史料綜覧 巻九 / 明応七年(1498)十一月四日条
「四日 大神宮ヲシテ 天災地変ヲ祈禳セシメラル」
天皇は後土御門天皇、足利幕府は足利義澄。
後土御門天皇は践祚後ほどなく応仁の乱が起き皇室は窮乏して後に天皇の斂葬もできなかったくらいですがそのようなときでも天皇は国の為に祈願してくださっています。
明応7年8月25日には明応地震が起こっています。
ウキぺデアに依ると「『実隆公記』には明応七年11月7日まで余震と思われる地震の記録がある。畿内の被害と思われるものは『大乗院寺社雑事記』にある興福寺と見られる地蔵堂の庇が崩壊した記録である。『後法興院記』の東海道沿岸における記録は伝聞によるもので「大地震之日、伊勢、参河、駿河、伊豆大浪打寄、海辺二三十町之民屋悉溺水、人歿命、其外牛馬類不知其数云々、前代未聞事也」とある・・」