



【高瀬川のせせらぎ、木屋町ロマンティックの巻】
■高瀬川は、江戸初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、
京都の中心部と伏見を結ぶ物流用に開削された運河である。
1920(大正9)年まで三百年間、京都・伏見間の水運に用いられた。
名前は水運に用いた「高瀬舟」にちなんでいる。
1920(大正9)年まで三百年間、京都・伏見間の水運に用いられた。
名前は水運に用いた「高瀬舟」にちなんでいる。
◇
■三条通から四条通にかけての木屋町通は歓楽街で人出が多い。
春は桜の名所として知られ、人が滞留している。
秋の朝は閑散としているが、これはこれでいいものだ。
人ごみの苦手なわたしが散策するには具合がいい。
人ごみの苦手なわたしが散策するには具合がいい。
四条通周辺にソワレ、築地、フランソワなど懐古趣味の喫茶店が残る。
かつての待ち合わせの場所は次々と姿を消し、半数以下になった。
大手チェーンが混みあっているのに、こちらは閑散としている。
なぜそうなのか、わたしにはちっとも分からない。
そう言っても、この10年で築地に一人で、フランソワに大学時代の友人3人と、
それぞれ一度きり。ソワレのドアを最後に開いたのはいつだったか?
学生時代のように、長く居座って本を読みふける習慣がなくなったからだろう。
あの頃、今はなき三条通の書店でのバイト料は本とコーヒーに変わっていたーー。
遠い記憶の中のお話である。
■森鴎外「高瀬舟」の最後の一節が頭に浮かぶ。
次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。

2019年11月9日(土) 京都てくてくの記