少し建設的話しを書きたい。
コンピューターが仕事の現場から発達した。
俺の時代は、パチンコ産業がビジネスコンピューターと同じ売り上げサイズで発展して来た。
パソコンビジネスがゲーム機と売り上げを争って居た。
Windowsのオフィスで長い製品ライフを持続したが、今やスマフォが大きくオフィスを取り込んで居る。アンデロイドは知らない。
日本の官僚や企業のスタップはオフィスの作業時間に何のニーズも感じない。極めて不思議な構造だ。自分の仕事がエビデンスを残せるので夢中になって習得している。初期のセキュリテイー機能を利用してPDF機能が滑稽を極めた。
独断偏見は既存システムをクラウド化するニーズの組織統合や一部組織解体や精算時の大儲けを狙って居る。銀行で言うなら支店競争業務が3社が統合するときは全く意味を持たず地理価値が変容価値を見せ付けて居る。支店のサービスがその待ち時間に耐えられない。支店長がお伺いする顧客が消えて居る。
クラウドビジネスが新規ビジネスモデルの実践でアリ、成功するか売られるか、日本の遅れたスピードが新しいシステムクラウドを移行期間を含めて納得出来る滑らかな社会構造変容移動を促すだろう。
ソフトの発展を外観するのは意味のない努力だ。そう直感する。1970代の知識でクラウドは十分に説明出来る。例えば0クライヤント、当時はダム端末と呼んでいた。後半は分散コンピューテイングとしてOAやパソコンやスマホやタブレットに繋がって行く。論理OSが0クライヤントを保証している。完璧なセキュリテイーのデザインセンスだ。
この辺は須田慎一郎がセキュリテイを説明する時代だ。実に興味深い現象と呼べる。0クライヤントをHWに持ち込む時代が普及すると感じる。同時に遠隔操作を設定でオープンする時代がどの程度で来るのか興味深い。
物理レイヤーがその部分を如何変えて行くだろうか。100年で見るとvs10年が意味を持つと感じる。なぜ、半導体が遅れを取ったのか、要素技術は負けていない。工場のサイズ見通しが日本と近隣諸国とで大きなハンデと決定センスに欠けていた。では30年単位でコロナ後は何を狙えるか。富嶽は何が不足して何が成功要因なのか。ハヤブサ2号の半導体チップは何の成功を教えているのか。
残るのはヒューマンインターフェースの進化だが、追いかけるのは草臥れる。95歳のお袋はネット碁をする。なぜ、ipadが使えないのか、なぜ、マウスが便利なのか。ウィンドウズがなぜタッチパネルが使えないのか、なぜ、ipadが無線マウスが使えないのか、愚問を並べて見ると気づくコトがある。カーソルデザインがまだまだ未開発の状態である。え、そんなコトと気づく人は少ない。うふ。
クラウドとはオンラインと俺の時代は言ってバッチ処理のS/360のosと分けていた。ジョブスケジューラー・マスタースケジュラーと表現していたのが懐かしい。自分のスマホを操作している行為はマスタースケジューラー機能だろうし、例えばアーカイブをクラウドから取り出す機能はジュブスケジューラーだろう。この意味をカーソンに集約して説明すると、95歳のお袋のニーズは満たすと感じる。
若者はテレビを見ない、新聞を読まない。雑誌やコマーシャルペーパーは必要に応じて読むだろう。小学生に入学の時に指導要領と6年間の教科書をドサッと渡すコトがどれ程に重要なコトか、誰も言わない。中学+高校の6年間もドサッと渡すと本質的興味を沸かすだろう。要は20歳で博士論文がゴールとして、社会設計をすることだ。
国家試験として医者・弁護士・会計士は10段階でライセンスを認めると、中学生から10級の試験は受かるだろう。高校卒業で1級が受かり、後は10段までプロの互戦で決めて行くだけだ。実績だろう。
『落合陽一展 未知への追憶』の沼か、自分の思考が全てなのだろう。見て一瞬で長く滞在したくない。ふとそう思う。もっと平凡にコンピューターが変わって行くと確信した。展示にはクラウドが見えず、クライヤントが不規則に並んでいる。アートなら違うだろう。昨日の赤坂離宮の冗長な説明の方が親しむ。亡くなった人達の記憶も詰まらない。もっともっと優しくしっとりとして清々しい日本列島論を語りたい。