囲碁漂流の記

レッテルを貼る前に

 

“瞬間分類癖”の現代人に告ぐ、人間は工業製品に非ずの巻】

 

■こういう記事を読んで、「ああ、これは現代の病だな」と思う。

 

■昭和の頃は、ちゃんとした?論争があった。

多くは批評・論評系の月刊誌から発し、受けて立つ側も翌月号か別の媒体で反論する。息の長い応酬が繰り返され、その様子が新聞・テレビなどで取り上げられた。議論も煮詰まり、収束の兆しが現れ、勝敗は世間が決めた。

対談や鼎談という方法もあるにはあったが、昔の文士や文化人は行儀がよろしくないので、編集者泣かせという事態がしばしば起きた。対談などは「なごやかにやるもの」という暗黙のルールができた。

 

■それが今やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で瞬時に出来るようになり、あちこちの外野からも短文が機関銃の如くに乱打される。「炎上」という現象だ。そして、すぐに飽きられる。大抵は1週間もすれば収束し、次の話題に移っていく。生産性のカケラもない。

 

■要は、ヒトの話に耳を傾けない。自己の主張のみ語る。選ぶ言葉も陳腐で手垢がついている。そして匿名、である。

 

■それは政治の世界にも飛び火した。「高官が電話会見」とか「大統領がツイッター書き込み」とかいった新手が編み出され、一方的に情報を流していくのが米国政治のトレンド。実質審議する委員会を形式的に猛スピードで進め、本会議場では数をもって強行可決・否決したり、広報責任者の官房長官がほとんど中身を答えなかったり、というのが日本政治のトレンド。

 

         ◇  

 

■そのなかで、もはや新聞・テレビに近いオールドエコノミーの「ブログ」だが、なかなかに上手く出来た仕掛けだと思う。

 

■何を、どう、意見表明しても一定の読者に見てもらえる。

ブロガー各位は長文も書ける人たちだから、単に不特定多数とはいえない知的レベルを持っておられる。

反論があれば、コメント欄に「わたしのブログで反論します」と書き込んで、自分のブログで展開すればよろしい。

当方は、相手にしたくなければ、しない。

コメント欄を公開しても、承認制にすれば「荒らし」を防げる。

何より、自分で書いて、自分で読んで、それを簡単に公開でき、保存もできるのがいい。

 

■半世紀前に書いては挫折を繰り返した「小さな日記」が、机の引き出しの中にだけにあった。

だが、まさかこういう形式になり、それなりに反応もあって、飽きずに長続きできるとは。

まさに「夢のような日記」である。

中学生の頃には想像もしなかった未来社会に生きる「昭和のわたし」である。

 

 


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