いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(190)「みことばに委ねる」

2014年05月06日 | 聖書からのメッセージ
 使徒行伝20章28節から35節までを朗読。

 32節に「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる。御言(みことば)には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」とあります。
 これは聖徒パウロが地中海沿岸の各地方にイエス様の福音を宣(の)べ伝えていた時のことです。パウロの伝道の最終目的地はローマでした。ローマはローマ帝国の首都ですから、当時としては大都会であり、世界の中心であった町です。パウロはそのことを知っていたので、何としてもそこへ行ってイエス様の福音を伝えたいと願っていました。またそれが神様の御心であると信じていました。そのためにいろいろな準備もしていたと思いますが、その旅半ばにあって、どうしてもエルサレムに戻ることになりました。その理由はいろいろあったと思いますが、一つにはエルサレムの周辺で、干ばつが続き、生活が大変困窮(こんきゅう)した、苦しくなっていた人が多かった。そのための援助の物資、その当時ではお金だとかそういうものを届けに行くことでしたが、そのほかにも宗教的な目的があったようです。エルサレム教会の主だった人々に、彼に対する誤解を解くためでもありました。

エルサレム教会はエルサレムのクリスチャンたちが集まって出来た教会ですが、もちろんエルサレムも迫害に遭いましたから、ほとんどのクリスチャンはバラバラに散らされました。しかし、残ったわずかな人々がエルサレム教会を建てていました。そこにはイエス様の直弟子と言われる人たち、ヨハネであるとかペテロであるとか、そういう人たちが中心的に指導していたのです。パウロはエルサレムとはあまり関係が良くなかった。彼はご存じのように、イエス様に直接指導を受けた直弟子ではない。いわゆる外様(とざま)ですから、イエス様が十字架に架けられたとき、彼はイエス様を知らなかったのです。その後、クリスチャンを迫害する群れに加わり、よみがえってくださったイエス様に出会うのです。キリストを体験することを通して、彼が変わったのです。それまで熱心なユダヤ教徒であった彼が、手のひらを返したようにクリスチャンになった。それは私たちが考えると素晴らしいことですが、直接イエス様から指導を受けた十二弟子たちにとっては、面白くない。自分たちこそが正統派だというのです。そのような自負心があったので、パウロはどちらかと言いますと冷や飯を食う。だから、「ガラテヤ人への手紙」で、彼は「十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない」(6:14)と言ったのです。それは誰に当て付けたかと言うと、イエス様の十二弟子たちです。「おれたちはイエス様を知っている」と。人の世はどうしてもそうなりますね。誰かの教えを受けた一番弟子というのは、ほかの弟子たちよりも誇ろうとする。だから、パウロはいつも……、逆に言うと、そういうところが気になるのは、彼もまたいささかそういうものに心が揺れるのです。だからそのように言わざるを得なかったのだろうと思います。いずれにしても、エルサレム教会に彼はコンプレックスを持っていたのです。だからパウロがエルサレム教会で何か大きな役割を果たしたことは一切ありません。彼はほとんどその活動の拠点をアンテオケの教会に置いていました。エルサレム教会には用事がない限り足を向けない。これも彼の意地かなという感じがしますが、そういうところがあったのです。

