「捏造」と捏造された不倫事件の真実

2002年、浄土真宗S会内部で起こった「不倫疑惑事件」について、当事者であるM局長、T会長との書簡を公開しています。

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「捏造」と捏造された不倫事件の真実

2008-12-31 12:33:29 | Weblog
T親子への「書簡開示サイト」開設に当たり、一言ご挨拶申し上げます。

2002年、S会内部で起こった「不倫事件」、または「不倫疑惑事件」を私がインターネットで偶然知ったのは昨年10月でした。事件から既に6年の月日が経過し、一部の直接関与した人(講師の方々)を除けば事件の記憶は風化し、「過去化してしまった」と、言っていいのでしょう。

しかし、私にとっては「今、目の前」で起こった、に等しいような「現前の事実」でした。文字通り青天の霹靂でした。
というのは、事件の主役が私の娘(=息子の嫁)と仲人をお願いしたS会布教局長のM.T氏だったからです。

その後一ヶ月、事実関係を懸命に調べ、ほぼ全体が、見えて来ました。

事件のあった2002年の総会で会長K.T氏が強権を発動し、事件全体を捏造されたものとして幕を引いてしまいました。処罰されるべき子息の咎を責めず、一方事件を報道、情報化した一部の講師を「和合僧を乱した」として処罰する・・

このT親子の犯した事後処理の「不条理性=捏造と捏造してしまった」は私と私の家族の屈辱感を更に強めることとなりました。そして私はT親子と一人対決することを決意しました。

始め、家内は私の決意に強く反対しました。理由は子供のS会における立場を憂慮し、また過ぎた事件を掘り返して、私たち家族の恥を再び晒すことを心配して、でした。

私自身もサイト開設を前にし、「阿修羅」に陥りやすい自分の性格を再チェックしました。家内の忠告もあり、改めてその危険性に気付き、少し時間を置いてみる事にしました。しかし、決意は変わりませんでした。

サイトには私がT親子と娘・Hに宛てて作成し、送付した全ての書簡を公開するつもりです。
今後、送付する、であろう書簡も順次公開するつもりです。

宛先の3者に対する書簡の共通性は事件の「本当を知りたい」、仏語をもじって言えば「真実開顕」です。事件当事者の二人には「本当」を語り、事件を起こしたことを「謝す」、父親のT会長は、それを受けて、自分の「判断の誤り」を「謝す」ことを目的としております。

この際の判断基準は社会通念上の正邪とS会内部規約としました。(法の鏡=仏の眼に照らせば、追求する私は目糞であり対象となるT親子は鼻糞の様なものでしょう。所詮目糞と鼻糞の争いではあります。)

また、私はS会の非会員であり、従って内部問題に立ち入るには限度のあることも承知しています。そこでT会長に対してはその責任を「形式的」にではなく、「感性的」に訴えて来ました。

一方M局長に対しては個人的関係性が極めて濃密であるので、彼に面会した上で、「本当」を知り、私たちのありのままの気持を強く訴え、これまでの彼の意図的或いは非意図的「沈黙」を誠実に謝してもらうつもりでおります。

                 *
取り交わした書簡は本来当事者間にのみ秘匿されたもの、従って、ネット上に掲示することは一種の「禁じ手」ではないかと、危惧しております。しかし、T親子(特にM局長)には私(=私の書簡)を無視する意志を強く感じております。この閉塞された関係性を打破するために、今回第三者が参加できる(=公開性)インターネットの力に依拠するこことしました。

多くの方々にアクセスしていただき、ご批判があれば反省の糧とし、ご賛同いただければ、今後も勇気をもって、彼らに向かって行きたいと考えております。
宜しくお願いします。

     2009年1月1日

追記
(娘・Hを除き)私はT親子と個人的な交流はありません。子息M局長とは、仲人をお願いしたときを含め2度形式的な会食をしただけ、父親のT会長とは一度の接触もありません。書簡の中での私の彼らに対する表現はほとんど全てが2次情報を基にしています。従って彼らの人間性を一方的に判断してしまっているだろうことは、自覚しております。
しかし、今回彼らと対峙する場合、自分の心中に(仮にでも)彼らの具体的なイメージを作らねばものごとは先に進みません。

今回の書簡送付と彼らの反応(または無反応)、及び上述の2次情報を基にした彼らのイメージを以下簡単に記述します。異論があれば、是非お知らせください。

娘・H
私の一連の聞き取りの一番重要な部分「事実か否か」に対し、返事の内容がその都度変わる。「会長先生を尊敬しております」を繰り返し、S会、会長を守るためには証言の真偽を変えることに意を介さない。S会講師の一典型と言えようか。そのため、自分個人の「座標」をもたない。カルトの犠牲者。

