頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

花の名前

2012-05-09 | laugh or let me die

名もなーい 花にはー 名前をつけましょうー

この世に ひとつしかー ないー



















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『所有せざる人々』アーシュラ・K・ル・グィン

2012-05-08 | books

AD2300の未来、ウラスとアナレスの物語。ウラスという惑星からオドー主義者たちが脱出し、アナレスに暮らすようになった。それから150年が経過し、アナレスで生まれ育ったシュヴェックは物理学者としてウラスへと向かう。

「所有せざる人々」アーシュラ・K・ル・グィン 早川書房 1986年 訳者 佐藤高子
The Dispossessed, Ursula K.Le Guin 1974

幼少期からを描く章と現在を描く章が交互に来る。アナレスではオドー主義という共産主義のようなものによって人々の生活はコントロールされているらしい。らしいというのは、これは共産主義ですというような直接的な描写を避けて、少しずつ現象を描いているだけだから。こんな風に読者の想像力に大きく働きかけてくれていてその様がとても良い。最近は報道も小説も分かりやす過ぎるものが多い。本来分かりにくいものを無理して分かりやすくしてしまうことで誤った印象を与えてしまっているように思うことが多い。

そうそう。アナレスという共産主義的でアナーキーな世界。れに比較すればウラスは資本主義的世界。オドーという人物はマルクスを連想する。本書が書かれた1974年はまだ共産主義という壮大な実験によってその欠陥が判明する前(共産主義そのものの欠陥というより、共産主義を扱う人間の問題かと思うんだけれども。原子力そのものに欠陥があるというより原子力を扱う人間に問題があるのと同じで)(いやそんなことはどうでもいいか)

そんな1974年に書かれたのに全く色あせず古びていない。SF食わず嫌いが食わない理由の一つは、宇宙的ドンパチかと思う。私も宇宙的ドンパチにはあまり興味がない。本書では宇宙戦艦が出てくるでもなく、ビームで戦うこともない。自由主義と共産主義/アナーキズムというイデオロギーの対比がメインテーマだ。

アナレス人には、囚人に労働を強制することが理解できない(50頁)、労働の真の動機は経済的なものではない、好きで仕事をするのだ(196頁)というようなSFらしくない表現が多い。一番好きな部分を以下に引用。

「物事というのは、全体的に見ることさえできれば、いつだってきれいに見えるものなんだよ。惑星でも、人生でも……。けど、近くから見ると、世の中なんて汚物と石ころだらけさ。人は毎日の暮しに身をすりへらし、疲れ切って方向を見失ってしまう。距離が必要なんだ - 間隔が。地球がどんなに美しいか鑑賞しようと思うなら、それを月と見ることだ。人生の美しさを鑑賞するには、死という、見晴らしのきく場所から眺めることだな」(247頁より引用)


ル・グィンは必ずしも共産主義/アナーキズムが理想的な世界だとしているわけじゃないあ。じゃあどうなのか、それは読んでのお楽しみ。

では、また。



所有せざる人々 (ハヤカワ文庫SF)
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店名にツッコみたくなりませんか53

2012-05-06 | laugh or let me die
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『罪と罰』ドストエフスキー

2012-05-05 | books

「罪と罰」ヒョードル・ドストエフスキー 新潮文庫 工藤精一郎訳
Преступление и наказание, Фёдор Миха?йлович Достое?вский 1866
 
中学生以来四度目の挑戦。いつも途中で挫折していた。やっと今回読み切った。

元大学生のラスコーリニコフ 金貸しの老婆アリョーナ・イワーノヴナを殺害するときに妹まで殺してしまう。予審判事ポリーフィリーとの対決、妹の結婚相手、娼婦ソーニャ…多くの登場人物が絡みに絡んで…

うーむ。筋だけを追うのではなく、ひたすら脂っこくしつこくこってりとした、天下一品のスープをさらに水分を飛ばしたような濃ゆい独白。これを楽しめればいいのか。ということに今回気づいた。

そう思えば、なかなか進まないストーリーも受け入れられる。

読み切ったことは読み切ったが、「完走したんだから途中のプロセスなんてどうでもいいじゃないか」状態であることは否めない。

ここで何かえらそーに語るほど読めたわけではないけれど、これはいつか再読しようと思う。「カラマーゾフの兄弟」も大審問官の部分以外は全て忘れてしまったので、近いうちに再読したい。

今回何の役にも立たないレビューになってしまった。いや、役に立たないのはいつものことか。

では、また。



罪と罰〈上〉 (新潮文庫) 罪と罰〈下〉 (新潮文庫)



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『ターミナル・エクスペリメント』ロバート・J・ソウヤー

2012-05-01 | books

「ターミナル・エクスペリメント」ロバート・J・ソウヤー 早川書房 1997年
The Terminal Experiment, Robert J. Sawyer 1995

自分の脳をスキャンして、コンピュータ内でシミュレーションが作れるようになった2011年。シミュレーションを3通り作った。何も手を加えないもの、老いの要素を取り除いたもの、肉体と関係するものを取り除いて純粋に精神的なもの。この3つのうちそれか一つが殺人を犯した。どれが?…

話は1995年に遡る。主人公ピーターは学生の時、脳死後の臓器移植に立ち会うが、そのときドナーの体が動くのを見た。本当にドナーは死んでいたのだろうか… ピーターの妻はキャシー。夫婦仲は極めて良好だった。彼女が浮気するまで。

ピーターは生物医学関係のモニターを作っている。ある老女が亡くなる時に脳波のモニターに不思議なものが映っていた。これはもしかすると魂なのか!

ふぅ。やっと短いプロローグ(殺人事件が起こったらしい)でいったい何がどうして起こったかがある程度分かるのに162頁もかかった。それまでは具体的には分からない。解説で作家の瀬名秀明氏が、プロローグを読めばだいたい掴めると書いておられるけどそれは無理だ。しかし何がどうなっているのか分からないままここまで難なく読ませるのはさすがだ。いや、超弩級のエンターテイメントだ。

コンピューターでシミュレートした自分と会話するというなかなか哲学的なシーン、キャシーがカウンセラーに相談するシーンなど純粋SFじゃないシーンが多く、SFファンじゃなくても読みやすい。瀬名氏はSF食わず嫌いを克服する処方箋だとしているが、その通り。ロケットも宇宙人も出てこないし、タイムマシンもない。

殺人事件があったとして、それがなぜ、コンピューターシミレーションと関係があるのかちょっとずつ分かっいくのが実に楽しい。知的な興奮だと思う。

精神と肉体は別なのか。脳で起こっていることは単に生化学的な反応にすぎないという唯物的世界観と、精神と肉体は別、あるいは精神と脳は別というデカルト的二元論。正しいのはどちらだろうか。


ターミナル・エクスペリメント (ハヤカワSF)
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