今日は百万塔陀羅尼事業が始まった日
続日本紀・宝亀元年 (770)四月戊午(26日) 「三重小塔一百万基を造らしむ。高さ各四寸五分、基径三寸五分、露盤之下、各の根本 ・慈心 ・相輪 ・六度等陀羅尼を置く。是に至り功畢、諸寺に分置す_」
称徳天皇の命で三重小塔を百万基制作 し、四種の陀羅尼を安置する百万塔陀羅尼が始まっています。この諸寺とは、大安寺・元興寺・興福寺・薬師寺・東大寺・西大寺・法隆寺 . . . 本文を読む
(日本紀略・天長六年(829)四月)
「己巳(二十六日)、大宰管内及び陸奥奥出羽等の國、疫癘流行し夭死稍多し。五畿七道諸国に令し、精進僧を簡び国分寺に於いて三个日、金剛般若経を転読し以て不祥を除け」
天皇は淳和天皇 . . . 本文を読む
盲目の僧が根本大塔で開眼した話
「高野山往生伝」「厳實上人は大和の国、虚空蔵巌の住侶也。壮年の始、両眼共に盲。業障を懺する為、當山に参籠し纔に鳩杖(上部が鳩の形の老人用の杖)を携へて鵞王(仏)を巡礼す。三年の間、一心に祈請す。有る時、先ず社壇に参り、次いで大塔に詣ずに、忽然として眼開き、日輪新しく現ず。縡楚(さいそ)の間、周章して佇立。猶両目を拭ひ四方を見るに堂舎塔廟朝日に映じ巍然たり。山岳林樹 . . . 本文を読む
・宝亀元年770四月二十六日、陀羅尼経を納めた百万塔を十大寺に分置されました。(続日本紀に「弘願を発して三重小塔一百万基を造らしむ。高さ各四寸五分。基の径三寸五分,露盤の下に根本,慈心,相輪,六度等の陀羅尼を置く。・・・諸寺に分置す。」仲麻呂の乱の後孝謙天皇は、「小塔を作り『陀羅尼経』を納め安置すれば、滅罪と鎮護国家の功徳がある」という『無垢浄光大陀羅尼経』(弥陀山訳)をみて百万塔を造る。その塔身 . . . 本文を読む
今日は一代一度の大仁王会が百座修せられた日です日本紀略・仁和元年( 885 )四月庚辰二十六日の条、仁王会「始紫宸殿。諸殿所司。十二門。羅城門。東西寺。合卅二所。及五畿内。七道諸国。同日同時。朝夕二時講修之。」これは光孝天皇即位にあたって一代一度の大仁王会が百座修せられたということです。
(・百座とは、紫宸殿から内裏の所司、宮城門、平安京の南端にある東寺・西寺、羅城門等卅二所と五畿七道で朝夕二座 . . . 本文を読む
大師と共に渡唐した遣唐使・藤原葛野麻呂が無事渡唐の御礼に『金剛般若経』187巻の書写をしたので大師がその供養をされたその際の願文を執筆されています。
「藤中納言大使のための願文」「某聞く智慧の源極を強いて仏陀と名け、軌持の妙句を仮りて達磨(法のこと)といふ。智よく円なるゆえに、なさざるところなく、法よく明らかなる故に自他兼ね済う。五眼常に鑑みて溺子を津渉し、六通自在にして樊籠(鳥 . . . 本文を読む
今日は東寺講堂が建てられた日高野春秋に「天長二年四月二十四日。勅して始めて東寺講堂を建て始む。・・」完成は大師入定の承和二年(835)とされます。現在の講堂は延徳三年(1491)、創建時の基壇の上に再建されて居るとのことです。現在の仁王経曼荼羅を二十一体で表現する羯磨曼荼羅は承和六年(839)6月15日に開眼されているとのことです。 . . . 本文を読む
まかせておくれ、必ず救う
浄土真宗の僧侶の方の以下のような法話がありました。
1,「・・・私の祖父は、戦争のために長男を12歳で亡くしました。その悲しみを常に、親鸞聖人のみ教えに問い続けた人生でした。祖父は、長男の死を縁にいくつかの歌を残しています。『絶望の淵にありとも本願の道は変わらずひらかれてあり』・・・」
https://www.hongwanji.or . . . 本文を読む
寶筐印陀羅尼和解秘略釈 蓮體
寶筐印陀羅尼和解秘略釈下
一には秘釈を用る本拠の事
二には此經の教主の事
三には此經部屬の事
四には翻譯時代の事
五には本朝請来の事
六には同名異經の事
七には塔を造る分量模様の事
八には造塔の功徳廣大なる事
九には本有の心塔と木石の塔と一體の事
十には亡者の追福回向に最大なる事
十一には無智但信の念誦向上同じき事
十二には陀 . . . 本文を読む
1,いろいろ意に染まないことがあり、いくら祈っても改善の兆しが見えないので最近も「天道是か非か」と言う気持ちが沸々と湧いてきていました。
そいう中で両手足のない中村久子女史が「業の深さが胸のどん底に沁みてこそ、初めて仏のお慈悲が分からせていただけるのです。業の深き身であればこそ真実お念仏が申させていただけるのです。」https://blog.goo.ne.jp/fukujukai . . . 本文を読む
前陸奥守安大夫(安倍貞行)華山寺に於いて法華経を講ずる願文
「弟子従四位安倍朝臣貞行、敬って妙法蓮華経一部を写し奉る。即華山寺に於いて高僧を禮請し妙義を演説す。二十三日より二十六日に至る朝夕八座、三尊を敬禮す。今日也。先孝過去の夕は此の寺也。弟子帰依の地、發意由あり。宿縁すでに結ぶ、弟子先に外吏と為りて平生念を作す。三七五七、四十九日、善功徳事、逆修並に畢りぬ。今此の大乗経を荘厳 . . . 本文を読む
大倉喜八郎は昭和3年(1928年)4月22日大腸癌のため死去しています、没年92歳でした。以前は全く興味のない人でしたが、2015年大安楽寺を福聚講で参拝したとき、中山ご住職が次のようなお話をしてくださっていました。角田さんの参拝記です。ここにあります。「明治初年、高野山の山科俊海大僧正が、弘法大師の教えを広く教化するため江戸に出て、巡行しているとき、この地にきて、不思議な燐火がたびたび浮かんでい . . . 本文を読む
今昔物語・巻十六「 盲人依観音助開眼語 第廿三」
「今昔、奈良の京の薬師寺の東の辺の里に、一の人有けり。二の眼盲たり。年来、此れを歎き悲むと云へども、事無かりけり。
而るに、此の盲人、千手観音の誓を聞くに、『眼暗からむ人の為には、日摩尼(太陽をかたどったこの玉は千手観音の四十手中、右の第八手が持っており、衆生に光明を与えることを意味)の御手を宛つべし』と。此れを深く信じて、日摩尼の御手を念 . . . 本文を読む
寶筐印陀羅尼和解秘略釈 蓮體
寶筐印陀羅尼和解秘略釈巻中
一には如来秘密の事
二には干将莫耶の剣の事
三には文に任せて義を取るに三世諸仏の怨なる事
四には龍猛菩薩密教弘傳八祖相承の事
五には秘密の梵語秘釈
六には全身舎利四字の釈
七には舎利には三種ある事
八には佛舎利に三種の別ある事
九には舎利を法界と名くる事
十には「きりく」の三字秘釈の事
十一には「しゃりら」の三字即三 . . . 本文を読む