囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

「アール・デコ」の京都

2019年11月14日 | インドア・アウトドアにて
 
 
 
 
 

明治~昭和の面影残す三条、御幸町、寺町あたりの巻】
 
 
御幸町通(ごこまちどおり)は、寺町通の一本西にある南北の通り。
東から西へ大きな通りは、河原町→新京極→寺町である。
裏寺・柳小路、花遊小路など小径もある。

平安京には存在せず、秀吉による「天正の地割」で新設された。
通り名「御幸」の由来は、
秀吉が私邸(大坂城)や公邸(伏見城)から、御所に参内する時に使ったため、
との説がある。
 
 
■三条御幸町角の「1928ビル(アートコンプレックス1928)」(昭和3年建築)
三条寺町交差点の「かに道楽」(昭和35年創業の全国チェーン)
三条寺町南東角の高級スキヤキ肉「三嶋亭」(明治6年創業)
などなど、この界隈は新旧ランドマークが入り乱れている。
ほかにも歴史的名建築が数多く残っている。
 
 
■三条通は、昭和初期まで東西のメインストリートだった。
が、阪急電車が地下を走る四条通に人の流れが移っていった。
縦の通りはといえば、30~40年前は新京極が若者でいっぱい、寺町はひっそり。
さらに西にある南北の通りは、業務用車両等が行き交うだけだった。
 
ところが十数年前から、若者向けの文化・商業施設が立地しだしてから、
人の流れが変わってきた。
寺町は、四半世紀前と比べると、人出は五倍十倍になった、と思う。
 
 
■わたしが高校の修学旅行で初めて京都を訪れ、宿泊した旅館も、
御幸町~麩屋町~富小路~柳馬場のどこかだった。
夜、悪友たちと鴨川や先斗町、木屋町周辺を散歩した。
当時、鴨川左岸の地上を走っていた京阪電車のキラキラ感を覚えている。
旅館の大部屋で枕投げした光景も、おぼろげながら脳裏に焼き付いている。
 
 
大学生活を、この地で過ごしたのは、
これが一つのきっかけになったのである。
 
 
有名観光地ばかりが京都ではない。




アール・デコ 仏語の原義は「装飾美術」。幾何学模様や原色対比表現が特徴。新しい装飾性と新素材利用のアール・ヌーヴォー(新しい芸術)に続き、1910~30年代にデザイン界の本流になった。1928ビルは、京都御所で挙行された昭和天皇の「即位の大礼」に合わせ、1928(昭和3)年に最先端建築として竣工。アール・デコはその後、機能的モダニズムの台頭で「悪趣味な装飾」のレッテルを貼られた時期があったが、1960年代の機能主義批判からポスト・モダンへの流れの中で再評価された。
 
 
 

2019年11月9日(土) 京都てくてくの記
コメント
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