しかし、このときはどうしてもエルサレムに行かなければならない状況がありました。彼はそういうユダヤ人の中での自分の立場が、どういうところにあるかを知っていました。自分が反感を受けていることを知っていました。それはそうですね。クリスチャンを捕らえて牢獄に入れて迫害した者です。クリスチャンたちからするならば悪玉の親分みたいなものです。その人がある日突然ケロッとひっくり返ってイエス様を信じるようになったという。そのくらいならまだ許せるが、事もあろうにそのイエス様を宣伝してまわる、いわゆる伝道者になってしまった。これはちょっと頂けないという思いがあった。それはクリスチャンばかりでなくて、ユダヤ教の人たち、かつてパウロの仲間であった人たちも反感を持ちました。「何だ、あいつは!」、自分たちの仲間であんなに熱心だったのが、コロッとひっくり返って、「裏切り者!」というレッテルをはられた。だから彼に対する激しい憎しみがユダヤ人の中にあったことは確かです。だからパウロの立場は実に微妙です。クリスチャンの中でも居心地が悪い。といってユダヤ人たちにも反感を受けている。実に居心地の悪いところにあったことを知っておいてください。聖書にはそのようなことはあまり細かく書いていませんが、読んでいると行間からそのようなことが見えるのです。だから彼はバランスを取りながらやらざるを得ない。そのような意味で宗教的な自分の立場を何らかの形で、少しでも改善したい願いもあったと思います。それでどうしてもエルサレムの教会に行っておかなければ、次なる自分のローマへの伝道計画、自分の使命が全うできないかもしれない。あるいはたとえできたとしても、よい成果を生めないかもしれないという配慮もあったのでしょう。いずれにしても、彼はその旅半ばでエルサレムに帰っていくことになりました。ところがエルサレムでは、エルサレム教会の長老たち、言うならばイエス様の直弟子たち、ペテロやヨハネたちもあまり歓迎する相手ではないのですが、それにもましてエルサレムに居るユダヤ人たちが大変強い憎しみを抱いて彼を殺害しようという計画、陰謀が公然となされる雰囲気があったのです。パウロはエルサレムに行くならば二度と帰って来ることはない、言うならば死ぬかもしれない、恐らく死ぬだろう、命を取られるに違いないという覚悟があった。しかも、そのことを周囲の人たちはみな知っていたから、多くの人々は彼を引き止めました。そんな危険な所へは行かないで、神様から与えられた使命のために残ってほしいと、彼を引き止めたのです。ところが、どうしてもそれができなくて彼は行くことになりました。戻って行く途中ですが、ミレトという所へ来ました。船でアンテオケの方へ戻って行く途中、ミレトという港に船が寄港して、しばらくとどまることになりました。ミレトからいちばん近いところにエペソという町があり、そこに教会があったのです。エペソの教会に使いをやり、その長老たちを呼びました。自分は二度とこの地に戻ってくることはできない、エペソの教会の人たちに会うことがないだろうという思いがあったから、何としても最後に自分の思いを伝えたかった。それがこの17節以下です。

使徒行伝6章17節から21節までを朗読。

エペソの教会の人たちにどんな思いを持っていたか、それは通り一遍の思いではない。深い深い彼のかかわりがありました。まだ教会もないエペソの町に彼が来て、初めて開拓伝道をしたのです。そこへ来まして、イエス様のことを伝え始めて、やがて救いにあずかる人々が起こされて、そこに教会が作られて、教会といっても、言うならば家庭集会のようなもの、それを少し大きくしたぐらいかもしれませんが、そのような集まりができてきた。そのためにどんなに苦労したか。今読みました19節に「涙を流し」「試練の中にあって、主に仕えてきた」。エペソの人々のために一生懸命にということだったでしょう。しかし、彼はそうはいいません。私がしたことはすべて主に仕える業だったと、神様のためにこうやってあなたがたに福音を宣(の)べ伝えてきた。しかも、あなたがたの益となることはどんなことでも話をし、また教えてきたと語っています。31節に「だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい」と。ここで「三年の間」、三年間にわたって「涙をもって」とあります。「涙をもって、あなたがたをさとしてきた」。心血を注いで、産みの苦しみをして、エペソの教会を育ててきた。人間的にいえば一つの事業を立ち上げて、それを立派に育ててきたのは彼であったのです。もちろん、「俺がした」とは言いません。それは主に仕える私の業であって、神様がなさったことだと信じている。しかし、やはり人間ですから、自分がそれほど手塩に掛けたものを愛するのは、幸いなことだと思います。ところがいよいよエペソの教会とも別れなければならない。言うならばそれを手離す、自分が手の届かない所へ行く。彼の後を受けて立派な指導者が居て大安心、この人がいるから私はいつ死んでもいいという状態ではなかった。まだまだ生まれたばかりの、ひよこのような信仰だったのです。だから、教会がどうということよりも、むしろ彼らの信仰がこれからどのようになるだろうか、大変心配だった。だから、先ほどお読みしたように、28節に「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである」。指導者が立てられてはいました。監督者としてパウロの指導の下に主だった人たちがその群れを指導する者として置かれたのです。けれども、その人たちもパウロから見れば全面的に任せるわけにはいかない。これはいつまでたってもそうだと思うのです。

