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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻3/6・11/29

2025-04-19 | 先祖供養

観自在菩薩冥應集、連體。巻3/6・11/29

十一長谷寺に詣でて福を祈る人の事(宇治拾遺物語 「長谷寺参籠の男、利生にあづかる事」)

昔何れの時代にかありけん、父母にも若くして離れ主人もなく妻子もなくて唯一人暮らす青侍あり。貧にして何方を頼むべきやうもなければ長谷寺の観音に詣りて久しく籠り、御堂の前にうつぶしに伏して祈りけるは、願くは福分を與へ玉へ、若亦現世に此のままにて受けくべき福もなきなれば即ち観音の御前にて飢死せん。若し少しの福をも與へ玉ふべきならば夢にも告げ知らせ玉へ。さもなからん限りは御堂より外へは出去るまじと一心に歎きて伏したりけるを寺僧衆見、こは何者なればかくては居るぞ、宿坊は何の坊ぞ、何国の者ぞ、食物を用ゆる躰もなし、斯て佛前にて死せば寺の為にもあしかりぬべしとて、委しく尋るに、彼の者、我は父母もなく主人もなし。極貧なれば師も宿坊も持ち侍らず唯観音を師とも父母とも頼み奉り佛の賜はらん食物を食すべしと思へば食物もなしと答へけり。寺僧たち集まりていと不憫の事なり、捨置きなば寺の為にも宣しからじとて、寺中替るがはる食物を與へければ持来る物を打食ひて猶立ち去らず御前の前に打伏して祈る程に三七日になりにけり。

其の暁の夢に御帳より一人の童子出で来玉ひ告げ玉はく、汝前世の罪の報ひをば知らで、無理に観音を責め申す事、いとあやしき事なり、されども志の不憫なればいささかの事計らひ給りぬ。まづすみやかにまかり出でよ。まからんに於て何にても手にあたらん物を取りて、捨てずして持つべし。とくまかり出でよ」と追はるると見て覚めぬ。はやく起きて或る僧の

坊にて物食ふてまかり出でける程に、大門にて蹉きてうつぶしに倒れぬ。起きあがりたるに、

唯藁すべ一筋を手に取られり。是非なき事に思ひながら観音のくだされたる物なれば定めて子細にこそあらめ、棄てずして持てと仰せのありければと思ひ、手に持ちながらなでさすりてそろそろ行く程に虻一疋飛び来たりて頬の周りをふぶきける。うるさく思ひ木の枝折りて払へども、猶同じやうに頬に付け回りふふめきければあまりの迷惑さに捕へてかの藁しべにて腰を括りて、枝の先につけて持ち行程に虻は藁しべにて腰を括られてながらふふめきけり。長谷に詣りける歴々公家の若君と見へて車の前の簾をうちかづきてゐたる児の、高貴く美しげなるが、「あの男の持ちたる物は何ぞ。かれ乞ひて我に賜べ」と、馬に乗りて供にある侍にいひければ、その侍来たりて「汝が持ちたる物、若公の召すに参らせよ」といひければ、「仏の賜びたる物に候へど仰にて候ひ参らせ候はん」とて取らせければ、「この男、いとやさしき男なり。若公の召す物をやすく参らせたる事奇特なり」といひて、大なる柑子を三つ陸奥紙に包みて與へ「これ、喉渇くらん、食べ候へ」とて侍持傳へて取らせぬ。

