つむじ風通信

「信州うらの畑」へようこそ!松代町は長芋の産地で歴史の山、妻女山(斎場山)は我が里山です。

「立山黒部アルペンルート」は暴風雨その2

2005-10-09 21:38:26 | 気まぐれ雑記


いよいよ立山黒部アルペンルート通り抜けのバス旅行も今回のコース一番の目的地室堂にむかいます。すでにロープーウェーの途中からすっかり雲の中の人になってしまっていたのですが、大観峰からトンネルバスに乗り室堂に着いたころには、雨あしも強くなり嵐の様になってしまいました。

室堂(標高2450m)丁度昼食の時間となりましたが、さほど広くない待合室は悪天候で外に出られない事も手伝って結構な混み具合です。予定としてはここで昼食をとり、外の高原を散策するはずだったのですが、残念ながらそれは出来ないので昼用のすでに頼んでおいたお弁当を食べ出発時間も繰り上げとなってしましました。それにしても椅子も数少なくテーブルもないので、立ち食いそばならぬ、立ち食い弁当になりました。レストランも併設されて居る様ですが、今の時期たいへん混み合うのでお弁当持参の方がいいかもしれません。ここには各社ツアー客やトレッキング目的の団体、また個人で来ている家族ずれなどさまざまでしたが、やはり高地ですので、それなりの支度をしていきましょう。(どこかの若いツアーコンダクターの定番のスーツにパンプスにはお驚きました。せめて足元はスニーカーにして。)ここで本来ならば、高山植物を見て運がよければ雷鳥にも出会えたかもしれません。ここではお土産に雷鳥の卵をイメージしたお菓子(アーモンドにホワイトチョコのコーティング)や暖かい甘酒なども売っていました。一時間ほど休んだ後ここから高原バスに乗り込みます。

阿弥陀ヶ原(標高1930m)ほぼ視界が数メートルの山道をくねくねとバスは美女平に向かって下っていきます。車窓からの風景は写真の様にほぼ霧に隠れてしまって、せっかくの景色も見られずでした。しかしバスの中のモニターで秋のベストシーズンの紅葉が写しだされており、その画面の美しさでも十分雰囲気は満喫する事が出来ました。下る道沿いに赤い実を付けたななかまどでしょうか?あちこちにその赤色が霧の中で一段と映えています。段々と標高も下がるにつれ、途中ブナ林が続いている一帯があります。ブナの木を見るのは大分久しぶりで、樹皮の白と黒のコントラストが目を引き一本でも堂々とした風格を感じさせるその姿は感動に価するものがありました。

美女平(標高977m)ここでまたケーブルカーに乗りかえます。待ち時間の間、そこの売店でまたまた土産品の試食タイムです。ホタルイカの沖漬けや漬物、お菓子類などがありましたが、地元の牧場のビン牛乳があったので、ちょっと寒いのもかまわず飲んでみました。普段はおなかゴロゴロ体質なのですが、めずらしくそうもならず味にもコクがありなかなか美味しかったです。
ケーブルカーの外は相変わらず雨模様でしたが、丁度添乗員さんと隣合わせたので、今時(10月初旬)の天候の様子を聞いてみましたら、1週間に一度の割合で晴れるだけで、特に台風一過の時ぐらいしか良い天気は望めない様です。それでは悪天候なのも、いた仕方無いと思い納得しました。立山駅から又本来の私達の貸切のバスに乗り換えます。

立山駅(標高475m)バスは扇沢駅で私達を降ろした後、また私達を乗せるべく空のバスを走らせこの立山の駅まで来ているのです。今は携帯で添乗員さんがバスの運転手さんと連絡を取り合いながら時間調整が出来るので無駄な待ち時間も出ず昔と比べると便利になりました。(ただ道路状況によってはさにあらずですが)途中買い物に立山あるぺん村と言うところにより多少のお土産の追加をしました。(しかし山の上の売店の方が品数など内容も充実していました。)ここからすでに山から平地に下りてきており、一路北陸道をひた走り日本海に向かってまっしぐらです。

やがて左前方に日本海が現れると、つい先ほどまで標高2000m級の所にいた事が不思議に思えてきます。人によっては、この高低差で耳鳴りがするそうです。お昼タイムを短くしたので、途中予定にはなかった海沿いの鮮魚店に寄る事になりましたが、思ったほど品数もなく期待はずれと思いつつもここでしか買えない物はないか店内を見ていましたら、ありました何か長野のスーパーでは見慣れない魚が売っていましたよ。生と半干物とあり生の方を買ってみました。名前は「げんぎょ」と書いてあります。そう言えば北陸か新潟あたりで深海魚の部類で地元ぐらいにしか流通してない魚があったような・・・ゼラチン質でなかなか良いダシがでるとか。パックに地魚と書いてあったので、もしやと思い買いました。結果その魚だったかは判りませんが煮ると淡白な白身でありながら、ダシがでる美味しい魚でした。(体長20cm位で5尾で600円ほど)
海沿いの糸魚川街道を走り途中「親知らず」と言う地名の昔難所であった所を通りさらに進路を南に向けて白馬経由で帰路につき、長野に戻ったころにはすでにとっぷりと日が暮れていました。

悪天候の為山にいる時間を短くしたので家にも40分ほどはやく着いてしまったのですが、日帰りと言うことで、朝の出発が早くやや疲れもしましたが、今回さもなく回ってきたルートも先人達の黒部ダムを造ろう(建設の賛否はあるが)と言う大プロジェクト(事故による犠牲者もでてしまった。)によって成しえる事が出来たのは驚嘆に価するものでありました。

最後に添乗員の自称ぺ・ヨンジュンこと丸山さん、松本と長野から参加した総勢40名ほどの皆さんありがとうございました。   FUKI





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