Yutaka's Room ☆ Sparkling!

☆街や地域のこと、洋服のこと、制服やランドセルのこと、少し自分のこと☆石川県白山市株式会社フクズミ代表取締役社長 福住裕

人生のゴールとは

2011-09-22 01:12:00 | 2ndS 自分のこと、家族のこと

最近、ふと人生にゴールはあるのかな、と考えます。

 

例えば、今現在の自分について言えば、

一にも二にも、仕事のことで頭がいっぱいなわけです。

やればやるほど、次々に仕事が湧いてきて、終わりがない。

仕事に追われるようではいけないとも思うので、

できるかぎり上手に気分転換はしながらですが、

それでもスピード感をもって仕上げたいと思う。

そして次のステージに進みたい、いや進まざるをえない。

なぜなら、時流は変化を続けるものであって、

誰かが言ったように流通業に完成形はないから。

たぶんいつまでたっても進化を志すしか存続の道はないのだろうから。

 

人とのつながりについて言えば、

自分のこれまでの人とのかかわり方のままでは

周囲がうまくいかない局面に出会うことがあります。

たぶんそれは、ほとんど自分の至らなさなのだろうけど、

年相応に役割が変わっていくことに対応して、

自分が少しずつでも変わらなければいけないということでもあって、

むしろ年齢を重ねると人間ができてくる、

自分自身が定まってくるのでは?と漠然とでも抱いていることは

幻想なのではないかと思えます。

 

人間は、動物の一種である以上、本来は死ぬまで働けないといけない。

働けないことは、本来、死に直結する問題のはずです。

だけど、今は(少なくとも先進国といわれる国々には)〝老後〟というターンがある。

そしてそのリミットが60歳とか、65歳とかなんとなく決められていて、

だから日本人はその年齢が近づくと、

なんとなく〝老後〟の入口にゴールを置いてそこをめざすようになってしまう。

 

これでいいのかな。

 

野球でいえば、一塁ベースをできだけ早く駆け抜けたいと思うならば、

一塁ベースの向こう側をめざして走れ、と教わりました。

一塁ベースまで走るつもりだと、一塁ベースの手前で失速してしまうのです。

おそらく陸上競技でも同じでしょう。

 

これから私たちが迎える〝老後〟の時代はそんなに明るくないかもしれない。

だからそんなものをなんとなくゴールに定めて走っているようでは、

そんな日本人が多くなってしまうような日本では、

うまくいかなくなるような気がしてなりません。

 


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