囲碁漂流の記

遠い日の記憶/追々々補


失言・妄言・本音! 「クビになった者」と「残さざるを得なかった者」の軽重の巻】


■これは、世知辛いこの世き抜くための有効なアドバイス?

皆さんは、どう思われますか。


 さて、われわれが交渉を持ち、あるいは交際している人間が、不快な態度ないし腹の立つような態度を取った場合、今度幾度か同じ態度を、しかも輪をかけて取られても我慢する気落ちになるくらいに大事な人間であるかどうかを、心に問うてみさえすればいい。[赦して水に流すのは、自分の得た貴重な経験をむざむざ捨てるようなものだ]

 その人間がそれほど大事な人間なら、何を言ってもまずどうにもならないのだから、それについて言うべきことはない。小言を言うなり、言わぬなりして、事を水に流すほかないが、しかしそれはもう一度やってくれと頼んだも同然だと覚悟するがよい。

 反対に、それほど大事な人間でなければ、即座に、かつ永久に、この親友と断交するか、召使なら解雇するかしなければならない。何故かといえば、今は厳かに誠心誠意、それとは反対のことを誓っていても、いざとなれば全く同じこと、少なくともそっくりなことをするに決まっているからである。

 どんなことでも忘れられないことはないが、自己、すなわち自己の本質性格だけは忘れられない。それはそのはずだ。人間の一切の行動は内面的な原理から流れ出るもので、この原理によって人間は同じ状況にあれば常に同じことをするほかには仕様がないのだから、性格というものは全く修正の効かないものである。

 いわゆる意志の自由に関する私の受賞論文をご高覧のうえ、迷妄を脱却していだだきたい。だから、ひとたび断交した友と仲直りすれば、それが弱みになる。友は機会さえあればまたすぐに、断交の原因となった行為を、もっと大胆に、しかも自分という人間が相手にとってなくてはならないものだということを心中ひそかに意識しながら、繰り返すであろうから、その時に及んで、この弱みの償いをさせられるわけである。

 実生活または文学のなかで特別に下劣な性質や愚鈍な性質に行き会った場合、これを決して不快や立腹の材料とせず、単に認識の材料とし、人類性格学に対する新たな寄与と見なし、その意味をよく記憶にとどめておくべきである。そうなれば大体において鉱物学者が自分の目に触れた極めて特徴的な鉱物標本を見る時のような目で見ることになろう。

 

■この後、冷徹かつ精緻な人間観察眼に基づき、ヴォルテールの格言などを引用しつつ、平和論・戦争論を展開していきます。

が、それは訳書を購入して、じっくりとお読みください

 

■少なくとも、この一文に触れて、わたしはモヤモヤしていた気が晴れ、ココロに青空が広がった覚えがあります。

「いい人を演じることの息苦しさ」から解放される術を得たわけですから。

 

■箴言集には、日本人にもドイツ人にも「耳の痛い言葉」しかし「有用な言葉」が散りばめられています。

何より、まさに戦前状況の再現が懸念される今国会「木を見て森を見ない雄弁術の応酬劇を、しっかりと観察・監視しましょう。

現長期政権では、口を滑らせて「辞めさせられたヒト」と「謝罪・撤回で残ったヒト」がいます。

どういう意味を持つのかを見極めるためにも。

 

■「反省」が風化し、きな臭くなってきた今こそ、こうした「古典の出番だ」と思うのです。


 


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