件名: 十二代目徳永、鞍馬山へ!
日付: 2007/08/15 11:12
昨夜、京に戻った俺は、例の美人女将と最後の夜を過ごした時に、天狗についての話を聞いた。どうやら、鞍馬山に住む天狗は、大変な神通力を持っていて、その力をもってすれば、死者を甦らせることも可能だということらしい。タフでなければ生きてゆけない・・・優しくなければ生きてる意味がない。俺は松永を生き返らせるため、翌日の予定をキャンセルし、鞍馬山へ向かうことに決めた。
いつになく早起きをした俺は、まだベッドで眠っていた女将を起こさない様に気を付けながら、荷物を纏めた。そして、眠っている女将の頬に、そっと口づけをすると、コートを羽織り、ホテルを跡にした。
バスと電車を乗り継ぎ、約一時間ほどかけて、俺は鞍馬駅に降り立った。随分と山深くまで来たものだ、などと思っていたが、どうやらそこは、まだ山の中腹らしく、件の天狗が住む社へは、更に山を登る必要があった。・・・タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きてる意味がない。俺は仕方なく、山を登り始めた。
かなり急な坂道を抜け、俺はついに、天狗の社に辿り着いた。入り口をノックしてみたが、返事がない。一瞬、留守かとも考えたが、電気のメーターは、かなりの速さで回っている。俺はいつもの様に、ピッキングで扉を開けた。
香のたちこめる室内は、かなり狭く、俺が天狗の死体に出くわすのに、それほど時間はかからなかった。・・・厄介ごとは沢山だ。俺は妙な事件に巻き込まれない様、室内のものには触れず、社を跡にした。
松永蘇生の手懸かりを失った俺は、とりあえず京都市内へ戻った。
件名: 十二代目徳永、清水寺へ!
日付: 2007/08/15 19:24
京都市内、近鉄五条駅で降りた俺は、行くあてもなく、とりあえずタクシーに乗った。タクシーの運転手には、二通りの人種がいる。こちらから一言話しかけると、聞かれたことだけ答える者と、いくらでも話し続ける者。俺が、京都は随分と暑いと言うと、俺を話好きと思ったのか、相槌を打つだけが精一杯といった勢いで、京都の観光名所について、気分良さそうに話しはじめた。どうやら今回は、後者の様だ。運転手の話では、清水寺はそもそも、子宝祈願の寺だそうだ。俺は適当な相槌を打って「嫁でも貰ったら、二人で行くさ」と言って、話を終わらせようとした。しかし、話し好きの運転手は、怯むことなく、こう続けた。「そんなら、今回は、清水はんの舞台から、願い事をしながら飛び降りたらどうですか?飛び降りても生きてたら、願い事がかなう言いますよ」・・・タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きている意味がない。俺は松永蘇生のために、清水寺へ向かうことにした。
清水寺は、猛暑だと言うのに、大勢の人で賑わっていた。数多の仏像が展示されている本堂を足早に通り抜け、俺は舞台まで辿り着いた。さすがは有名なダイブ・スポット。舞台からは、全国から集まった観光客たちが、次々と飛び降りていた。生きるか死ぬか、二つに一つ。俺は自分の番が来ると、意を決して飛び降りた。果たして俺は、全身を激しく強打し、意識が薄れていった。俺も、死ぬのか・・・響子やアマンダ、そしてジェーンは悲しむだろうか・・・俺がいなくても、彼女たちのことだ、幸せにやるさ・・・
件名: 十二代目徳永、三十三間堂へ!
日付: 2007/08/15 19:45
不思議な安らぎに包まれ、俺は目を覚ました。目覚めた瞬間に、俺はやはり死んだのだなと考えた。何故ならば、俺の目の前には、巨大な千手観音が座っていて、その回りには、千体もの小さな千手観音が立っていたからだ。しかし、死んだにしては、何かおかしい。俺の体には包帯が巻かれていたし、何よりも、俺の後頭部には女性の膝枕があった。意識が回復した俺はまず、その女性に、ここが何処なのかと尋ねた。彼女の話では、その場所は三十三間堂で、清水の舞台から飛び降りた俺は、そのまま坂を転げ落ち、その寺の前で倒れていたのだそうだ。そして彼女は、瀕死の俺が凍えない様に、一晩中、俺の体を暖めてくれたそうだ・・・自らの体温で。そんな話を聞いてしまっては、少しだけ名残惜しくはあったが、松永の安否を確認するため、俺は彼女に礼を言って、すぐに寺を出た。俺の向かった先は、松永の遺体が安置されている東寺。
件名: 十二代目徳永、東寺へ!
