ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

指揮者

2010-03-04 07:18:15 | 日記
こんな、ものすごいことがあったんだ。と、いいようのない感動を覚えた。

指揮者が描く世界を演奏家は指揮者の指揮棒の動き、顔の表情、しぐさ
などのすべてから受け止め、いやすべてから感じ取り、楽団としての演奏を
作り上げていく。

だいぶ以前の合唱練習時に、指揮者でもある指導者が、
「楽器の場合はその人がいないと、エキストラが参加する。合唱は、人数が多いので
自分一人くらいという意識なのか、練習にまるで来ず、本番になると来る人がいる。
どういう音になるのか組み立てることもできない」と団員の前でつぶやいたことが
ある。

合唱団員は概ね、大勢のなかの一人という、意識の人が多いように思う。

かの指導者は、本番前から、本番のことを想定して、計算をして音楽を作っていくそうだ。
だから、本番前の練習では、合唱団の声や、その時の技術、会場の音響効果、お客様の
こと。すべてを考慮して仕上げていくという。

仕上がっているなら、その時に指揮者が突然、普段と違った動きや、いつもと違う要求を
しても、団員はついていける。
そして、会場全体が一つになれるということだろう。

合唱も器楽も、デリケートだから、指揮者を中心に息を揃えるには、普段からの練習での
姿勢は大きい。

本番を5月に控え、ドブラックナーフェン氏の演奏会のような演奏が果たして、できるか。

もし、できたら、素晴らしい!

「ドブラックナーフェンの肖像」
「死後に指揮をした歴史上でただひとりの音楽家」
に、一つの楽団の演奏会で起きた出来事が紹介されている。


『オケマン大都市交響詩ーオーボエ吹きの見聞録』
茂木大輔
中公文庫