親が子供に対してもそうでしょう。どんなに年を取っても、いつまでも子供は子供。立派な大人なのですが……。ある一人の姉妹は息子さんのことが心配。その当時50歳ぐらいになって、東京の方で一つの会社を建て上げた方です。ところが、そのお母さんが大変に心配して、私の所へ来られて「先生、息子のことなのですけれども」「どうしたのですか」「いや、あの息子は子供のときはこうこうこうで……」とズーッと生い立ちを話して「大体が無責任な、いい加減な子供、今会社を起こしてやっていますが、私はもう心配でなりません。あの子はちゃんとやれるでしょうか」と言う。「どうしてですか」と、「いや、子供のときああだったから、こうだったから」、親にとってはその子供がまだ十分じゃない、まだ一人前ではないと思う。「大丈夫でしょう。ちゃんとやっていらっしゃるではないですか」。「あなたが信用しないでどうするのですか」と「会社は潰れず経営されているのだから、安心したらどうですか」と言ったら、「いや、心配で、心配で、大丈夫かと不安です」と。親とはそこまで考える。
パウロもそうなのです。パウロは結婚していませんから、奥さんがいるわけではないし、子供はいません。しかし、だからこそ、このエペソの教会を自分の生んだ子供のように、いとおしくて大切でどうしてもそのことに心が向いてしまう。しかし、いつまでもそう言っておられない。自分は召されようとしていると言うか、死を目前にしている。そのときどうするか、彼に代わる監督者に向かって、今読みましたように、28節「あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい」。なぜかと言うと、29節「わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている」からです。それまでパウロの強い信仰によって、力強い指導力を発揮して、様々な教え、曲がった教え、違った教えを木っ端みじんに防ぎながら守ってきた。ところが、守り手である自分がいなくなったら、この群れはどうなるだろうか。次々と容赦なく群れを荒らす者がやってきて、純真な素晴らしい信仰のこの群れが、散り散りバラバラに消えてなくなってしまうかもしれない。「わたしは知っている」とあります。もう既にこのとき、エペソの教会には様々な問題が芽生え始めていて、今はいいけれども、そのうちにという話ではない。「知っている」というように、もう既にそのような兆(きざし)しが見えていたのです。だからこそ余計に心配。そして、30節に「また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう」と。いわゆる分裂、分派、そのようなせっかく一つ心になって、主の御思いにつながっていた者がバラバラになっていって、それぞれの勝手な考えに従って行動するに違いない。考えだしたら、いろいろと不安なことばかりなのです。そうでしょう。皆さんでも、息子や娘たちのことを考えてご覧なさい。あれがどうなるだろう、これはどうなるだろう、将来はどうなるだろう。私がもっと頑張っていかなければ、ぼけておるわけにはいかんと、老体にむち打ってでも、岩にしがみついてでも、この目で見届けなければ、見守っておかなければという思いがするではないですか。パウロはそうだったのです。何としても……と。このときのパウロの気持ちはひしひしと分かりますね。ところが、だからといって、いつまでもそれはできない。ではどうするかと、これがまたパウロの信仰の素晴らしさですよ。

