前叙の如く小乗は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印を説き、大乗は諸法実相の一印を説くものである。即ち大乗仏教の諸経論の所明、一概に論じ得ざるものあるも、諸法実相の一印を説く点において一致するものなりともいひ得らるるのである。智者大師(智顗)は法華玄義第九に諸経の経体を釈し、勝鬘経は自性清浄(全ては本来清らか)を体とし、華厳経は法身(永遠不滅の真理そのもの)を体とし、般若経は一切種智(万物が本来は空であって平等・無差別であることを知るとともに,現象として出現する諸相をすべて知る仏の最高の智慧)を体とし、涅槃経は佛性を体とし、法華経は実相一乗を体とすといへり。勝鬘経の自性清浄、華厳の法身、般若経の一切種智、涅槃経の佛性、法華経の諸法実相(全ての物は縁により生じておりそのままで真理を顕している)等、その名目の異なるが如く、所詮の理趣自ら同一ならざるものあるも、而も此等諸大乗は、何れも諸法実相の一印を其の教の根基とせないものはない。即ち能縁の心(主観)も不可得なれば所縁の境(客観)も不可得、能所契合の相も不可得、あらゆる能所主客の分別戯論を離るるとき、煩悩業生の生死の生を滅し、法性常住の生を体得する道を明かすものである。かく大乗は諸法実相の秘趣を開顕し、凡夫の個体に即して真如常住の性を得する旨を示すも、而も大乗中また三乗一乗、旨趣同じからざるものがある。即ち真如縁起を談ぜざる三乗教にありては、性相、理事(本質と外観、真如と個別事象)未だ融即せざるゆゑ、個体の當相に分斉あり、相を摂して性に帰せざるべからざるも、真如縁起(万物は真如が縁によって生起じている)を明かす一乗教に至れば、理事相融(真如と個別現象が融合)するが故に、一々の個体分斉を離れて、法界に遍する玄趣を開設す。
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