日付: 2007/08/15 20:18
即身仏として、今なお高野に生き続けているとされる、日本仏教史上最高の法力僧、空海の張った結界により、松永の遺体は腐敗を免れてはいるものの、果たしてヤツが甦ったのかどうかは、俺が自らの目で、確認するしかなかった。
東寺に着いた俺は、大日如来を中心にして、宇宙のありかたを表すとされる、曼陀羅シフトの仏像たちが配置された本堂へと向かった。本堂の扉を開けると、果たしてそこに、松永は眠っていた。生き返ったのか、死んだままなのか。ゆっくりと、俺は松永に近づいた。傍らに立った俺は、ヤツが呼吸をしているかを確かめようとした。しかし、確かめる必要はなかった。近づいて見て、始めて気付いたのだが、死体だと思っていたそれは、精巧に作られた人形だったからだ。誰が、何のために?その答えは簡単に分かった。その人形の右手に握られていた独鈷舒に刻まれたKINGの烙印を見たからだ。俺は、KING、つまり南斗聖拳の伝承者であり、俺の胸に七つの傷をつけた男、シンの待つ五重の塔、通称サザンクロスへと向かった。
件名: 十二代目徳永、東京へ!
日付: 2007/08/15 20:43
前回までの粗筋は、北斗の拳のサザンクロス編を参照下さい。
ユリアを永遠に失ってしまった僕は、京都タワー地下三階にある風呂に入った。そして、京都駅の改札口近くのカフェで、旨くもないバドワイザーと、まあまあ普通のアイス・ラテを松永におごってもらった。松永の出発時間が来て、僕らは改札口で別れた。僕の財布には、札が一枚もなかったから、タワーまで戻って、お金をおろした。駅で和菓子と抹茶を食べたよ。んで、今は18時32分発の「のぞみ」で東京に向かってます。もうすぐ到着。とても楽しい京都旅行でした。
長い間、ご愛読いただきまして、ありがとうございました。今回をもちまして、メールマガジンは終了です。全文、ブログにアップします。
おまけ
件名: ついたー(木星に)
日付: 2007/08/15 20:56
東京駅に到着。
日付: 2007/08/15 11:12
昨夜、京に戻った俺は、例の美人女将と最後の夜を過ごした時に、天狗についての話を聞いた。どうやら、鞍馬山に住む天狗は、大変な神通力を持っていて、その力をもってすれば、死者を甦らせることも可能だということらしい。タフでなければ生きてゆけない・・・優しくなければ生きてる意味がない。俺は松永を生き返らせるため、翌日の予定をキャンセルし、鞍馬山へ向かうことに決めた。
いつになく早起きをした俺は、まだベッドで眠っていた女将を起こさない様に気を付けながら、荷物を纏めた。そして、眠っている女将の頬に、そっと口づけをすると、コートを羽織り、ホテルを跡にした。
バスと電車を乗り継ぎ、約一時間ほどかけて、俺は鞍馬駅に降り立った。随分と山深くまで来たものだ、などと思っていたが、どうやらそこは、まだ山の中腹らしく、件の天狗が住む社へは、更に山を登る必要があった。・・・タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きてる意味がない。俺は仕方なく、山を登り始めた。
かなり急な坂道を抜け、俺はついに、天狗の社に辿り着いた。入り口をノックしてみたが、返事がない。一瞬、留守かとも考えたが、電気のメーターは、かなりの速さで回っている。俺はいつもの様に、ピッキングで扉を開けた。
香のたちこめる室内は、かなり狭く、俺が天狗の死体に出くわすのに、それほど時間はかからなかった。・・・厄介ごとは沢山だ。俺は妙な事件に巻き込まれない様、室内のものには触れず、社を跡にした。
松永蘇生の手懸かりを失った俺は、とりあえず京都市内へ戻った。
件名: 十二代目徳永、清水寺へ!