「藁しべ一筋が大柑子三つになりぬるは観音の御利生ありがたし」と、木の枝に結ひつけて、肩に打ち掛けて行く程に、子細ある人の忍びて参詣すと見えて、侍などあまた具して、徒にて参る女房の、歩み疲れて立とどまり居たるが、「喉の渇くに水飲ませよ」とて、消入るやうにすれば、供の人々周章惑ひて、「近き所に水やある」と、走り騒ぎ求むれど、水もなし。「こはいかがせんずる。御旅 籠馬(はたごむま)にやもしある」と問へば、「遥かに後(おく)れたり」とて見へず。彼の女房は目眩して早息たへんとすれば大に騒ぎ迷ひて途方を失ふを見て此の男も立ち寄りて見れば彼の侍共「此なる男こそ水のあり所は知りたるらめ。このあたり近く、水の清き所やある」と問ひければ、「この四五町が内には清き水候はじ。いかなる事に候ふにか」と云に、彼の侍共「我が主、歩き疲れ玉ひて、御喉の渇かせ玉ひ水ほしがらせ玉ふに、水の無が難儀にて尋ね侍る」といひければ、此の男、「さては笑止に存ずる事かな。水の所は遠く、汲みて参らば程経候ひなん。これは如何」とて、包みたる柑子を三つながらまいらせければ、侍共悦び騒ぎて進(まいら)せたりければ、それを食ひてやうやう目を見あけて、「こはいかなりつるぞ」といふ。「御喉の渇かせ給ひて、『水飲ませよ』と仰せられつるままに御目を眩たれば、水求め候へども、清き水の候はざりつるに、ここに候ふ男の、思ひかけぬにその心を得て、この柑子を三顆奉りたりつれば、進せたるなり」といふに、此の女、「我は、さは喉渇きて絶え入りたりけるにこそありけれ。『水飲ませよ』といひつるばかりは覚ゆれど、その後の事露(つゆ)覚えず。この柑子得ざらましかば、この野中にて消え入りなまし。うれしかりける男かな。この男いまだあるか」と問へば、「彼に候ふ」と申す。「その男しばしあれといへ。いみじからん事ありとも、絶え入り果てなば、かひなくてこそやみなまし。男のうれしと思ふばかりの事は、かかる旅にてはいかがせんずるぞ。食物は持ちて来たるか。食はせてやれ」といへば、「あの男、しばし候へ。御旅 籠馬(はたごむま)など参りたらんに、物など食ひてまかれ」といへば、「承りぬ」とてゐたる程に、御旅籠馬皮籠馬など来着きたり。「などかく遥かに後れては参るぞ。御旅籠馬などは常に先だつこそよけれ。はからざる用の事などもあるに、かく後るるはよき事かは」などいひて、やがて幔引き氈など敷きて「水遠からんなれど、歩み困ぜさせ給ひたれば、召物はここにてまひらすべきなり」とて、中間どもやりなどして水汲ませ、食物し出したれば、この男にも清げにして食はせたり。物を食ふ食ふ「ありつる柑子何にかならんずらん。観音の計らはせ給ふ事なれば、よもむなしくてはやまじ」と思ひゐたる程に、白きよき布を三疋取り出でて「これ、あの男に取らせよ。この柑子の悦びは言尽くすべき方もなけれども、かかる旅の道にては、うれしと思ふばかりの事はいかがせん。これはただ志の初めをば見するなり。京のおはしまし所をばそこそこになん。必ず尋ね来たれ。この柑子の喜びをばせんずるぞ」といて、布三疋取らせたれば、大に悦びて布を取りて「藁筋一筋が布三疋になるぬる事」と思ひて、脇に挟みて行く程に、その日は暮れにけり。道側なる家にとどまりて明けぬれば鳥とともに起きて行く程に、日も辰の時ばかりに大番の大名の七大寺詣(南都七大寺(東大寺,興福寺,元興寺(がんごうじ),西大寺,薬師寺,大安寺,法隆寺)を巡拝すること。 879年(元慶3)10月清和上皇の大和国の名山巡礼以降,貴族による南都諸寺への巡拝が盛行した。)と見へてえもいはずよき馬に乗りたる人、この馬を愛しつつ、道も行きやらず振舞する程に、「實にえもいはぬ馬かな、これぞ千貫がけなどはいふにやあらん」と見程に、この馬にはかに倒れて死しぬ。主、我にもあらぬ気色にて、おりて立ち惑ひして従者どもも鞍おろしなどして「いかがはせんずるぞ」といへども、かひなく死に果てぬれば、手を打ち、あさましがり、泣かぬばかりに思ひたれどすべき方なくて、あやしの馬のあるに乗りぬ。

