放蕩道楽錦織

心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ

特別企画 京都旅行記 第3日目

2007年08月28日 18時17分50秒 | 特別企画:京都旅行記
件名: 十二代目徳永、鞍馬山へ!
日付: 2007/08/15 11:12
昨夜、京に戻った俺は、例の美人女将と最後の夜を過ごした時に、天狗についての話を聞いた。どうやら、鞍馬山に住む天狗は、大変な神通力を持っていて、その力をもってすれば、死者を甦らせることも可能だということらしい。タフでなければ生きてゆけない・・・優しくなければ生きてる意味がない。俺は松永を生き返らせるため、翌日の予定をキャンセルし、鞍馬山へ向かうことに決めた。
 いつになく早起きをした俺は、まだベッドで眠っていた女将を起こさない様に気を付けながら、荷物を纏めた。そして、眠っている女将の頬に、そっと口づけをすると、コートを羽織り、ホテルを跡にした。

バスと電車を乗り継ぎ、約一時間ほどかけて、俺は鞍馬駅に降り立った。随分と山深くまで来たものだ、などと思っていたが、どうやらそこは、まだ山の中腹らしく、件の天狗が住む社へは、更に山を登る必要があった。・・・タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きてる意味がない。俺は仕方なく、山を登り始めた。

かなり急な坂道を抜け、俺はついに、天狗の社に辿り着いた。入り口をノックしてみたが、返事がない。一瞬、留守かとも考えたが、電気のメーターは、かなりの速さで回っている。俺はいつもの様に、ピッキングで扉を開けた。

香のたちこめる室内は、かなり狭く、俺が天狗の死体に出くわすのに、それほど時間はかからなかった。・・・厄介ごとは沢山だ。俺は妙な事件に巻き込まれない様、室内のものには触れず、社を跡にした。

松永蘇生の手懸かりを失った俺は、とりあえず京都市内へ戻った。


件名: 十二代目徳永、清水寺へ!
日付: 2007/08/15 19:24
京都市内、近鉄五条駅で降りた俺は、行くあてもなく、とりあえずタクシーに乗った。タクシーの運転手には、二通りの人種がいる。こちらから一言話しかけると、聞かれたことだけ答える者と、いくらでも話し続ける者。俺が、京都は随分と暑いと言うと、俺を話好きと思ったのか、相槌を打つだけが精一杯といった勢いで、京都の観光名所について、気分良さそうに話しはじめた。どうやら今回は、後者の様だ。運転手の話では、清水寺はそもそも、子宝祈願の寺だそうだ。俺は適当な相槌を打って「嫁でも貰ったら、二人で行くさ」と言って、話を終わらせようとした。しかし、話し好きの運転手は、怯むことなく、こう続けた。「そんなら、今回は、清水はんの舞台から、願い事をしながら飛び降りたらどうですか?飛び降りても生きてたら、願い事がかなう言いますよ」・・・タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きている意味がない。俺は松永蘇生のために、清水寺へ向かうことにした。

清水寺は、猛暑だと言うのに、大勢の人で賑わっていた。数多の仏像が展示されている本堂を足早に通り抜け、俺は舞台まで辿り着いた。さすがは有名なダイブ・スポット。舞台からは、全国から集まった観光客たちが、次々と飛び降りていた。生きるか死ぬか、二つに一つ。俺は自分の番が来ると、意を決して飛び降りた。果たして俺は、全身を激しく強打し、意識が薄れていった。俺も、死ぬのか・・・響子やアマンダ、そしてジェーンは悲しむだろうか・・・俺がいなくても、彼女たちのことだ、幸せにやるさ・・・


件名: 十二代目徳永、三十三間堂へ!
日付: 2007/08/15 19:45
不思議な安らぎに包まれ、俺は目を覚ました。目覚めた瞬間に、俺はやはり死んだのだなと考えた。何故ならば、俺の目の前には、巨大な千手観音が座っていて、その回りには、千体もの小さな千手観音が立っていたからだ。しかし、死んだにしては、何かおかしい。俺の体には包帯が巻かれていたし、何よりも、俺の後頭部には女性の膝枕があった。意識が回復した俺はまず、その女性に、ここが何処なのかと尋ねた。彼女の話では、その場所は三十三間堂で、清水の舞台から飛び降りた俺は、そのまま坂を転げ落ち、その寺の前で倒れていたのだそうだ。そして彼女は、瀕死の俺が凍えない様に、一晩中、俺の体を暖めてくれたそうだ・・・自らの体温で。そんな話を聞いてしまっては、少しだけ名残惜しくはあったが、松永の安否を確認するため、俺は彼女に礼を言って、すぐに寺を出た。俺の向かった先は、松永の遺体が安置されている東寺。


