福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

22日23日と高野山を参拝してきました(追加)

2018-09-24 | 先祖供養
22日23日と高野山を参拝してきました。鈴木さんにケーブルカーも22日から回復したと教えていただいたので急遽お参りすることにしたのです。お彼岸ですから人が多いと思っていましたが22日はまばらでしかも日本人よりは外人観光客の方が多い状況でした。ただお遍路さんが一人だけバスにのっておられてほっとしました。私も10年前に四国遍路成満のあと遍路姿で高野山へお参りしたことを思い出します。

お彼岸中日の23日は未明に起きていつものように奥の院に向かいます。一の橋の袂で跪いて拝んでいると真っ暗な中から一組の若い男女が現れました。こんな真っ暗な中を信仰とは無関係な様子の派手な服装でどうしたのかとおもいました。後で考えると現の人間ではなかったのかもしれません。なおもいつものように暗い中を歩いていくとむこうから腰を90度に曲げ長い杖を突いた老尼が暗闇からふいに現れます。このかたは未明にお参りすると何十年も前から必ずお見掛けする方です。何代か前の管長猊下の所縁の方でその方が毎朝御廟を参拝されていたのを引き継いでいるのだという噂を聞いたことがあります。台風で参道は倒木で通れないと以前聞いていましたが、すっかり除かれてあります。しかし半分くらいは灯篭の火が消えています。電線が切れているのでしょう。しかし街路灯がついていて石畳は照らしてくれています。ときどき低い不気味な鳥の声がします。いつも杉木立の闇に聞こえるのですが何という鳥でしょうか。

御廟では誰もいません。お彼岸の中日だからだれかお参りの人がいると思ったのですが意外でした。ふだんの日でも真夜中にもお参りの人はいるものです。土下座して理趣経をこころゆくまであげられました。どうぞ困っている衆生が救われます様に・・とこころから願うことができました。以前は自分の身の回りのことを拝んでいたこともありますが、こうして他者のことを拝むと大変気持よく拝めることに気が付きました。暫く拝んで立ち上がると僧衣のわかい僧侶がうしろの階に坐っていました。修行中の僧侶でしょう。感心なことです。

御廟から帰りに師僧の墓に参拝します。いつもながら杉の葉が墓にかかっていて汚れています。高野山の墓は苔まで供養するといって掃除をしないといいますがそれでもやはりきれいな方が気持ちがいいものです。暗い中持参したブラシで全体をこすり水をあげました。師僧は途中出家の私を快く得度してくださった恩人です。その後自家の墓にお参りしました。自家の墓は年になんども掃除しているためピカピカです。玉砂利も白砂でぱっと輝いて見えます。われながら有難いものです。こころよくまで理趣経・観音経・三陀羅尼等をあげて帰りました。

帰りは薄明るくなってきたのですが不思議な尺八の音色が杉木立の向こうから聞こえてきます。気のせいと思っていましたがいつまでも聞こえました。何十回もお参りしていますが尺八の音色をきいたのは初めてです。


一の橋では関東大震災慰霊碑もよくよく拝んでおきました。この慰霊碑は関東大震災の犠牲者を一万年供養する法で祀ってあると書かれています。皇族も三体この慰霊犠牲者の中に入っていると書かれています。来るべき首都直下型地震に際しても皇族方が犠牲になると日本の国体維持に響いてきます。庶民も何十万と犠牲になるといわれています。毎回通るたびに、来るべき大震災の大難が小難になります様にとこの慰霊碑を拝んでいます。

朝食後再度奥の院へお参りしまた自家のお墓へお参りしました。自家の墓で理趣経が終わりかけたころ「バスですよー」という女性の声が聞こえます。みると一日に一本しかないバスが止まっています。しかし誰が教えてくれたのかと見渡しても人影はありません。そうそうにお墓からバスに向かい丁度間に合いました。それにしても不思議な声でした。

今回は、未明の暗闇から出てきた一の橋の二人連れといい、参道の尺八の音色といい、バスを教えてくれた聲といい、高野山では不思議なことが相次ぎました。極めつけは帰りの特急の座席番号です。恐れ多くも御大師様の日の数字でした。すこしでもお大師様の手足となって他者の為になることをせよ、とのお示しであったろうと深く心に刻んで帰京しました。

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