囲碁漂流の記

続・花束を君に

  
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
 
紫陽花に秋冷いたる信濃かな
 
足袋つぐやノラともならず教師妻


 
「あずさ7号」で展墓の旅の巻】
 
■田辺聖子が、新宿発10時の「あずさ7号」で向かった先は信州・松本だった。まだ陽も高い昼下がりに着いた松本駅は、10月半ばにしては晴れて汗ばむほどだった。
 
■信濃路行きの目的は、終戦後に失意のまま病死した悲劇の俳人・杉田久女(享年56)の墓を探し出し、花を手向けるためだった。「おせいさん」こと田辺が50代の頃。既に人気作家の地位を確立し、とっつきにくいと敬遠していた俳句の世界への挑戦である。
 
■女性編集者Mと女性カメラマンSの3人で「城山墓地」にタクシーで向かう。途中、花と線香を小さいスーパーで求める。贅沢な花は扱っておらず、菊やコスモス、藤ばかまといった地味な花束。「野の草々を愛した久女にふさわしいかもしれない」。
 
■森閑たる広大な墓地を彷徨うも、墓は一向に見つからない。近くの寺によって、墓地はここだけではなく「古い方」もそう呼んでいることが分かる。民家の裏手の畑を踏み進み、たどり着いた小さな墓地で、草をかき分け、ついに「久女之墓」を見つける。ささやかな腰の高さの黒御影石にあったのは、確執のあった師である高浜虚子による量感豊かな立派な字だった――。
 
       ◇
 
■「忽忙の間、書下ろしは辛かった」。5年間の取材と執筆を経て、1986年の師走に書き上げた「花衣ぬぐや まつわる……わが愛の杉田久女」は500㌻を超す大作となった。田辺は「あとがき」で、こう書いている。
 
 私の机の上には、この五年間、雑誌から切り抜いた「ヨーロッパの貴婦人のような」美しくりりしい久女の写真が、写真立てに入って飾ってあった。やっとひと仕事終えたいま、写真の久女も(多少不満もあると思うが)気のせいか休らいだ風にみえる。白菊の女(ひと)・杉田久女の魂に、ささやかなこの書を献じたいと思う。


        
 
 
 
 
すぎた・ひさじょ(1890~1946年) 明治・大正・昭和の俳壇に君臨した高浜虚子に師事。格調の高さと華やかさのある句で知られた。長谷川かな女、竹下しづの女とともに、近代女性俳人の嚆矢として評価される。しかし家庭内の不和、虚子との確執など、波乱に富んだ悲劇的生涯が多くの小説の素材になった。当事者の虚子をはじめ、松本清張、吉屋信子の作品があり、TVドラマにもなった。

 
         ◇


「あずさ2号」
明日 私は旅に出ます
あなたの知らない人と二人で
いつかあなたと行くはずだった
春まだ浅い信濃路へ
行く先々で想い出すのは
あなたのことだとわかっています
そのさびしさがきっと私を
変えてくれると思いたいのです
さよならはいつまでたっても
とても言えそうにありません
私にとってあなたは今も
まぶしい一つの青春なんです
8時ちょうどのあずさ2号で
私は私はあなたから旅立ちます
(作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一)

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