日付: 2007/08/15 19:24
京都市内、近鉄五条駅で降りた俺は、行くあてもなく、とりあえずタクシーに乗った。タクシーの運転手には、二通りの人種がいる。こちらから一言話しかけると、聞かれたことだけ答える者と、いくらでも話し続ける者。俺が、京都は随分と暑いと言うと、俺を話好きと思ったのか、相槌を打つだけが精一杯といった勢いで、京都の観光名所について、気分良さそうに話しはじめた。どうやら今回は、後者の様だ。運転手の話では、清水寺はそもそも、子宝祈願の寺だそうだ。俺は適当な相槌を打って「嫁でも貰ったら、二人で行くさ」と言って、話を終わらせようとした。しかし、話し好きの運転手は、怯むことなく、こう続けた。「そんなら、今回は、清水はんの舞台から、願い事をしながら飛び降りたらどうですか?飛び降りても生きてたら、願い事がかなう言いますよ」・・・タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きている意味がない。俺は松永蘇生のために、清水寺へ向かうことにした。
清水寺は、猛暑だと言うのに、大勢の人で賑わっていた。数多の仏像が展示されている本堂を足早に通り抜け、俺は舞台まで辿り着いた。さすがは有名なダイブ・スポット。舞台からは、全国から集まった観光客たちが、次々と飛び降りていた。生きるか死ぬか、二つに一つ。俺は自分の番が来ると、意を決して飛び降りた。果たして俺は、全身を激しく強打し、意識が薄れていった。俺も、死ぬのか・・・響子やアマンダ、そしてジェーンは悲しむだろうか・・・俺がいなくても、彼女たちのことだ、幸せにやるさ・・・
件名: 十二代目徳永、三十三間堂へ!
日付: 2007/08/15 19:45
不思議な安らぎに包まれ、俺は目を覚ました。目覚めた瞬間に、俺はやはり死んだのだなと考えた。何故ならば、俺の目の前には、巨大な千手観音が座っていて、その回りには、千体もの小さな千手観音が立っていたからだ。しかし、死んだにしては、何かおかしい。俺の体には包帯が巻かれていたし、何よりも、俺の後頭部には女性の膝枕があった。意識が回復した俺はまず、その女性に、ここが何処なのかと尋ねた。彼女の話では、その場所は三十三間堂で、清水の舞台から飛び降りた俺は、そのまま坂を転げ落ち、その寺の前で倒れていたのだそうだ。そして彼女は、瀕死の俺が凍えない様に、一晩中、俺の体を暖めてくれたそうだ・・・自らの体温で。そんな話を聞いてしまっては、少しだけ名残惜しくはあったが、松永の安否を確認するため、俺は彼女に礼を言って、すぐに寺を出た。俺の向かった先は、松永の遺体が安置されている東寺。
件名: 十二代目徳永、東寺へ!
日付: 2007/08/15 20:18
即身仏として、今なお高野に生き続けているとされる、日本仏教史上最高の法力僧、空海の張った結界により、松永の遺体は腐敗を免れてはいるものの、果たしてヤツが甦ったのかどうかは、俺が自らの目で、確認するしかなかった。
東寺に着いた俺は、大日如来を中心にして、宇宙のありかたを表すとされる、曼陀羅シフトの仏像たちが配置された本堂へと向かった。本堂の扉を開けると、果たしてそこに、松永は眠っていた。生き返ったのか、死んだままなのか。ゆっくりと、俺は松永に近づいた。傍らに立った俺は、ヤツが呼吸をしているかを確かめようとした。しかし、確かめる必要はなかった。近づいて見て、始めて気付いたのだが、死体だと思っていたそれは、精巧に作られた人形だったからだ。誰が、何のために?その答えは簡単に分かった。その人形の右手に握られていた独鈷舒に刻まれたKINGの烙印を見たからだ。俺は、KING、つまり南斗聖拳の伝承者であり、俺の胸に七つの傷をつけた男、シンの待つ五重の塔、通称サザンクロスへと向かった。
件名: 十二代目徳永、東京へ!
日付: 2007/08/15 20:43
前回までの粗筋は、北斗の拳のサザンクロス編を参照下さい。
ユリアを永遠に失ってしまった僕は、京都タワー地下三階にある風呂に入った。そして、京都駅の改札口近くのカフェで、旨くもないバドワイザーと、まあまあ普通のアイス・ラテを松永におごってもらった。松永の出発時間が来て、僕らは改札口で別れた。僕の財布には、札が一枚もなかったから、タワーまで戻って、お金をおろした。駅で和菓子と抹茶を食べたよ。んで、今は18時32分発の「のぞみ」で東京に向かってます。もうすぐ到着。とても楽しい京都旅行でした。
長い間、ご愛読いただきまして、ありがとうございました。今回をもちまして、メールマガジンは終了です。全文、ブログにアップします。
おまけ
件名: ついたー(木星に)
日付: 2007/08/15 20:56
東京駅に到着。