32節「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる」と。信仰とはここです。私たちは事情境遇事柄を見て、これで安心、こうなるから大丈夫、ここが今こうなっているが、あの人がこんな事をしてくれるから、この人は頼りになりそうな人だから、だから安心というのだったら、これは信仰ではありません。「見えるところによらないで」とあります。それどころか見えるものを見たら、心配と不安と失望しかない。そうでしょう。私たちの周囲で、ああ、あんなことをして、こんなことをして、私がいなければと、姿や形、事柄が私たちの周囲にはあります。そうすると、どうしてもその見えるところに動かされる。ところが、神様がいらっしゃること、神様がすべてのものを導いて御心を行ってくださること、神様が報いてくださることを信じる、これが私たちの信仰。パウロもそうでありまして、このとき「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる」。委ねていかざるを得ない。といって、監督者であるお前たち、しっかりやってくれよ、お前たちに任せるのだから、と言ったのではない。恐らく、お別れするために呼んだ長老たちの顔を見たら、「ああ、この人たち……、これはまた困ったな」と、パウロもいよいよ不安になったと思う。だから余計にそこで、自分はこの人たちに頼るのではない。わたしは主とその恵みの言(ことば)、イエス様と神様と約束してくださったいのちの言葉、恵みの言葉を信じて、その御言葉に自分を委ねていく。だからここに「あなたがたをゆだねる」とありますが、パウロの心を神様に委ねることなのです。「あなたがたを」と言うと、パウロとは違う、パウロはこちら側にいて、わたしはいいのだけれども、あなたがたのことを神様に委ねるよと聞こえますが、そうではなくて、「あなたがたをゆだねる」とは、言うならばパウロの問題なのです。パウロの心がいつまでも不安であり、心配であり、失望があるから、自分の心を神様の手にささげていく、神様の約束の言葉に自分が結びつくこと。彼らが心もとない、頼りどころがない。しかし、そんなことではなくて、わたしはあなたがたのことを、神様とその約束の言葉に信頼して一切神様に委ねていきますと、これがパウロの心境です。

これは私たちの生活のいろいろなことの中に絶えず求められる事です。いちばん分かりやすいのは、子供のことです。特に母親にとって、子供は自分の肉体の一部分のように思って、どうしても肉の思いによって、手離せない。見る状態、聞くおとずれによると、不安でならない。そのようなことがたくさんあります。だからそれをどうするか。やはり、私どもはいつまでも親だからといって、できること、できないことはいくらでもある。いやむしろできないことのほうが多い。また、できないがゆえに悩むのです。だから、そこで、自分自身を「主とその恵みの言(ことば)」にいつも心を向けて、子供のことを考え、その子どもたちの置かれた状況や事柄ばかりをいつも頭に思い描くのではなくて、神様のほうに自分の思いを向ける。言うならば、自分の心を神様とその御言葉に委ねきっていくことが信仰なのです。それが子供を神様に委ねることでもあり、自分自身も神様に委ねることなのです。私は子供はいませんが、いろいろなことでそのようなことを感じます。教会の兄弟姉妹のことでも、あの方のこと、この方のことが気になりますと心配し、様子を見て何とかしなければと思ってしまいます。ところが、そのようにできない。そこで何をするか。主に委ねて御言葉に頼る以外に無い。

家内の両親が今は福岡の施設や病院に入りました。以前は八幡にいました。福岡から、八幡にいる両親のことを考えると、すぐに行ってやれない、見てやれない。いろいろな様子がよく分からない。それだけに不安です。殊に、家内はそうだろうと思うのです。娘ですから、親が今日はどうしているだろうか、どんな具合だろうか。この前会ったときは調子が悪かった。機嫌も悪かったし、弱っているようだったが、その後どうなっただろうかと、絶えず気になる。だから何とか自分の近くに、周囲の人からも「そんなに遠くにいるよりは近くに来てもらったほうがいいですよ」と助言され、「それはそうだ。近くがいい」と考えました。それで義母(はは)が、神様の憐(あわ)れみだと思いますが、教会のすぐ裏の所、教会の窓から施設の屋根が見えている、その介護施設へ入れてもらった。家内は大喜びして、「これで安心した。そばに来てくれたら大安心……」と思ったのもつかの間です。今度は近すぎる。いろいろなものが見えすぎる。施設の人々もうちがそばだと知っていますから、すぐ呼び出しが掛かる。「すみません、ちょっと忙しいものですから、お母さんがこんな事を言っていますので、対応してやってください」。「この病院に連れて行ってやってください」、「今これが必要だそうですから……」と施設の方まで頼りにされる。そうすると今度は不満が出てくる。いや、それどころか、また心配になる。見えるから、近くにいるから、安心かと言いますと、そうではない。近くにいれば、また別のものが見え始めて、あれが心配、これが心配。自分のそばで、自分が握っていれば安心になると思うところに問題がある。私はそのことを教えられました。