件名: 十二代目徳永、東寺へ!
日付: 2007/08/15 20:18
即身仏として、今なお高野に生き続けているとされる、日本仏教史上最高の法力僧、空海の張った結界により、松永の遺体は腐敗を免れてはいるものの、果たしてヤツが甦ったのかどうかは、俺が自らの目で、確認するしかなかった。

東寺に着いた俺は、大日如来を中心にして、宇宙のありかたを表すとされる、曼陀羅シフトの仏像たちが配置された本堂へと向かった。本堂の扉を開けると、果たしてそこに、松永は眠っていた。生き返ったのか、死んだままなのか。ゆっくりと、俺は松永に近づいた。傍らに立った俺は、ヤツが呼吸をしているかを確かめようとした。しかし、確かめる必要はなかった。近づいて見て、始めて気付いたのだが、死体だと思っていたそれは、精巧に作られた人形だったからだ。誰が、何のために?その答えは簡単に分かった。その人形の右手に握られていた独鈷舒に刻まれたKINGの烙印を見たからだ。俺は、KING、つまり南斗聖拳の伝承者であり、俺の胸に七つの傷をつけた男、シンの待つ五重の塔、通称サザンクロスへと向かった。


件名: 十二代目徳永、東京へ!
日付: 2007/08/15 20:43
前回までの粗筋は、北斗の拳のサザンクロス編を参照下さい。

ユリアを永遠に失ってしまった僕は、京都タワー地下三階にある風呂に入った。そして、京都駅の改札口近くのカフェで、旨くもないバドワイザーと、まあまあ普通のアイス・ラテを松永におごってもらった。松永の出発時間が来て、僕らは改札口で別れた。僕の財布には、札が一枚もなかったから、タワーまで戻って、お金をおろした。駅で和菓子と抹茶を食べたよ。んで、今は18時32分発の「のぞみ」で東京に向かってます。もうすぐ到着。とても楽しい京都旅行でした。

長い間、ご愛読いただきまして、ありがとうございました。今回をもちまして、メールマガジンは終了です。全文、ブログにアップします。



おまけ
件名: ついたー(木星に)
日付: 2007/08/15 20:56
東京駅に到着。

特別企画 京都旅行記 第2日目

2007年08月28日 18時09分01秒 | 特別企画:京都旅行記
件名: 十二代目徳永、奈良を目指す!
日付: 2007/08/14 08:32
死んだと思われていた十二代目が、実は生きていた!しかし、瀕死からの回復は容易ではなく、前日夜に決めた列車を3本遅らせ、起床。そして、以前より十二代目を悩ませていた右足裏のウオノメもどきが、昨日の闘いにおいて、更に膨れあがり、もう、朝からすでに不利な状況を強いられた!8時8分、京都駅発の快速に乗り、十二代目と従者マツタケの目指す先は法隆寺だ!


件名: 十二代目徳永、日昇国太子襲名!
日付: 2007/08/14 12:12
法隆寺にて、釈迦三尊像との出逢いを果たした十二代目!そこで、中央の釈迦如来こそが、かの聖徳太子だと知るのだった!聖徳太子より、正統な日の昇る国の皇子の称号を伝承されると共に、徳の一文字を授かった十二代目!ここで初めて、松平健元康から、徳永健一生への改名を果たし、めでたく、名実ともに十二代目を襲名したのだった!以後、戰において「姓は徳永、名は健、アザ名は一生なり!」と名乗るのだった!十二代目が、次に向かう先は!?


件名: 十二代目徳永、強敵を得る!
日付: 2007/08/14 18:15
興福寺にて、数々の国宝級仏像との会見をしていた十二代目!巨大千手観音に頼まれ、阿修羅軍団と闘う、帝釈天の軍団を援護することになった。帝釈天のもとへ向かう十二代目の前に突如として現れた大軍団は、すぐに従者マツタケの率いる部隊を包囲!あっという間に部隊を壊滅させた。マツタケを殺され、怒りに我を忘れた十二代目だったが、従軍していた梵天によって制止される。すると、敵の大軍団の中から、大将と思われる者が、名乗りをあげた!「我こそは、阿修羅なり!そちら側から一名を撰び、我と一騎討ちにて、勝負せい!」十二代目は、マツタケの仇を討つべく、阿修羅との勝負に挑んだ!死闘を繰り広げる十二代目と阿修羅!その、凄まじい闘いは、天地を揺るがした!満身創痍の両雄、突然、その激しい攻防が止んだ。・・・しかし、地響きは止まない。と、突如、阿修羅軍団の後方から、巨大な人影がせり上がってきた!なんと、ラグナロク級の大戦争が起こった時にのみ発動すると言われる古代兵器・大仏が、東大寺より参上したのだ!帝釈天が率いる本隊も到着し、阿修羅軍団は次々と蹴散らされていくのだった。自軍の敗北を悟った阿修羅だったが、十二代目との決着を付けようと、最期の攻撃を繰り出すべく、闘気を練るのだった!それを受けた十二代目も、自らの闘気を高める。そして、二人の闘気は最高潮に達した!全身全霊の奥義を繰り出す両雄!だが、一瞬早く、十二代目の拳が、阿修羅の胸に叩き込まれた!三面の英雄、阿修羅!ついに、その両膝を大地に着けることになったのだ。しかし、その表情は、清々しかった。彼もまた、強敵(とも)だったのだ。そして、マツタケを失った哀しみを乗り越え、自軍に大勝利をもたらした十二代目は、京の都へ戻るべく、奈良を跡にした。

