吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

4本の弦

2017-04-18 | リコーダー奏法
昨日からずっとオルフェウスのことを考えている。
「たった7本の弦しかない竪琴」というようなことを書いた。
でもよく考えてみるとヴァイオリンやチェロなんて4本しかないのだ。
三味線なんてたった3本なのだ。
たしかモンゴルの馬頭琴は2本じゃなかっただろうか。

このように考えてみると弦の数なんて、その奏者の表現にさほど影響がない。(もしかしたらその楽器の音域とか、強弱の幅も。。。)

今、残されている楽譜のなかには入念に作曲されたものだけではなく、即興演奏の結果が書き記されているだけ、と見ることの出来るものが多分に含まれている。

例えばファンエイクの「笛の楽園」あるいはオトテールの「プレリュードの技法」、もしかしたらテレマンの12のファンタジーなどもそのような見方が出来るのではないだろうか。

ということは。。。。
今、リコーダーを演奏する、あるいはリコーダーを学ぶというのはどうしても過去に書かれたものを歴史的に忠実に演奏すると方向に行き勝ちだけれども、もうひとつの方向としてはやはりその場で即興演奏してしまう、ということがこれから重要になって来るのではないだろうか。

もしかしたら近い将来、鳥や虫、野の獣、草木や岩までも魅了できるような、そんな奏者が現れないとは限らない(!?)

中級者と上級者の違い

2017-04-17 | リコーダー奏法
演奏における中級者と上級者の違いって何だろう?
こんなことをちょっとだけ考えてみた。

いろいろな考え方があるはずだけれどもこなんのはどうだろう?

*中級者
明瞭な演奏をすることが出来、演奏の意図が聴き手にわかりやすい。

*上級者
明瞭な演奏をすることが出来るが、演奏の意図が常に聴き手にわかりやすいとは限らない。
なぜならば彼は彼自身の演奏における意図を故意にわかりにくくすることによって聴き手の想像力をより強く刺激する技を知っているからである。

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仮にこのようなアイディアが正しいものだとすると、様々な局面において、いろいろな要素を単一の解釈ではなく複数の解釈が出来るような余地を残した演奏というものが考えられるはず。

スタカートとしての意味を持っているノンレガートとか。
あるいはポルタートとしての意味を持ってるノンレガート。
あるいはまたフレーズの終わりとしてに意味と同時にフレーズの始まりとしての意味を持つ音。などなど。。。。

聴き手の想像力を最も刺激するアーティキュレーション

2017-04-17 | リコーダー奏法
聴き手の想像力を最も刺激するアーティキュレーションって何だろう?

この間のアンサンブルのレッスンの時になんだかとっさにこんな言葉が僕の頭のなかに浮かんだ。

スタカート。それはあまりにも短すぎてわかりやすい。
ポルタート。それは長すぎてわかりやすい。
レガート。タンギングが全くなくてわかりやすい。

ということは。。。。ノンレガート、ということになるのではないだろうか。

つまりスタカートっぽいノンレガートなのか、ポルタートっぽいノンレガートなのか、いったいどちらなのか、ということを聴き手に想像してもらえる余地があるということ。
これ、使いようによってはかなり面白いのではないだろうか?

P.S.
通奏低音を弾く際にバロックチェロやガンバの奏者は8分音符が連なっている際にノンレガートでやることが多い。これただ単にそうやっているのではなく、必ず理由があってやっているはず。

リコーダー奏者が通奏低音のパートを演奏する機会はさほど多くないけれども、他の楽器の奏者がやっていることは参考になる。(というか、アイディアを盗みとる、ということ)

重みを感じる

2017-04-13 | リコーダー奏法
楽器の重みを感じることが出来るのか、どうかということ。
これ、もしかしたら上手い奏者と下手な奏者の違いではないだろうか。

下手な奏者はどうしても必要以上のチカラで楽器を握り締めてしまうため楽器の重みを感じることが出来ない。
それに対して上手な奏者は必要最小限度のチカラしか使わない。
その結果、楽器そのものも重みをじゅうぶん感じながら演奏することが出来る。

これは「重み」だけではなく、指穴から伝わってくる「振動」の度合いとか、あるいはまたウィンドウェイのなかの水のたまり具合やピッチなど、全ての点に及ぶ。

つまり上手な奏者はただ単に指とタンギングのコーディネーションが良いとか、楽譜を読むのが速いとか、そういうところだけではなく、もっと根本的なところで未熟な奏者と比較して大きな違いがある。

楽器と自分との関係。
それはもちろん刻一刻と変化する。
楽器が床と平行ちかくまで角度がある際と楽器が比較的、垂直な場合。
同一の楽器であっても、奏者と楽器との関係は劇的に異なる。

このような違いを感じ取ることが出来るのか、どうか。

P.S.
もちろん楽器の重みだけではなく、自分の腕そのものの重みも感じることが出来るはず。
ひいては腕だけではなく、自分自身がどのようにその場に立っているのか、座っているのか、ということも。
具体的には重心が前にあるのか、後ろにあるのか、左なのか右なのか。
上なのか下なのか。


近視眼的に面白いアーティキュレーションが俯瞰的にみて面白いとは限らない

2017-04-03 | リコーダー奏法
リコーダー奏者が進歩してくるとある段階でアーティキュレーションの持つ可能性に目が開かれて、表現が飛躍的に向上する。
ここまでは良い。
しかし問題は、あまりにもアーティキュレーションのみに焦点を当てすぎた演奏になることがあることだ。

近視眼的に面白いアーティキュレーションが俯瞰的にみて面白いとは限らない。
あまりにも「わかりやすい」アーティキュレーションが音楽的に興味深いものとは限らない。

明瞭な演奏をすることと、聴き手に見透かされるような演奏をすることとは似て非なることだ。

トニック、ドミナント、サブドミナントのテンションの違い(技術的な事柄)

2017-04-03 | リコーダー奏法
この間のレッスンで「先生、どこにも拍の頭に不協和音がみつからない場合には強調する音と強調しない音はどうやって区別するのですか?」という質問があった。

この場合には機能的にトニックから離れてゆけばゆくほどテンションが高くなるという性質を利用する。

つまりトニックよりもドミナント、ドミナントよりもサブドミナントのほうが不安定な状況となっていることをテンションの変化と捉えるのである。
ということは見た目には単純な協和音が並んでいるように見えても、実際にはそのなかで繊細なテンションの変化が起きているということになる。

さきほどの記事にも書いたように、人間の耳は絶対的ではなく、相対的に働くように出来ているので強調したい音を強調するための方法は無限にある。ポイントは表現のために必要な様々な要素(音色、テンポ、音量、ピッチ、アーティキュレーションなどに相対的な考え方を適用すること)


相対的に聴こえるという性質(技術的な事柄)

2017-04-03 | リコーダー奏法
人間の耳は何かを聴く際に、時間的にその近くにあるものと比較して聴くという性質を備えている。
いろいろなものを絶対的な尺度ではなく、相対的な尺度で聴こうとしているようにみえる。

例えば、ある音をより大きな音量で表現したいという箇所があったとする。
しかし、その時の楽器の状態や自分の技術的な限界でそのことがなかなかうまくゆかないとする。

この場合はその音の前後にあるいくつかの音の音量を小さくするのである。

このような考え方は音量だけではなく、アーティキュレーションやテンポなど音楽表現における様々な要素に適合させることが可能。

表現の際には絶対的な基準ではなく、時間と共に推移してゆく状況のなかでの相対的な基準により焦点を合わせるという考え方。