この使徒行伝の記事を読んで、パウロも自分がこのエペソの教会に来て、見張っていればうまくいくのだろうが、自分はそこまでできない。どうするか? 困ったな、といって自分に代わる者、長老たちを見たらどうも頼りない。思い余った挙句の果てが、「そうだ。主とその恵みの言(ことば)」とに委ねよう。ここに行き着くしかないのです。私はこの度のことを思って、そう思いました。神様に祈った。すると、神様はまた懇(ねんご)ろなお方です。あまり近すぎると思ったら、もうちょっと離れた所に、車で30分ぐらいの所へ、今度は移ることになった。神様が憐れんでくださったのだと思います。あまりにも完全に遠くになってしまったらまた心配になるだろうから、といって近すぎればまた困る。まぁ、この位……と。

どんなことをしても、人はいつまでも自分で握っておく、「私が」とはできない。またそれは大きな間違い。どこかで、私どもは自分を切らなければいけない。子供であろうと、夫婦であろうと、親子であろうと、どこかで一切を主に委ねなければならないときがくる。いや、それは今もそうなのだと思います。いろいろな小さなこと、大きなことをひっくるめて、日常生活の中で友達との関係もありましょうか、あるいは地域社会、その周辺の事柄でもありましょうか、仕事の関係もありましょうか、切るに切れないというか、「自分が」「私がやらなければ」「私が何とか」「私が」と、握っているかぎり私たちは不安と恐れと心配が伴いますね。それでは神様を信頼していくということはできません。

32節「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる」とあるように、私は家内の両親のこと、その状況を考えながら、結局のところはどんなに頑張ってみても、できることは高が知れている。それどころか、できないことのほうが多い。このお言葉にあるように「主とその恵みの言(ことば)」、まさに神様の約束の言葉を、聖書のお言葉を一つ一つ信頼して信じて、そして自分の思いを整えていく。神様の前にきちっと線を引いていくことが大切です。といって別に冷たくなれ、というのではない。冷ややかになって、「わたしは神様に委ねたから、あんたのことは何の心配もしてないから勝手にやって」ということではもちろんありません。私たちの心が神様のほうに、まず第一に神様につながることです。それが幸いな恵みだと思うし、神様はそれを求めておられるのです。

32節の「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」。後半の「御言(みことば)には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」とあります。御言葉は御言葉を信頼して歩むとき、御言葉を信じてそこに自分を懸けて、御言葉に生きようとするとき、一人一人信頼したごとくに、力を現してくださる。「御国をつぐ」とは、イエス様の救いに導き入れて、その救いを全うさせてくださる。これは御言葉の力なのだといっているのです。だから、集まった長老たちに対しても、あなたがたも私と同じように自らを「主とその恵みの言(ことば)とに」委ねてほしいということにほかなりません。これがなければ私たちは御国をつぐことができない。

心配だから、自分が安心できるようにしてやろうと思ったって、それでは安心できません。いつまでたっても終わらない。そこで何をするか?私たちは一つ一つを「主とその恵みの言(ことば)とにゆだねていく」。自分自身をまず委ねる。そして一人一人に御言葉を与えてあげる。主のお言葉をもって支えていくことが何よりも大切です。だから子供たちや孫たちに何かしてやる。それは幸いなことですが、何よりもこの御言葉を、神様を信頼することができる者にしてあげることが、実はいちばんの安心です。