特別企画 京都旅行記 第1日目

2007年08月28日 18時03分52秒 | 特別企画:京都旅行記
以下は、京都・奈良の旅行中に、携帯電話のメール機能を使って、数名の友人に対して転送していた旅行記を、加筆・修正を一切せずに、そのままコピー&ペーストしただけの手抜き企画である。別段、読むほどの価値はないのですが、自分自身の日記として保存しておきたいと思います。お暇な方は、どうぞ、お読み下さい。



件名: 十二代目徳永、京の都に到着す!
日付: 2007/08/13 06:45
ただし、店はどこも開店前にて、コーヒーすら飲めず!やはり、ガイドブックは買っておくべきだった。松永との合流まで、あと五時間ほど。十二代目の運命や如何に!


件名: 十二代目徳永、時に呑まれる!
日付: 2007/08/13 07:59
駅前のホテルに入っているレストランにて、朝食をとった十二代目!ひたすら喫煙しつつ、一時間ばかり時間を潰す。さすがに長居し過ぎたと思い、店を出ることを決意!十二代目の行く先はいずこ!


件名: 十二代目徳永、義理を果たす!
日付: 2007/08/13 09:26
歩いていれば、何かしら在るとタカをくくっていた十二代目。あからさまに何も無いことに不安になり、道端の地図を見るも、そもそも方角が分からず!もしや、と思い、道行く人に「北は・・・あちらですか?」と訪ねた。自らが南進していたことに気付き、踵をかえした!一時間の後、起点から北進していれば10分で着いていたはずの東本願寺に到着。丁度、開門したばかりだったため、結果的には良しとなる!先ずは徳永宗家への義理を済ませた十二代目、次なる行く先は、いずこ!


件名: 十二代目徳永、八艘飛び失敗!
日付: 2007/08/13 11:35
将門様の加護を受けながらにして、源氏の棟梁でもある十二代目!天籟を授かり、一路鞍馬山へ!五条駅から地下鉄に乗り、鞍馬口駅を目指すも、車内の地図を見て、鞍馬口は鞍馬山と関係無いことを知る!時間を持て余していた十二代目は、そのまま終点まで乗車。一旦ホームへ降り、改札階へ行くも、再び車内に戻り、京都駅へ!京都駅に舞い戻った十二代目は、援軍到着予定時刻までの残り50分を、地下街にて過ごすことを決意した!イザナギノミコトの如く、御祓をするべく、十二代目が向かった先は京都タワー地下3階の公衆浴場。しかし、坂東武者を田舎侍と侮るは京の風呂!御祓を行わんとする十二代目に対し、不当にも750円もの料金を課さんという了見を持って接する始末。余りの暴利に憤慨した十二代目は、御祓を行わぬうちにスサノオノミコトの如く荒ぶり、悪徳風呂屋を壊滅させた!十二代目が、次に向かった先はドトール・コーヒー。良心的な値段設定の、かの店の喫煙席にて、新たな紀行文をしたためようと、携帯電話を取りだしたその時、そこが圏外と知る!長文作成にかまけていた十二代目は、援軍到着予定時刻になったことに気付き、電波の届く場所へと向かう!


件名: 十二代目徳永、暁に死す!
日付: 2007/08/13 17:07
京の都を歩き廻った十二代目!銀閣寺を跡にしたその時、疲労よりも、猛暑よりも悲惨な出来事が、十二代目を襲った!それは、次回作品のプロデューサーからの、作品が流れたという知らせだった!・・・十二代目徳永は、京の都にて、暁とともに、その華麗なる生涯を閉じた!享年28歳。彼の生きざまを讃え、人は彼を「犬死に先生」と呼ぶ。