福岡事件再審運動キャンペーン「私はわらじがぬがれない」

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8月24日 福岡 「月もひとりか」古川泰龍回顧展(墨蹟展)

2012-09-02 02:31:13 | 日記
    

「書,人を書く」
かねてより,書が人をあらわすという言葉がありますが,
泰龍さんの作品には「月もひとりか」のような繊細な書もあれば,
「心」のような荒々しい書もあって,書から泰龍さんを知ることなど到底できない.
これが回顧展にうかがってすぐの感想でした.

強いて気付いた点といえば,回顧展に並べられた数々の作品の中で,
一番多く使われていた題材が,今回の展覧会のテーマでもある「月もひとりか」というものだったことです.
「月もひとりか」という作品.この作品をもとに作られたエコバックの売り上げは,
他の作品とは段違いだったとうかがっております.
それだけ,福岡事件を支援してくださっている皆様におかれましても
一番人気のものなのでしょうね(私も好きな作品の一つです).

ただ,この作品を書いたとき,泰龍さんがどんな気持ちだったのかについて,
私はあまり深く考えていなかったように思います.
自分自身がこの作品を見たときに感じた
「叫びたし寒満月も割れるほど」のような孤独感と,
その一方で月が見ていてくれるような安心感を,
そのまま泰龍さんの気持ちのように漠然と考えていた気がします.
今回,作品一つ一つにシュバイツァー寺の方々が作ってくださったメッセージボードが添えてありました.
「月もひとりか」に添えられていたメッセージは次のようなものです.


「みんなひとりだ その孤独に徹して はじめて 
みんなと倶に生きる いのちの世界が みえてくる」


「いのちの世界」?
はっきり言って,最初みたときこのメッセージボードは難解すぎてわけが分かりませんでした.
ただ,かつて泰龍さんが出演したテレビ番組を拝見させていただいた際,
「数珠の珠は一つ一つだけどすべて揃って数珠になる.
人間も同様に一人一人によって『いのち』が形成される」という言葉を聞いて,
なんとなく腑に落ちたような気がしました.
人と人との弁証法のような,そしてその人のなかには今生きている人だけでなく,
既に亡くなった方やこれから生まれようとする方も入っているような,
そもそも弁証法って二項対立のものじゃなくて十も二十もあるような…ことを考えました
(弁証法って言いたかっただけだろ?と思った方,正解です.)

まあ,何が言いたかったかというと,今まで事件ばかりに焦点が当てられがちで,
メインスポットが当てられることは非常に少なかった泰龍さんでしたが,
その作品は想像力を掻き立てられるものばかりでした.
なにより,シュバイツァー寺の皆さんが
泰龍さんのことを大事にしていることがよくわかる素晴らしい展覧会だったと思います.
これから全国で行われる回顧展,お近くでおこなわれた折には,是非お立ち寄りください.


最後になりましたが,
当ブログ及び学生の会HPで回顧展の告知が遅れてしまい,大変申し訳ありませんでした.
前記の通り,回顧展は福岡だけでなく,これから全国各地で行われる予定です.
詳しくは後でお知らせしますが,重ね重ねお詫び申し上げます.