M局長
私の最初の書簡に対し、電話をしてきたのはK子夫人。私の求めに応じ、(多分しぶしぶ)会話に応じた(これ1回きり)。その時の会話で私が強く記憶しているのは、「事実無根」「ネットの書き込みは‘たわ言’ばかり」だけ。

これより受けた印象は、「熟慮」するのは苦手、一方大声で「威嚇」するのは得意、である。その後の私の通信に対しては何の応答もない。つまり「不誠実」、である。
こうした事実より、信仰指導者としては「???」である。

T会長
最近の彼に対するもろもろの批判・非難を知れば、当然のことながら、信仰指導者としては、大いに疑問がある。しかし、20代より、彼が一人努力し、築き上た宗教ビジネスに対しては、私は無条件に賛嘆するものである。
今回彼より頂いた返信に関しては2通とも大いに落胆させられる内容であった。
一言で言えば、「はぐらかす」→「問いをうまくはずす」→「ごまかす」。つまり「ごまかし上手」が彼の印象である。

以上三者の共通性はどの一人も「人に法を伝える」者としては、2流以下と判断しました。
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12 コメント

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はじめまして (元会員)
2009-01-01 07:06:20
はじめまして。

かつて過去に、R.S講師の担当の元にあり、
またそれ以後、H.S講師の支部に所属していた元会員です。

またM局長とも何度か直接会った事があります。

今回のブログ、読ませて頂きました。

投稿された貴方の気持ちはよくわかります。
協力できる事があれば何でもさせていただきます。
決してあなたは一人ではありません。
多くの人が味方です。
応援しています。
Unknown (Unknown)
2009-01-02 09:00:17
私は、息子さんが入会する以前から前後の頃、もう18年くらい前になってしまいますが、その頃に息子さんと親しくさせていただいていた者です。

こちらを偶然拝見しました。
私もネットの便利さの表裏を認識しているつもりですので、このサイトも本当にR君のお父様が書かれたものなのか用心したのですが、
私が昔R君本人から聞いたことがある、小さな情報がいくつかあったので、本当にお父様なのだろうと思い、投稿しました。

私はあの「会」とは全く無関係です。
私もネットを始めて、初めてその「会」の負の話題を目にしました。
R君が入会した時も違和感が拭い切れなかったのですが、ネットで知って「やっぱり」という気持ちでした。

いつかこんな時が来てほしい、何故来ないんだ、とずっと思っていました。

私はこの「会」と無関係なので何もお手伝いができないのですが、どうかお父様を応援させてください。
本当に、この時を待っていました。
. (.)
2009-01-02 16:00:07
何と申し上げてよいかわかりませんが......

お気持ちお察し申し上げます。
バックアップしますよ。 (協力します。)
2009-01-02 17:40:35
お父様の気持ち良くわかります。お母様は反対だそうですが、S会に行くことすら反対してる親はたくさんいますよ。勘当されてる人もいるでしょう。ですから親子だからと言って気にする必要はないと思います。S会は男女関係に関しては厳しいです。求道の妨げになるからね。しかし疑惑がでること自体間違いだが、組織のリーダー(局長)に出るなんて言語道断。その中で一部の講師に処罰がでたなんて信じられない。会長もバカ息子には甘いんですね。こんな局長では未来はない。
真実の開示を (元講師部員)
2009-01-30 15:56:32
あなた様のご心情、悲憤お察しし、あまりあるものを感じ、お見舞い申し上げます。
私は、講師部員として、14年ほど在籍し、講師部を退いた者です。
それなりの要職?も務めましたが、17年ほど前に自ら退部しました。

やめた理由の大きな理由はここで問題になっている光晴の態度でありました。
あまりにも常識、社会通念の善良といわれる条件からかけはなれた人間でありました。
又私個人の感情からも耐えがたきものであり、将来、彼が次の会長となってゆくことが明確に見えてきた為に組織をでることにしたのです。
彼を称するに
横暴、強権的、自己顕示欲が強く、粘着気質でありました。
批判されることを極度に嫌い、
意に背く者には、執拗にイジメ、
嫉妬心つよく、
わがままであり、
金銭欲はつよく、
立場を利用して、集金システムづくりにも余念のない男でした。
結婚式(司婚)も収入があるので大好きでした。
もちろん、わがままです。
加え、残念ながら謙虚さがありません。
自慢話はよくしますし、
世間よりも自分は上という考えがあります。

