いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

8月10日教会学校聖言葉

2014年08月11日 | 日々の聖言
「ただ、信じなさい。」
マルコによる福音書5.36

イエス様を信じるとは一体どういうことなのでしょうか?
信じるというのが、ただ歴史上の著名な人物や古代に生息した希少な生物のように、「~が存在したらしい」という程度のものだったら、
それではイエス様を知っていると言えても、信じているとは言えません。

イエス様を信じるとは、イエス様が、全能なる生ける神の子、私たちの罪のあがない主、そして死からよみがえられた私の主であることを信じることです。

もしかすると、そのことも私は信じていると
言われるかもしれません。

しかし、
全能なる生ける神の子と言いながら、
自分が直面している問題の解決のためにイエス様に祈らず奔走しているのであれば、それはイエス様が全能であることを信じていないのと同じことです。

罪のあがない主と言いながら、
周りすべてが癪の種で、他人も自分自身さえもゆるすことができないのであれば、それはイエス様に自分の罪はあがなわれていないと言うのとと同じことです。

よみがえられた私の主と言いながら、
日々の生活の中で、イエス様が語られる細き御声を押し殺して生活しているのであれば、それはイエス様を主と認めていないのと同じことです。

ただ信じなさい、とイエス様は簡単におっしゃっていますが、これほど難しいことはありません。

でも、私たちには強い味方がいます。
イエス様が遣わして下さった御霊が、私たちに力を与えて信じさせて下さるのです。
自分の不信仰に失望してしまいそうになりますが、御霊から力をいただいて、たゆまず信じ続けましょう。

(正野)

最新の画像もっと見る