私は今そう思っています。義父(ちち)も義母(はは)も、なかなか神様の言葉を聞こうとしなかった。ところが幸いに今は教会のそばに来ていますから、義母を「食事をしよう」と言っては集会に……、初めてなのです、礼拝に出てきたのは。今度移る施設はキリスト教系の「栄光病院」付属の介護付き養護老人ホーム「かめやま」というところですが、そこでは週に1回聖書を聞く時間がある。それは病院のホスピスの行事に参加する形ですが「そこへ連れて行っていいだろうか」と介護の方が言われるから、「それは願っていることです。そのためにここに入れてもらったのですから、よろしくお願いします」。昨日面接に行きました。施設の方が義母に「お母さん、こうやってキリスト教のお話を聞く集会がありますけれども、違和感を感じませんか」と、親切に聞いてくれました。すると義母が、「ええ、私は初めてキリスト教の話は聞きますが、いい話で心が洗われるから喜んで行かせてもらいます」と言ったそうです。私はそれを聞きながら、「神様って、すごいことをされるな」と思ったのです。神様は御言葉に連なることを求めてくださっています。これからどのように神様は導いてくださるか楽しみですし、またそういう環境に置いていただいたことは大変安心です。そこの介護がどのようなお世話をしてくださるか分りませんが、それは限られたことだし、どこの施設でも、あるいはもっといい施設はほかにもあるかもしれない。しかし何といっても「主とその恵みの言(ことば)とにゆだねて」いくことができる。これは義母や義父にとっても幸いなことだと思うのです。

義父は今ホスピスに入っていますが、ホスピスでは部屋のテレビやラジオから聖書のメッセージが流れるのです。いつでも好きなときに聞けるようになっている。週に2回チャペルアワーという、入院している人が集まって聖書のお話を聞く会があるのです。義父は偏屈ですから、そこへ出ようとはしないのですが、幸いにその病院に教会の方が勤めているので、彼が毎朝必ず義父を訪ねてくれます。朝と夕方と2回。昨日義父の所へ行きましたら、彼が、時間があったのでしょうか、義父の部屋に来ていました。彼は仕事ですぐ行かれましたが、義父が「さっきの人は誰なのだろうか。自分が入院している間、朝に夕に自分の部屋を訪ねてくれて、しかも何も言わないけれどもニコニコしておれの言う話をじっくり聞いてくれるが、あんな奇特な人はおらん。あの人はこの病院の何をしとる人かね」と言ったのです。「いや、実は彼はこの病院で働いているけれども教会員だ」「何か、それじゃ、和義さんがしとるんか」と言いますから、「いや、私じゃなくて本人が……」私も知らなかったのです、そんなことをしてくれているとは。「邪魔でなければいつでも来ます」と言われる。「いや、自分は彼が来てくれて、話を聞いてくれるだけでも心が休まる。有り難くてたまらん」と言う。だから私は「遠慮しなくていい。彼はお父さんの所へ来て様子を見て、全部私に知らせてくれるスパイのようなものだから。私に言いたいことがあったら、彼に言ってくれたら大丈夫」と言ったのです。すると義父が大変喜んでいました。そういうことに心を開かないところがある人ですが、随分変わりましたね。少しずつ神様がそういう道を開いて、心をほぐしてくださる。

何が幸いといって、私は今このお言葉にあるように「主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる」。これが安心のすべてです。どうぞ、私たちは「主とその恵みの言(ことば)とに」、まず、私たち自身が自分を委ねて、御言葉によって、救いを全うすることができる。また、時がよくても悪くても御言葉を宣べ伝えなさいとある。どんなときにでも、ここというときに「聖書にこうあるから」、「御言葉にこう書いてありますから」と、お言葉を伝えていく。お言葉に委ねていくとき、私たちはいのちに、力に、また神様の救いが成就していく御業を知ることができます。

32節「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる」。どうぞ、この主のお言葉に、また神様に、イエス様に、自分を委ねて、御言葉のいのちと力によって造り変えられ、性情性格まで新しくされて、それだけでなく「御国をつぐ」、天国にまで私たちを引き入れてくださる。この大きな恵みを絶えず信じて生きる者となりましょう。

ご一緒にお祈りをいたしましよう。