福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

弘法大師和讃

2022-06-15 | 諸経

弘法大師和讃

帰命頂礼遍照尊

宝亀五年の水無月に 玉藻寄るちょう讃岐潟 屏風ヶ浦に誕生し(注1

御歳七つのその年に 衆生のために身を捨てて 五つの岳に立つ雲の

立つる誓いぞ頼もしや(注2) ついにすなわち延暦の 末の年なる五月より

藤原氏の賀能らと 唐船に乗り終えて 印を残す一本の

松の光を世に広く 弘め給える宗旨をば 真言宗とぞ名付けたる

真言宗の安心は 人皆すべて隔てなく 凡聖不二と定まれど(注3)

煩悩ふかき身のゆえに ひたすら大師の宝号を 行往座臥に唱うれば

加持の功力も顕らかに 仏の功徳を現ずべし 不転肉親成仏の

身は有明の苔の下 誓いは竜華の開くまで 忍土を照らす遍照尊

仰げばいよいよ高野山 流れも清き玉川や 結ぶ縁(えにし)の蔦蔓

縋りてのぼる嬉しさよ 

昔、国中大日照り 野山の草木みな枯れぬ

その時大師勅を受け 神泉苑に雨請いし 甘露の雨を降らしては

五穀の種を結ばしめ 国の患いを除きたる 功(いさお)は今に隠れなし(注4

わが日の本の人民(ひとぐさ)に 文化の花を咲かせんと 

金口の真説四句の偈(注5)を 国字に綴る短歌 

「 色は匂えど散りぬるを わがよ誰ぞ常ならむ

有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔いもせず」 

学び初にし幼な児も 習うに易き筆の跡 

されども総持の文字なれば 知れば知るほど意味深し

僅かに四十七字にて 百字を通ずる便利をも 思えば万国天が下

御恩を受けざる人もなし なおも誓いのその中に 五穀豊熟富み貴き

家運長久智慧愛嬌 息災延命且遺産 殊に見る目も浅ましき

業病難病受けし身は 八十八の遺跡に 寄せて利益を為し給う(注6

悪業深きわれわれは 繋がぬ沖の捨て小舟 生死の苦界果てもなし

誰を頼りの綱手縄 ここに三地の菩薩あり(注7) 弘誓の舟に櫓櫂とり

助け給える御慈悲の 不思議は世々に新たなり

南無大師遍照尊

南無大師遍照尊

南無大師遍照尊

•<(注1)高野山のホームページ等によると「真魚(まお)さまは、宝亀五年(774年)六月十五日、讃岐国の屏風ガ浦(香川県善通寺市)でお生れになった。讃岐の郡司の家に生まれたお父さまは佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、善通とも、天孫の系統で先祖は日本武尊に随って蝦夷征伐の功績をたてたので四国の地を賜った)、お母さまは玉依御前(たまよりごぜん、物部氏子孫で伊予親王の侍講であった阿刀大足の娘)。信仰深い家であったが、お父さまとお母さまが、「天竺のお坊さんが紫色に輝く雲に乗って、お母さまのふところに入られる」という夢を同時にみられ、真魚さまがお生れになりました。」とあります。
•<(注2)高野山のホームページ等によると「大師は七歳の時、近くの捨身ガ嶽(しゃしんがだけ、現在四国73番出釈迦寺)に登り「私は大きくなりましたら、世の中の困ってる人々をお救いしたい。私にその力があるならば、命をながらえさせてください」と仏さまに祈り、谷 底めがけてとびおりました。すると、どこからともなく美しい音楽とともにお釈迦さまと天女が現われ、真魚さまをしっかりとうけとめました。」
•<(注3)凡聖不二とは我即大日のこと
•<(注4)神泉苑の雨請い。天長元年(824)、大師51歳の御時、全国的に旱魃にみまわれますが大師は神泉苑にて7日間の龍神の祈雨法を修され感応した龍神は甘露の雨を降らせます。
•<(注5)「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」(涅槃経)。お釈迦様が前世で雪山童子の時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹にお捨てになった。これより雪山偈とも言われる。
•<(注6)四国88所を大師が開創された動機は衆生済度。弘法大師行状要集第五に「卜居於高野樹下(居を高野の樹の下に卜して)、遊神於兜率雲上(こころを兜率の雲上に遊ばす)、不闕日々之影向(日々の影向を欠かさず)(入定の地高野山奥の院から弥勒菩薩の兜率天にのぼりさらに毎日、縁のあった各地に出向き南無大師遍照金剛の祈りのあるところかならず困っている衆生をたすけてやろう)(「弘法大師行状要集第五」覚鑁上人「弘法大師講式」 等)とある。
•<(注7)高野山沙門覚鑁申文では「(大師は)本地は十万諸仏の能化である大日如来であり、垂迹は六趣の衆生が帰すべき三地の菩薩である(高野山沙門覚鑁申文)」とあり
•<今昔物語11巻にも「・・其の時に、弟子供奉十禅師順暁と云ふ人有り。亦、玉堂寺の珍賀と云ふ僧有て、順暁に会て云く、「日本の沙門、縦ひ貴き聖人也と云ふとも、是れ門徒に非ず。然れば、諸教を学ばしむべきに、何ぞ秘密の教を授けらるるぞ」と、両三度妨申す。即ち、夢の中に人有て、告て云く、「日本の沙門は、此れ第三地の菩薩也。内には大乗の心を具し、外には小六沙門3)の相を示す」と云て、我が身を降伏せらるると見て、明る朝に行て過を謝しき。・・」とあります。大師は三地の菩薩(菩薩十地のうち、発光地(はっこうじ) ・・・忍辱波羅蜜を成就して修惑を断じ、諦察法忍を得て智慧を顕発する位。精進の結果、その功徳として光を放ち十種の法明門を行う)という境地か)であることが常識であったと思われます。


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