「かくてここにありとも、すべきやうもなし。我は往なん。これ、ともかくもしてひき隠せ」とて、下種男を一人とどめて往ぬれば、この男見て「この馬、我が馬にならんとて死ぬるにこそあんめれ。藁しべ一筋が柑子三つになりぬ。柑子三つが布三疋になりたり。この布の馬になるべきなめり」と思ひて歩み寄りて、この下種男にいふやう、「こはいかがなりつる馬ぞ」と問ひければ、「陸奥国より得させ給へる馬なり。万の人のほしがりて価も限らず買はんと申しつるをも惜しみて放ち給はずして、今日かく死ぬれば、その価少分をも取らせ給はずなりぬ。おのれも皮をだに剝がさばやと思へど、旅にては如何すべきと思ひて、まもり立ちて侍るなり」といひければ、其の男「その事なり。いみじき御馬かなと御侍りつるに、はかなく死ぬる事、命あるものものはあさましき事なり。まことに旅にては皮剝ぎ給ひたりとも、え干し給はじ。おのれはこの辺に侍れば、皮剝ぎて使ひ侍らん。得させてはおはしね」とこの布一疋取らせたれば、男、思ひよらぬ徳取りたる気色にて、又思ひ返すとや思ふらん、布を取るままに見返りもせず走り去りぬ。此の男、よくやり果てて後、手かき洗ひて長谷の御方に向ひて、「この馬を活かせ賜はらん」と念じゐたる程に、この馬目を見あぐるままに頭をもたげて起きんとしければ、やはら手をかけて起しぬ。うれしき事限りなし。「尋ねて来る人もぞある。またありつる男もぞ来る」など、危く覚へければ、やうやう小隠に引き入れて時移るまで休めてもとのやうに心地もなりにければ、人のもとに引きもて往きて、その布一疋して轡鞍にかへて馬に乗来たり京の方に上る程に、宇治の渡りにて日暮れにければ、その夜は人のもとに泊まりて、いま一疋の布して馬の草、我が食物などにかへて、その夜は泊りて、つとめていととく京ざまに上りければ、九条のあたりなる人の家に、筑紫の探題に成りて下るとて立ち騒ぐ所あり。此の男思ふやう「この馬京まで率て上りなば、見知りたる人ありて馬盗人かといはんもよしなし。今ここにて売らばや」と思ひ、かやうの所に馬など用ひる物ぞかしとており走りて寄りて、「もし馬などや買はせ給ふ」と問いければ、馬がなほしと思ひける折節なればこの馬を見て、「いかがせん」と騒ぐ。「只今かはり絹などはなきを、この鳥羽の田や米などにはかへてんや」といひければ、なかなか絹よりは第一重宝なりと思ひて、「絹や銭などこそ用には侍れ。おのれは旅なれば、田ならば何かはせんと思召せ、馬の御用あるべくは、ただ仰せに随って奉つらめ」といへば、この馬に乗り試み、馳せなどして、「ただ思ひつるさまなり」といひて、この鳥羽の近き田三町、稲少し、米など取らせて、やがてこの家を預けて、「おのれもし命ありて帰り上りたらば、その時返し得させ給へ。上らざん限りはそのまま居給へ。もしまた命絶えて亡くなりなば、やがて我が家にして居給へ。子も侍らねば、とかく申す人も侍らじ」といひて預けてやがて下りければ、その家に入りゐて、得させける米、稲など取り置きて、ただ一人なりけれど、食物ありければ、辺なる下種ども出で来て使はれなどして、ただありつき、居つきにけり。二月ばかりの事なりければ、その得たりける田を半分は人に作らせ、半分は我が作りたりけるに、人の作りたるも能く出来たれども、我が作りたるは殊の外に能く登りてければ、稲多く刈り置きてそれよりうち始め、風の吹き付けたるやうにて徳つきて、いみじき福人にぞなりにける。その家の主も終に音もせずなりにければ、その家も我が物にして子孫など出来て殊の外に栄えたりけるとかや(宇治拾遺の七。雑談集の六)。

 

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