威張りちらすのは彼の広範囲に亘る、コンプレックスの表れでもあります。

つまり彼はどこからみても世間では どうしようもない「こまったちゃん」と烙印をおされる人間でした。

「大先生のご子息」と無批判に、賞賛され続ける人間の末路、哀れさをありありと見せてくれる男でありした。ゴマをする人間もおおございました。

どれだけの人が彼に泣かされ、(今も)
苦しんでいることでしょう。
想像にあまりあります。

ネット上でみる限り、彼の行状や親鸞会の体質はまったくかわっていません。
変わらない彼らには驚くばかりです。

したがって、イエスマンがまわりを囲み、
、そうでない面従腹背の者も、尊敬する会長の手前、信順せねばならず、そのジレンマに陥っています。

今回(6年前?)のいまわしい事件は、これだけの動かぬ証拠を突きつけて光晴の問題性を会長の前で白日のものにし、失脚させ、健全なる組織にしようという試みであったろうと思われます。

私の在籍時も講師部の一部で「やがて光晴はボロをだし、失脚するだろう」と会話をもったものですが、会長と息子の絆は予想以上につよく私はあきれて、組織をでたのです。

しかしあのような事件ですら、彼にはお咎めなしでありました。その不健全さを雄弁に示しております。

それでも組織が維持されてゆく不思議な構造があるのです。宗教とはこのようなものなのでしょうか。権力をもったトップが親ばかで実際に馬鹿息子であった組織はこのようになるといった方がいいのかも知れません。

静かに口を閉じてはいるものの、手をたたいて、あなたの勇気に敬意を抱き、感謝をし応援している人がかなりいると思います。私は間違いなくそうであります。

幸いなことに?今はどうか知りませんが、
彼ら講師部員のスローガンに「専任講師は三界の大導師たれ」というのがありました。
よく唱和させられたものです。
「講師部はあらゆる人々を導く人でなければならない、
だから世間一般人以上の豊かな常識をもたねばならない」と説示をうけたものです。

その説示をたれたものこそ、高森光晴であり、元はといえば、父親の 高森顕徹氏であります。

光晴はまた、潔癖症でもあります。今回その特徴を活かしてもらいたいものです。

「豊かな常識をもて!」と何百人(何千人)幾度となく、堂々と指導していた器を信じて、

どうか真実の開示を(彼らの好きな言葉でいうなら、真実開顕を)
念じて止みません。
心より応援しつつ、成り行きを見守っています。

お立場からの心情のみならず、
大きな社会的な意義を担っておられるように思います。

重ねて心より、お見舞い申し上げます。
貴殿の勇気に敬意を表しつつ・・・・

元講師部員
Unknown (元会費)
2009-01-31 14:35:18
親鸞会の講師には有能な方もいます。親鸞会のガンは光晴。理由は明らかです。まず自慢話しかしない。不倫問題を起こす。人に頭を下げれない。イエスマンで固め、反論するものは排除する。苦労をしたことがない。これでは未来ありません。今親鸞会があるのは高森会長の人徳です。
Unknown (バリバリ現役会員)
2009-02-01 00:46:21
会長のバカ息子は世間の民間企業では使い物にならない人材だ。謙虚さなし。ろくでなし。早く消えてもらわないといけない。
応援しています (元会員です)
2009-03-06 23:23:40
はじめまして。R.SさんやH.Hさん(当時)が学生をされていたころ、一緒に関東で学生会員をしていたものです。

ネット上での噂については存じておりましたが、本日、本ブログを初めて拝見しました。

心中お察しします。お父様の勇気がS会に関する様々な問題を良い方向へ向かわせるきっかけになるのではと思っています。

当方も応援しています。また、当方も微力ながら協力できることがあれば、協力させていただきます。

くれぐれもご自愛ください。
Unknown (Unknown)
2009-03-16 20:55:40
あなたのような勇気ある方がいて、感動しております。
親鸞学徒とは名ばかりの者がトップを始め、上から下まで親鸞会にはたくさんおります。

あなたのような誠実な方が親鸞会をリードしていれば、こんな浅ましい、最高に最悪な団体にはならなかったと、切に思います。
17年前から (元会員)
2009-07-02 07:16:11
Mが妻子連れで上京していた時代=90年代前半、彼の法話の控え室に茶菓子・おしぼりを準備する係がHに定着した。
同時期、電撃的にO学生部長(当時)の結婚が発表され、関東学生部に衝撃が走る。
一方、会長の教学矛盾を指摘した一部の学生グループの存在が暴露され、関東学生部創設以来の大静粛・スパイ探しが行われた。
直後に開催された弁論大会に、R大部室からはK部長とHの2名が高倍率の中、選出され、出場を果たした。
その直後(92年)の秋から冬にかけて、R大部室とW大部室の2年生(将来、S会の重責を担うと期待された優秀な面々)に退会者が続出。これを契機として、殺人的な部会スケジュールが組まれ、多くの学生部員が倒れ、R大部室では実際に死者が出た(部室で絶息仰臥しているところを発見された)。
以上のことは、当時、関東学生部に所属していた者ならば誰でも知っている。

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