囲碁漂流の記

京の眼福⑤宝厳院

天龍寺塔頭の一つ「宝厳院」ーー夢想疎石の禅境と正夢の巻】

 

 

深紅が調和しています。 

よく手入れされています。

 

■天龍寺は、嵯峨嵐山の「寺社巡りの端緒」です。

京福電鉄嵐山駅で降りても、バスやマイカーで訪れても、

「とりあえず」という面持ちで、みな参道に入っていきます。

 

■14世紀、一人の禅僧が天皇の菩提寺を発案し、

中国・元との貿易を企画し、建立の巨費を集めるーー

そんな“大それた構想”によってできた奇跡の寺院です。

 

七百年近くの歴史で、なんと8回も焼け、そのたびに造り直されました。

京都の寺社は、応仁の乱や天明の大火などで、大半が灰燼に帰しています。

焼失と再建を繰り返し、往古の建造物はほぼ残っていません。

ひとくちに「千年の都」といわれますが、

信長、秀吉、家康の三英傑時代に再興されたものが一部あるだけで、

むしろ多くの伽藍は明治以降に復興したものです。

 

わたしたちは、その境内を訪ね、庭園にたたずみ、史実の重みを感じているのです。

 

 

全ての歴史は「現代史」である  クローチェ

 

 

京にても京なつかしやほととぎす  芭蕉

 

 

天龍寺 右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町の臨済宗天龍寺派大本山。本尊は釈迦如来。開基は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」として世界遺産登録されている。明治の活動大写真時代からロケ地に使われ、日本映画の黄金期を支えてきた。現在はロケを受け入れていない。

夢窓疎石(1275~1351年) 臨済宗の禅僧。後醍醐天皇の菩提を弔うため、師と仰がれた足利尊氏や弟の直義に勧めて大寺院の建立を目指す。その資金を捻出したのが天龍寺船の渡航である。博多商人に「利益の多寡に関わらず五千貫文を納める」という約束をさせ、伽藍建築を進捗させた。室町幕府公認の下、元へ派遣された貿易船(寺社造営料唐船)は当時「造天龍寺宋船」と呼ばれた。博学多才で人脈が広く、類まれな手腕と熱意で、伊勢・鎌倉・甲斐などに次々と寺院を開山。帝から夢窓国師など七つの号を与えられ「七朝の帝師」と呼ばれた。作庭にも優れ、天竜寺のほか、等持院や西芳寺(苔寺)などの庭も手掛けた。

 

2019年11月22日(金)バス旅


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