福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

小善を積めば試験に受かるどころか運命が好転する話

2022-09-26 | 法話

小善を積めば試験に受かる話

『袁了凡先生四訓』「謙徳之効」に「張畏巌」の話があります。張畏巌は科挙の試験に落ちて落胆していましたが道者に「小善を積めば受かる」と諭され、以来、毎朝水行をし、小善を積み徳行にはげみ三年が経ち、試験の前に夢を見ましたが、これは天にある科挙の合格者の名簿に徳を積んだ者として張畏巌の名前も載っているというものでした。そして現実にその通り受かった、という話です。

 

以下小善の大切さを説いた経典などを載せておきます。

・法句經第十七惡行品二十二章「小善を軽んずること莫れ、 以って無福なりといえども水が微なりといえども漸く大器を盈すがごとく 凡そ福は充滿す・・」

 

・大智度論には「12年間毎日天にお供えをした人が宝の出る徳瓶を授かった」という話が出てきます。「人ありて常に天を供養するがごときは其人貧窮なるも一心に供養して十二歳に満ち富貴を求索するに天は此人をあわれんで自ら其身を現じ之に問うて曰く、「汝何等をか求む」答て言く「我富貴を求む。心の所願をして一切皆得ならしめんと欲す」と。天、一器をあたふ。名て曰く徳瓶と。而して之に語りて言く、「所須うる所の物は此瓶より出ず」と。其人得已って應に意の欲するところに応じて得ざるところなく、如意なることを已って具に好舍・象馬・車乘を作り、七寶具足し、賓客に供給するに事事乏しきことなし。客之に問うて言く、「汝先に貧窮なりき。今日何に由って此のごとき富をうるや」と。答言「我天瓶を得、瓶能く此の種種の衆物を出す故に富如是なり」。

 

・太上感応篇には「夫れ心に善を起こせば、善いまだつくらずと雖もすなわち吉神すでに之に随う。或は心に悪をおこせば悪いまだ作らずといえども而なわち凶神すでにこれに随う。其れかって悪事を行うこと有と雖も、後に自ずから改め悔いて諸悪莫作、衆善奉行(すれば)、久しくして必ず吉慶を獲、所謂禍を転じて福となすなりと。故に吉人善を語り、善を行う。一日ごとに三善あれば三年にして天必ずこれに福をくだす。凶人は悪を語り、悪をおこなう。一日ごとに三悪あれば三年にして天かならず之に禍をくだす。なんぞ勉めてこれを行わざる。」

 

・「易経・坤卦・文言伝」の「積善の家には必ず余慶あり」は有名です。続いて「易経・繋辞下伝」には、「善積まざれば以て名を成すに足らず。悪積まざれば以て身を滅ぼすに足らず。小人は、小善をもって益なしとして為さず。小悪をもって傷なしとして去(す)てざるなり。」ともあります。

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