ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

開けてビックリ(7)ウンチク後編

2007-11-25 | 危険がいっぱい!?/ 開けてビックリ
「自分は水を入れる。でも、食べるのはカレー。自分は水を入れる。でも、飲むのはフルーツジュース。」

これが、村人たちの思いでした。けれども、彼らが受け取ったのは、水でした。彼らの間違えは、自分が入れる物と自分が食べる物を結び付けて考えられなかったところです。

私たちは、この間違え、人事と笑っていられるでしょうか。

―自分の意見はゆっくりしっかり欲しい、でも、他の人の意見はどうでもいい。
―自分が困っているときには助けて欲しい、でも、他の人のことには気を止めない。
―自分に良いことがあったらいっしょに喜んで欲しい、でも、他の人に良いことがあったらねたましく思う。
―自分がうまくできたらほめて欲しい、でも、他の人がうまくできたら心の中でけなしている。
―自分のことは心底受け止めて欲しい、でも、他の人のことは表面的に適当に合わせてやっていれば十分。
・・・ 

私たちも、案外、あの村人たちと同じ間違えを繰り返しているのではないでしょうか。

私たちは、自分が作り出したものを、自分が受け取るのです。「自分ひとりくらい」と自分が考えていれば、他のみんなも、同じことを考えていておかしくありません。「自分は楽して、でも、もらうものだけはしっかりいただこう」。この考えが、自分の生きる世界をつまらなくしているのです。


そんな私たちに、イエスさまは、とってもわかりやすい手本を示してくれました。

イエスさまが弟子たちと夕食を食べようという時のことでした。イエスさまは、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまといました。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっていた手ぬぐいで、拭き始めたのです。

そして弟子たちに言いました。「主であり師であるこの私が、あなたがたの足を洗ったのですから、あなた方もまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたように、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」

このようにして、イエスさまは、弟子たちへの愛を残るところなく示されたのでした。


イエスさまを知ることで、私たちは、自分の生きる世界を自分でつまらなくするのではなく、自分が住みたい世界にすることができるのです。

「自分ひとりくらい」と思わないでください。あなたひとりが変わることがなければ、何も変わりません。


互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
(ヨハネの福音書 13章34節)

  
(イエスさまが弟子たちの足を洗った記事は、ヨハネの福音書13章にでています。)


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