頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『「思考」を育てる100の講義』森博嗣

2013-09-22 | books
いきなりの長い引用にて失礼。

19「今や、理由のないものが新しい。

たぶん、この何十年か、社会は理由を追い求めすぎたのではないか、と僕は考えている。これは、情報化社会になって、みんながとにかく「知ろう」として、マスコミなどの情報発信側が、必要以上にこれに応えようとした結果ではないだろうか。
すべてになんらかの理由があるはずだ、という信念は、科学が発達したことに原因があると思う。それまでわからなかったものが、つぎつぎに解明された。神や精神世界のせいにしていたものが、悉く原因のあるものがと考えられるようになったのだ。
理由を知ることで人々は安心する。しかし、少し考えてみると、その理由というのは、単なる言葉であって、その言葉を鵜呑みすることが、理由を知ることだ。本当のところは、その理由の理由、つまり、理由が成立する原因を知る必要があるけれど、そこまでは求めない。自分の足許だけ見てそこに地面があれば、それで安心する。地面の下までは考えない、ということらしい。
エンタテイメントの世界にも、いろいろな理由が持ち込まれている。人を感動させるものが何か、過去にヒットした作品を分析して、家族愛だとか、悲恋だとか、飼い主を失ったペットだとか、立ちはだかる問題を打ち破るとか、そういう理由が見出され、それがなければ、作品は当たらない、と考えるようになる。ようするに、理由を知れば、そこに「手法」が現れ、みんながその手法に縋るのである。
テレビドラマや映画は、この種の手法に非常にこだわる。そうしないとスポンサがつかない。だから、子供を出して親子の絆を描いたり、苦境にあってもくじけない人間を描いたり、そういった何パターンかの「理由」を設定しようとする。結果として、新しいものが生まれない。どれも同じに見える。だから、どんどんつまらなくなる。
なにか社会問題を扱っていないと賞が取れないとか、話題性がなければヒットしないとか、もしそういうものがなければ、ヤラセでも良いから捏造しようとする。無理に最近の社会問題を盛り込んだり、苦境がなければ苦境を無理に作る。そういうものまで「手法」と解釈されている。
面白いものに理由があると考えていることが、そもそも面白くないものしか作れない理由だ。面白いものは、面白いものを発想すれば良い。面白いものを作る手法に則って理由を設定して作ろうとするから面白くなくなる。もし偶然にうまくいったとしても全然新しくない。ただ無難な「受けそうな」媚びた作品になるだけだ。むしろ、理由がなければ新しいものになる、という手法の方が当る理由がありそうだ。


「常識にとらわれない100の講義」に引き続き、この第19章、本当にその通りだと思い丸ごと引用した。

それ以外に気になった箇所を自分用メモ風に:

明日死ぬと思って行動し、永遠に生きられると思って考える。(確かに) / 歩き始めるまえが、一番疲れている。(何かを始めてしまえば大したことないのに、始める前は腰が重い) / 他人の感情的評価に影響されることで大勢が自由を失っている。(アマゾンの評価とかね) / 好きか嫌いかで選択ができる時代では、嫌いになることで避けられる。(政治家の顔が嫌いというレベルのことが意見として通っているのはどうもね) / 世の中の人が大好きなのは「確認作業」である。(テレビで見たモノを、そこに行って「あった」と確認するとか、歴史的に有名な所に行って「あった」と確認するとか) / 誰かが悲しい目に遭うとみんなでそれを悲しまなければならない。そうかな?(震災もそうだし、オリンピック招致もそう。「みんなで一体」化することばかりしてると何かを見失ってしまうと思う) / 「私、馬鹿だから分からない」と言う人が馬鹿である。(確かに) / そのうち「今から息を吸います」とネットで呟くようになる。(確かに) / 当たり前だが、原発より怖いものが沢山ある。(確かに) / 水着の少女を本の表紙にするのをやめたらどうか。(青年雑誌ならまだしも、少年マンガ雑誌の表紙がいつの間にか水着になった。水着のスタイルのいい女性を目にすることに基本的には嫌いではないけれど、それも場合による) / 「国家」が知らないうちに産業協同組合になってる。「政府の役目は景気回復にある」というのが僕にはどうもぴんとこない。国政とは独立した別の機関が考えるべきではないか。(あー、これは本当にそうだ。日銀の独立性は「今は失われていいけけれど、いつか後で取り戻せばいいや」というような移ろいやすいものではアカンだろう) / 小説を読むことが趣味だ、と言えるほど、文芸はマイナになった。(確かに) / 躾が、個性を奪うことはない。(著者の子育てや犬を飼った経験から、叱って育てると、子供の明るさが奪われる、ということはないそうだ。ある程度小さいうちは、大人はちゃんと叱るということが必要なのかも知れない) / 子供を自由に育てたい、という場合、それは子どもの自由ではなく、親の自由を得ようとしているだけで、本当の意味で子供の自由を育てることにはなってない。(なるほど)

こんな風に、読んだときは、なるほどと思うことがあっても、後になってすっかり忘れてしまう。だとしたら読んでも仕方ないのだろうか。読んだ瞬間の満足感だけにしか意味が存在しないのだろうか。食べたものが血となり肉となる人がいて、私のように上から下へと流れ去るだけの人がいる。そう。プリーズコールミー立て板に水。

では、また。

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