先日、とある焼き物(磁器)を鑑賞する機会があったのだが、
その制作者(Aさんとする)にしか出せない不思議な色があるらしい。
Aさんは長年の研究の末、その色を出す技法を編み出した。
でも、その技法は秘密で、弟子の誰一人にも教えようとしない。
制作現場も秘密で、家族でさえも立ち入ることを許さないそうだ。
そうしてAさんは人間国宝と称されるようになった。
Aさんの作る不思議な色合いの磁器は
海外でも高い評価を得ているという。
私はこの話を聞いて、すこし引っかかるものがあった。
Aさんは、自分の希少価値を高めるために、
色の調合方法の秘密を明かさない。
もしAさんが、色の調合方法を、自分の弟子たちに教えて広めていたら、
弟子たちも、その不思議な色合いを生かして、
たくさんの作品を作り出すだろう。
もしかしたら、Aさんの磁器を超える作品も生まれたかもしれない。
そして、その技法は、その地域全体の磁器の特色になり、
地域の振興に役立ったかもしれない。
でも、その場合、その技法はAさんだけのものではないから、
Aさんが人間国宝と称されることはなかっただろう。
技法を自分だけが独占して、
「人間国宝」という高い地位と名誉を獲得する人生と、
技法を広く公開して、地域の振興に尽くすけれども、
自分は無名の職人で終わる人生と、
どちらが輝かしいだろう。
どちらが美しいだろう。
その制作者(Aさんとする)にしか出せない不思議な色があるらしい。
Aさんは長年の研究の末、その色を出す技法を編み出した。
でも、その技法は秘密で、弟子の誰一人にも教えようとしない。
制作現場も秘密で、家族でさえも立ち入ることを許さないそうだ。
そうしてAさんは人間国宝と称されるようになった。
Aさんの作る不思議な色合いの磁器は
海外でも高い評価を得ているという。
私はこの話を聞いて、すこし引っかかるものがあった。
Aさんは、自分の希少価値を高めるために、
色の調合方法の秘密を明かさない。
もしAさんが、色の調合方法を、自分の弟子たちに教えて広めていたら、
弟子たちも、その不思議な色合いを生かして、
たくさんの作品を作り出すだろう。
もしかしたら、Aさんの磁器を超える作品も生まれたかもしれない。
そして、その技法は、その地域全体の磁器の特色になり、
地域の振興に役立ったかもしれない。
でも、その場合、その技法はAさんだけのものではないから、
Aさんが人間国宝と称されることはなかっただろう。
技法を自分だけが独占して、
「人間国宝」という高い地位と名誉を獲得する人生と、
技法を広く公開して、地域の振興に尽くすけれども、
自分は無名の職人で終わる人生と、
どちらが輝かしいだろう。
どちらが美しいだろう。
ふと思い出したのは、『美味礼讃』。
フランスの有名なレストランのシェフの味を
今も伝えているのはその孫弟子だそうな。
師匠と弟子の関係は知る由もありませんけどね。
伝えるというのはむつかしいことですよね。
もし自分に子供がいたとしたら・・・
何を伝えたいでしょうかね。
過去に大きな戦争があったこと。
美味しい料理のレシピ。
自分が子供の頃読んだ本。
つらかったこと、悲しかったこと。
嬉しかったこと、楽しかったこと。
などなど・・・あんまり多くないですけど。
コメント、ありがとうございます。
人間国宝の方のお話は、解説してくださった方の説明でしか知らないので、その方の人生のほんの一部分でしかありません。
ただ、最近、本当に心の優れた人というのは、大きな成功を収めて脚光を浴びている人ではなく、案外、無名のまま、市井に紛れているのではないかという思いが強まっていて、そこを刺激されたというのはあります。
もし私に子供がいたら、伝えたいのは、人として、真っ当に生きて欲しい、という一点に尽きます。
子供がいないのが残念です。
一人独占したい気持ちもまあわかりますね^^
私でもそうしちゃうと思うんです。
でも一方で 「なにさ、ケチンボ~!」っていう気持ちもたしかにありますね~。
あと、私はそれ以外に(ないとは思いますが)
実はその技法がわかったら笑ってしまうくらい単純なもので、
言うに言えないのかな~っなんて思ってしまいました。
たとえば、顔料に醤油を混ぜちゃうとか、そういう類のものだったら絶対言えないなーと想像しておかしかったです☆まさかとは思いますが。
さなぎさんのおっしゃる意味わかりますよ。
私、ノーベル医学賞はとれなかったけれど
北里柴三郎が好きです。
彼は海外の研究室でさんざんいじめられていたみたいですが、他の研究者が協力してほしいと言ってきたら 自分が苦労して集めたデータを惜しげもなくぜーんぶ渡してしまったそうです。
そのデータをもらった外国人研究者はノーベル賞を受賞したのです…一応その人は「ドクターキタザトがいなければなし得なかった」とは言ってくれたみたいですけど^^;
普通、「僕が発見したようなもんだ!」とか言ってしまいたくなりませんか。
子ども向けの伝記を読んで得た知識なので、事実と差があるかもしれませんが、友人の受賞を称え、医学の進歩を喜んだとか。賞そのものに固執したり、悔しがったりはしなかったみたいなんです。
いじめられ見下されていた中、血清療法の発見は大逆転!!であるにもかかわらず、威張らず、己の功績なんて二の次で、医学の前進に価値を見出す姿勢がかっこいいなあと思いました。
受賞して一旦そこで立ち止まるのも「あり」ですが、ノーベル賞受賞者なんて肩書はなくても(北里博士の功績も十分華々しく有名ではあるのですが)、受賞した仲間の研究者より立派だったと私は思っています。
(また長くなってしまいました、すみません)
コメント、ありがとうございます!
北里柴三郎氏のお話、ものすごく感動しました。北里氏のお名前は存じていましたが、そんなに人間ができた方だったとは。
研究者にとって、自分で集めたデータというのは、研究者生命がかかった、非常に大切なものらしいです。研究者の知り合いがいますが、データを盗まれないように、細心の注意を払って管理しています。
自分の私利私欲のためではなく、医学の前進のために、データを提供するとは、神レベルですごいと思います。そして深く尊敬します。
不惑の年を迎えてもなお、自分の生き方に自信が持てずにぐらついていましたが、北里氏のお話を知り、強く勇気付けられました。北里氏の振る舞いは世間では例外で、だからこそ尊いのかもしれませんが、勇気ある、立派な行動をとった人がいたという事実を知るのは、大きな励みになります。
人間国宝の方の秘技も、コロさんがおっしゃるとおり、実はあっけないものなのかもしれませんね。まあ、そう考えれば、秘密にし続けるのも、かわいらしいですけどね(^^)