民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

折口信夫「大嘗祭の本義」再考ー1

2019-07-07 16:33:44 | 民俗学

さて、資料を集めたり別の仕事をしたりしていて、なかなか取り掛かれなかった「大嘗祭の本義」の再考にとりかかります。このブログは、再考メモといったもので、後日ブログに書いた発想を別にまとめるつもりです。よって、話があちこちと跳んでしまうかもしれませんが、ご了解ください。ただ、このところ折口の書いた(口述筆記が多いといいますが)ものを読み込んでいますと、折口という人の文章は思いつくままに、発想の赴くままに書いているので、論理の整合性とか緻密性には欠けていると思います。それが折口なのだといえます。

折口がその主著である『古代研究』全3冊を刊行したのは、昭和4年から5年にかけてです。第1部『民俗学篇1』を刊行したのは、昭和4年の4月10日、第2部『国文学篇』は4月25日、第1部『民俗学篇2』は、翌年の6月20日です。角川ソフィア文庫版『古代研究』の加藤守雄の解説によれば、当初は民俗学篇と国文学篇の各1冊の予定が、民族学篇の原稿が多すぎて2冊としたが、2冊としては原稿が不足していたので書き継いだ結果、1年以上も遅れて『民俗学篇2』が刊行されたという事情のようです。「大嘗祭の本義」は,『民俗学篇2』に掲載されているのです。

『民俗学篇2』の巻末には、「追ひ書き」と「著作年月一覧」があります。追い書きの必要な箇所には後ほど触れるとして、著作年月一覧から「大嘗祭の本義」を見て行きます。著作年月一覧があることからわかりますが、『古代研究』は書下ろしはなく、大部分(草稿とあるのは書下ろしといっていいのかもわかりませんが)は、一度発表ないしは講演したものなのです。「大嘗祭の本義」には、2つの出典があります。國學院雑誌 第34巻第8号  昭和三年九月 信濃教育会東部部会講演筆記 となっています。ここで一つ問題にしたいのは、信濃教育会の講演筆記が元になっているとありますが、その原典はあるのかということです。もう一つは、後で述べるように折口はこの時期に大嘗祭を含めて天皇制に関する論文を多数書いています。『古代研究』掲載の「大嘗祭の本義」はいかにして成立していったのか、大きな興味がわきます。というのは、「大嘗祭の本義」を読み込んでみますと、折口の発想の根源は王権における死と再生であるということができるからです。折口の王権論は、実証性がなく想像に過ぎないと文献史家からは批判もされていますが、文字が残らなければ真実ではないのかと思います。折口の説を傍証する民俗事例も、後ほどあげてみたいと思います。

今回ひとまずここまでで、次回は信濃教育会での講演筆録を追求してみます。 


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