福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は親鸞聖人ご入滅の日・報恩講です

2022-11-28 | 法話

今日は親鸞聖人ご入滅の日です。「弘長2年(1262年)11月28日 、押小路南 万里小路東にある実弟の尋有が院主である「善法院 」にて、享年90(満89歳)をもって入滅。臨終は、親鸞の弟の尋有や末娘の覚信尼らが看取った。遺骨は、鳥部野北辺の「大谷」に納められた」(ウキペヂア)とされます。東本願寺では21日から28日まで報恩講を営んでいます。不十分な知識ながら、親鸞聖人はわれわれに『業』のどうしようもない深さとその懺悔を教えてくださったところが自分にはありがたくおもえます。『正像末和讃』には「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」と徹底した懺悔を述べられています。
懺悔は仏道の基本です。修証義にも「第二章 懺悔滅罪」として、懺悔すれば必ず仏様のお助けがあるといっています。「・・彼の三時の悪業報必ず感ずべしと雖も、懺悔するが如きは重きを転じて軽受せしむ、又滅罪清浄ならしむるなり。 然あれば誠心を専らにして前佛に懺悔すべし、恁麼するとき前佛懺悔の功徳力我を拯いて清浄ならしむ、此功徳能く無礙の浄信精進を生長せしむるなり、浄信一現するとき、自他同く転ぜらるるなり、其利益普ねく情非情に蒙ぶらしむ。其大旨は、願わくは我れ設い過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも、佛道に因りて得道せりし諸佛諸祖我を愍みて業累を解脱せしめ、学道障り無からしめ、其功徳法門普ねく無尽法界に充満弥綸せらん、哀みを我に分布すべし、佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん。我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔、是の如く懺悔すれば必ず佛祖の冥助あるなり、心念身儀発露白佛すべし、発露の力罪根をして鎖殞せしむるなり。」
・また、新義真言宗開祖の覚鑁上人も「密厳院発露懺悔文」をおつくりになり「我等懺悔す。 無始よりこのかた妄想に纏れて衆罪を造る。身口意業 常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す」とおっしゃり衆僧にかわって懺悔されています
。)

凡愚の私などは朝夕勤行の前に「我昔所造諸悪業・・」と懺悔文を唱えていても形式に流れていますし、
修法の時は一足飛びに「直住月宮(直接仏様の世界と一体となる)」等と言って、懺悔が不十分なまま覚りの世界へ這入れるかのごとき錯覚をおこします。これではいつまでたっても駄目です。そういうときこの親鸞聖人の徹底した罪業深重の自覚を通ってやっと密教の入口に入れるのではないかとも思っています。
 
各寺院では報恩講には「 恩徳讃」をよむようです。 「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳も、骨をくだきても謝すべし(阿弥陀如来よりいただいたご恩は身を粉にする思いで報じましょう。釈尊をはじめとして先師の方々のご恩も、骨をくだく思いで報じましょう)」というものです。まさに自分もこの思いがする昨今です。



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