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それとなく

fuku改めginsuisenです。
忘れないうちのメモ記録ブログ。
舞台感想がメイン。

行かねば 料治熊太とその仲間たち展

2007-07-22 10:20:27 | 雑記
大好きな大好きだった、料治熊太さんの展覧会がある。
町田らしい。今日の日曜美術館のアートシーンで紹介されていた。
題して、料治熊太と仲間たち。もう6月からやっていたらしい。
8月5日で終わる。
料治さんがいなかったら、棟方も今日のようではなかったのだ。
明治印判染付けの流行するずっと前から、集めていた人。
今みたいに金持ちたちの集め方とは違う。
いいと思ったものをとにかく集めていた。
いいのは?「自分がいいと思えば高いものでも安いものでもいいんだよ」と
教えてくれたのも熊太さんだ。
人の視点ではなく、自分の視点を大事にすることを教わった。
初期のころの月刊太陽の記者。

奥様はお華の先生料治花さん。
息子さんは、TBSニュースキャスターだった料治直矢さん。
みんななくなってしまった。
お嬢さんは山本真弓さん。
私には思いいれのある方々。

この展覧会では熊太さん自身の版画の出ているらしい。
有名な棟方志功は、直矢さん棟方おじさんと呼んでいたのだ。
棟方と同時代の版画家 谷中安規・・あまり知られていないが、
熊太さんに見出された人。
そのほんわかした版画は棟方とは対照的だ。
そして、谷中は、戦後、闇市の食料を買わずにいて、餓死した。
そのことを熊太さんからも聞き、
太陽の谷中特集にも書いてあったと思う。
その話に若かった私は相当なショックを受けた。
餓死・・それを聞いたのは、世は高度経済まっしぐらなときだったのだ。

いつだったか松濤美術館で谷中安規展で、その全容を見て、
すばらしさに涙が出そうだった。

料治家は芸術一家で、ニュースキャスターの直矢さんは、
東大の美学を出ている。子どものころから万年筆やボールペンを持たされず、
筆だった。だから、頭でしっかり考えたことをきちんと言葉にする訓練ができている。あの、確実なニュースキャスターとしての発言は、そうした背景にあったようだ。熊太父の自慢は、そんな直矢さん。
以前に、終戦の年、10歳のときの絵日記を見せてもらったことがある。
すばらしい描写と文に驚いた。

もし、生きていたら・・ニュース番組も、もう少し骨があったのでは・・と思う。

絶対、見に行かなくては・・

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
谷中安規 (つきのこ)
2007-07-25 07:56:09
若い頃、谷中安規の作品を見て私も衝撃を受けました。季刊「銀花」で知り、リッカー美術館まで見に行きました。わぁー、30年以上前だわ^^;すごい生き方ですよね。田中一村も大好き、この人もすごい生き方。作品の前で、涙が出てきました。
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谷中安規 田中一村 (fuku(ginsuisen))
2007-07-25 22:26:02
つきのこさーん。ご存知でしたか、谷中安規。
熊太さんが、痛切の思いで書いている本があります。
多分、銀花も熊太さんだと思います。
すごい生き方なのに、絵本の版画のかわいいこと。
中には料治家の版画もあります。

田中一村・・・大好きです、いつか奄美に行きたいと思っています。

自分を曲げずに生きる。すごい先人たち。
頭が下がりますねー。

>宮島、チケットとれました。
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