新しいリコーダー奏法

吉嶺史晴によるリコーダー奏法解説ブログです。上達してゆくための全般的な考えかた・生き方のヒントについても書いています。

狙った音を狙った通りに出す

2018年12月22日 | 全般的な事柄
楽器演奏の要点のひとつは狙った音を狙った通りに出すことと言えます。

例えば弦楽器の場合だと狙った弦の狙った場所を狙った通りの角度で狙った強さと狙った立ち上がりの強さとふくらみと減衰と狙った長さで。。。。延々と続きます。

このように狙う項目が数限りなく重なり合いながらたったひとつの音が生まれます。

狙いが甘かったら弓が隣の弦に触ってしまったり、たとえ狙った弦にあたったとしても角度が合わなかったり圧力が不適切だったりすると狙った音は出ません。

楽器の演奏は管楽器、弦楽器を問わず、まず奏者が狙いを定めて、その狙い通りの音を出す、ということで成り立っています。

これは様式や演奏解釈以前の問題であり、言い換えるならば、まず音を出すことが重要である、ということに尽きます。

どんな音を出すのか、というと狙ったとおりの音を出すということになります。

物理的かつ機械的な練習であれば様式や演奏解釈の問題を持ち込む必要がないので、その点において奏者の負担は軽くなります。

音が8個並んでいたら、8個とも全く同じクオリティの音を出す、というようなそのような在り方です。
「気持ち」とか「芸術性」とかそのような考えかたが入り込む余地はここにはありません。

これも楽器演奏のひとつの側面です。

必要とあれば自分自身を「音だし機械」のような醒めた目で眺めてみることで何が生まれてくるでしょうか?

追伸:
以前、全音楽譜出版社から刊行されていた黄色いシリーズでケース・ブッケの「3つの練習」やシュテープスの「毎日の練習」はこのような点において優れたものです。

公開の場では絶対に演奏しない曲を決めてその曲を練習し続けること

2018年12月22日 | 練習の方法
公開の場では絶対に演奏しない曲を決めてその曲を練習し続けること。

このことによって何が可能になるでしょうか?

普通は練習するのは人の前で演奏するために行うこととされています。
必然的にある程度、高い完成度を目指すことになります。

それでは公開の場では絶対に演奏しないという曲を練習する意味はあるのでしょうか?
この問いは「練習とは何か」ということを考えるヒントになるかもしれません。

ただ練習するだけではなく、練習とは何かということを考え続けることによって何が生まれるでしょうか?

情けない音しか出せない自分自身を許してみる

2018年12月19日 | 全般的な事柄
楽器の「鳴り」を最大限に引き出すのは良い演奏のための条件です。

音域や音の長さに関係なく、常に「鳴り」を確保しながら演奏すること。これは基本的な事柄として常に意識されるべきことです。

初心者だけはなく、中級者、上級者になってもやはり時としてこのような基本がおざなりにされてしまうことがあるのは要注意と言えます。

しかしながらやはり人間なので常に「鳴り」の良い状況を確保できるということでもありません。

何らかの事情があったりします。

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そういう時には「鳴り」の弱い音しかでません。

頭でわかっていることと実際に出来ることとは違うからです。


もし普段の自分だったら「情けなくて使い道がない」と言って切り捨てるような音しか出せないこともあったりします。

そういう時はそういう状態のまま音を出してみます。
この場合には実際の音楽作品は使えないので、ピアノで言うところのハノンみたいなものが良いです。

単純なロングトーンやスタカート。スケールやアルペジオみたいなもの。

情けない音しか出せない自分自身を許してみること。
そういう時もあります。

追伸:
もし自分自身を許せない場合には「自分自身を許せない自分」を許してみること。

自分自身が弱っている時の対処法

2018年12月19日 | 全般的な事柄
人間は機械ではないのでいろいろな時があります。
元気な時だけではなく弱くなってしまう時も、もちろんあります。

肉体的に不健康な時には治療をすることが必要になるのですが、楽器演奏の場合、様々な原因で自分自身が「音楽的」に元気でなくなってしまうことも有ります。

例えばあまりにも沢山の演奏をこなし過ぎて、演奏してゆく気力が失せてしまう。

あるいはその逆で演奏の機会が少なすぎて楽器に触れることもほとんどなくなってしまい、今からあらためて練習再開するのが億劫になってしまう。

上記のふたつは演奏の機会が多いという点、そして少ないという点で全く相反する原因から結果としては演奏する気力がなくなってしまうという症状が出てしまう状態です。

それでは「演奏する気力がなくなってしまう」というのは具体的にどのような状況なのでしょうか?

そのための有効な方法として、ここでは音楽的なことを求めずにひたすら機械的な練習をやる、ということを提唱します。

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さて

音楽史には多くの優れた作品があります。
ピアノやヴァイオリンほどではないですがリコーダーにもそれなりの優れた作品があります。
現代的なものや編曲作品も入れてみると膨大ともいえる曲があるでしょう。

さて「演奏する気力が失せる」という原因を考えてみます。

肉体的、精神的に疲労しているということはもちろん原因なのですが、もしかしたら「音楽的に演奏しよう」あるいは「聴き手に感動してもらいたい」という気持ちがあまりにも強くなり過ぎてはいないかどうかチェックしてみはどうでしょうか?

でもよくよく考えてみるとどこからどこまでを指して「音楽的な演奏である」とか「非音楽的である」と判断するのでしょうか?

具体的にどんな状態になれば「聴き手が感動した」と言えるのでしょうか?

そもそも10回演奏して10回とも聴き手の一生涯に残るような忘れられないような感動的な演奏が出来るようなそんなことが可能なのでしょうか?

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聴き手も人間、演奏者も人間なので状態の良い時と、悪い時があります。それは自然なことなのですが、100パーセント優れた演奏をすること、100パーセント感動的な演奏をすること、これは最初から負ける戦いを挑んでいるのと同じことになります。

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プロの演奏者が有料の演奏会に出演する際には演奏に求められる完成度は愛好家の皆さんの発表会とは比較になりません。しかしながらそうであってもそれがどの角度から見ても100パーセント完璧であるということは実現不可能です。

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良い感覚の演奏者であればあるほど、自分自身の演奏の出来について客観的な評価を下すことが出来ます。

良い感覚が備わっていればいるほど、自分自身が良い演奏出来ていないことが許しがたいことに思えて来ます。

でも「許しがたい」とは言え、何らかの事情によって、そういうことが起きているのならばそれは仕方ないことです。

仕方ないことは仕方ないので、すぐにその状況を変えることは出来ません。

「やる気が無い」のも仕方ないことなのですが、何について「やる気がない」のか、ということを自分自身でチェックしてみることは有効です。

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「音楽的に演奏する」こと自体に興味がなくなってしまうことがあります。

何をやっても過去の自分がやったことの焼き直しにしか思えなくなったりします。

ひどい場合には無意味に思えてきたりします。

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そんな時に提唱したいのはひたすら物理的な練習をやることです。

その時の練習に用いるのはなるべく音楽的な要素が排除された抽象的な音の羅列のようなものが良いです。

ピアノで言えばハノンみたいな練習です。
単純なロングトーンならばそれをやるだけです。気が向いたら音量を変化させたりピッチを動かしても良いでしょう。

スタカートでも良いです。

機械的なスケールとかアルペジオでも良いでしょう。

要は音楽的にやらない、ということです。

なるべく自分自身が単純な構造の機械みたいになっているつもりでやるのです。
これなら「音楽的」にやろう、というような負荷から自分自身をラクに自由にすることが出来ます。