合った方法論を構築すること)を意識しながら読むのとそうでないのとでは、書籍の持つ意味というのは大きく異なってきます。

 最初に本書の中でたびたび感じたことを書いておくと、言葉なり金融の用語について、その明確な定義や解説がないままに用いられているところがかなりあり、意味がとらえにくかったり、理解が難しかったりする部分がかなりありました。

 例えば「株式投資はゲームである」とか「株式投資はギャンブルである」といった言い回しが最初の方に出てきます。別に著者の主張を積極的に否定するということではないですが、ここでいうギャンブルとは「不確かなものにお金を投じて利益を得ようとする行為」ということを言うのでしょうか。であるとすると、企業の活動なども含めた多くの経済活動はそもそも「ギャンブル」的要素を含むものであり、著者が言うように、株式投資が全体として期待値がプラスのギャンブルであるとするならば、それは当然のこととして取り組むに値するものであるということになるのではないかと思います。

 つまり、言葉についての定義なり使い方については、簡単でもいいので著者の定義なり使い方についての説明がないと、誤解を生じやすいということです。「ギャンブル」という言葉にはイメージとして「一か八かの賭け」的な否定的ニュアンスもあるように思いますので。
 
 同様に、「株式投資は逆張り、というより裏を取る」的な言い回しもあるのですが、これもニュアンスしか伝わらない感じがします。

 共感したのは、アクティブ運用する株式投信について、結論的には投資家側から言えば「買う意味がない」と断じている点。そもそも販売手数料や信託報酬などのコストが割高である上に、その成績はインデックスを上回るものは比率としては少なく、過去データで安定的にインデックスを上回っているようなものであっても、それが今後もそのようになるという可能性が高いとは言えない(事前にはわからない)ことなど、従来から言われていることではありますが、明快に断じている点が気持ちよいです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラフトワンのCM

2008-02-02 04:42:08 | その他
一般募集されたドラフトワンのCM。キャンペーンと関わっての内容です。
以下の3つです。

金賞:

銀賞:


銅賞:

金賞→これ「オチ」としてはベタすぎます。ただ、女の子の声がいいかな。
銀賞→これは、ナレーションでちょっと工夫が欲しいという感じ。ただ、米がビールに変わるというのは悪くないです。でも、逆がいいのではないかな。ビールをだーーーっと注いでいくと、米になるというように。
銅賞→これはわからん。よさがわかりません。

ということで、私的にはこれは、銀→金→銅という順番になります。
こういう企画に応募するのが好きな人っているんでしょうね。私は作り手の方にはなれそうもないですが。



【プレスブログ】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25年もののシャツとリーバス

2008-02-02 04:28:54 | その他
「この冬一押しのファッションアイテム」とは?と聞かれたら、どう答えます?。
困るなあ・・・。もう、ファッションとか全然無縁ですからね・・・。
よく家族から「頼むからまともな服を買ってくれ」とかよく言われますし・・・。

最近購入したものからあえて選ぶと、これはHONDAF1レーシングのフリースかな。
これ、1.2万円しましたから、私が買う服としては非常に高い部類に入ります。

まあ、何がいいかというと、素材的に静電気が起こりやすいということはあるものの、とりあえずあたたかいこと。で、これFIRAのブランドのロゴがついていてレナウン製です。裏地もあり、縫製ももっと安い同じホンダレーシングのフリースと比較してしっかりしています。中国製ですが、よいものだと思います。デザインも、まあ、別に凝ったものでもなんてもないですが飽きが来ないので、長くは使えるでしょう。

そうそう、レナウンといえば、実は25年くらい使っているものがありました。タートルネックのスキー用のシャツです。これはアーノルドパーマーのブランドロゴがついています。生地がいいということなのかどうなのか、これ、今でもよく使って洗濯もしているのですが、首の部分も含めてほとんど伸縮がないのです。また、紺色ですが、色落ちも感じません。毛玉のようなものもほとんどできない。上に着るものでなく、こういうシャツのようなもので、これだけ長い期間、しまっておくのではなく実際に着て洗濯してを繰り返して使えるものというのは、私は他にはありません。

リーバイスから2月下旬にPLAY HARDという新商品が出るそうです。「リーバイス史上、最も硬派で野性的な加工を実現!」ということで、洗いざらし感覚の加工をしてあるものですね。
リーバイスというと、あこがれとまでは言わないけれど、非常に信頼性の高いブランドというイメージがあります。ジーンズは好きだけど、あまり色の濃いものは好みではないので、これは買うかどうかわからないけれど、一度実物は見てみたいという気がします。25年間使っているシャツと同様の「いいもの」かもしれないという気はします。


【プレスブログ】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする